まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

レビューコードギアスのチェスにはシンボルとして意味がある

コードギアスにチェスが出てくるのは意味があります。
単純に言えば、「チェスのように戦う」というシンボルとして出しているわけです。
主人公の姿勢の問題。
そのシンボルがチェスです。
チェスのイメージの問題だけど。

どうでもいい趣味としてチェスが出てくるわけではなくて、「コードギアス」という作品の思想の問題。
実際のチェスがどうなのかというのは、あんまり問題ではなく、イメージの問題ですね。
たとえばこれが麻雀ならもっと泥臭くなるかもしれません。
福本伸行作品なんかわかりやすいけど、麻雀ってお金掛かっていて、人生そのもの。チェスはそれとは違うということです。貴族のお遊び的なイメージ?
(現実のチェスがお遊びかどうかという話ではないです。物語的なシンボルとして)。

コードギアス(第一期)の第一話のチェスにはお金が賭けられています。
でも、これは賭け事に軽く勝つということなわけです。
ギャンブルにあっさり勝てるのです。
敗北は全くあり得ない。
「天才」ということですね。
それがゆえにコードギアスは戦略が雑でも構わないのです。
何しろ天才だから。
第一話でのチェスの勝ち方が、この作品全体の在り方を示しているのです。
【2008/07/25】 | レビュー | トラックバック(0)



雑記「日本人はサムライ」という物語と格差社会

人間って「物語」を生きているわけですよ。でも物語って、損する構図だったりするから、他人に物語を要求する格好になるわけです。

他人が恋愛するとむかつくから、少年漫画の主人公は恋愛しないことになる。
他人が得するとむかつくから、損な性格の主人公が好まれるとか。

「共感」の正体はそういうことです。他人に損して欲しい。

サムライの物語も、そういう理由で好まれます。フィクションでもリアルでも。人間は物語的に生きており、そしてそれは(自分では実行する気もない)他者への要求だったりします。他人を非難する時だけ、もっともらしい物語を持ち出したり。

ところで。

我々日本人はなぜサムライだということになってるんでしょうか?
(私の先祖は百姓なんですが……)。

封建主義という言葉の定義は難しいですが、武家社会の封建主義が、家父長制の封建主義にシフトして、日本人はサムライという理屈になっているのかも。実際は地主と小作人の関係なのに、それが妙な感じで「サムライ日本人の美徳」とされている気もします。

私も「自分の先祖は百姓だから」と言いつつ、どうも自分の先祖がサムライみたいな感覚があるのです。サムライ日本的なイデオロギーの中に住んでいるからかもしれないけど。「日本人はサムライ」という発想がとても強いので、このあたりは混同されてます。小作人はサムライ。このエントリーでも混同して書いてしまっています。区別が付かないのがこの問題の本質だと思うので。

多くの人の先祖は小作人であるはずなんですが、なぜかサムライにすり替わっている。貧乏な百姓として抑圧されていたはずなのに、サムライとしての美学になっている。日本的な精神主義を物語にする際に「サムライ」という記号がバッチリだったのかもしれないです。


サムライという物語は、

敗北
黙って我慢
損をする
切腹

とか、そんな感じです。
(端的に言うと、日本の古くさい精神主義そのまま)。
サムライの物語は実際のサムライとはまた別かと思います。サムライというのはフィクション性が強いと思います。何しろ、実際の先祖が小作人でも「日本人はサムライ」とか思っている人が多いくらいですから。


ある程度平等性があった頃は、みんなで我慢するのが日本人の美徳みたいな感じで、サムライ思想に合理性がありました。これが最近だと、平等性が無いので、サムライ思想の欺瞞が出ているかと思います。
(具体的には自己責任論。責任が曖昧な社会なのに自己責任とは何故)。

サムライ思想においては、責任を「自分」が負う。この場合の「自分」とは、ヒエラルキーが下流の者に限られる。上層部は責任を負わない。

サムライ思想とは、要するに封建社会のことなので、一方的な流れです。下流に責任を流していって自己処罰させるというのがサムライ思想です。特に階層構造が強くなると、下の側が責めを負うという構図が強くなる。

たぶん不況になる前の日本だと、封建社会的な発想でも平等性があり、バランスが取れていた。
今だと、本当の封建社会です。
あるいは階層社会を封建社会的な物語で了解していると言えばいいか。

「人のせいにするな」と言われると日本人は大ダメージを受けるみたいなんですが、この言葉などは典型的なサムライ思想です。
AがBに対して「人のせいにするな」という場合、それはBのせいにしているわけです。「〜のせいにするな」というトリッキーな言葉自体がサムライ的かと思います。下に責任を流していく封建社会的言説。最近の日本の自己責任論というのも、「日本人はサムライ」という物語に依拠しているように思えます。

切腹の美学が好きな人が勝手に「俺のせいだ」と言って切腹するのは自由ですが、実際には「人のせいにするな(おまえが切腹しろ)」ということです。特にネットの議論とかだと、お互いに「人のせいにするな」って切腹を要求しあって、ぐるぐる回っているみたいな。上流の人間が下流の人間に「人のせいにするな(上の方に責任を問うな)」というのが封建的思想ですが、ネットでは立場が無く言葉だけ浮遊するから、変なことになります。

総中流的な構造が壊れると、サムライ思想はかなり欺瞞が出てくると思います。
我慢の平等性がないから。

本人が実行したいのならいいけど、我々は他人に対して、「サムライ」であることを望みますからね。
自分で実践する気はさらさらなく、切腹というジョーカーを押しつけあうのが、サムライ日本人。
【2008/07/24】 | 雑記 | トラックバック(0)



レビューひだまりスケッチ × 365



単純に言えば、「あずまんが大王」系の作品。
新房昭之監督。
「ぱにぽにダッシュ!」と同じ人ですね。

私は「ぱにぽにダッシュ!」のヒロインのベッキーがすごい好きなんですよ。
でも作品は今ひとつ好きではないかな。
ベッキーが登場しない回とか全然面白くない。
この系統の作品にしてはわりと毒もあるので、今ひとつ。

さて、「ひだまりスケッチ × 365」。これは以前放映されていた「ひだまりスケッチ」の続編。
第三話まで見ました。第二話まで見たら、なんか中途半端にストーリーがあって、前作とテイストが違うかなと思ったのだけど、第三話は前作そのままかな。この作品は無意味なところがいいので、ストーリーも無意味であって欲しいのだけど。

「ひだまりスケッチ」も「ひだまりスケッチ × 365」も、いい人ばかり出てくる作品なので、見ていて不愉快だという人はいないでしょう。「ぱにぽにダッシュ!」はバラエティー番組のいじり的な要素があるので、必ずしも好きにはなれないのですが、「ひだまりスケッチ」は思いっきりゆるい作品です。視ていて眠くなってしまうことも。ギャグのキレとかそういうのは今ひとつかも。まあ、いい人ばかり出てきて、女の子の楽しげな日常がゆるゆるに描かれる作品です。「陸上防衛隊まおちゃん」が好きな人にはお薦めです。

それにしても、この系統の作品を見るたびに「あずまんが大王」の偉大さを思い知らされるばかり。
【2008/07/23】 | レビュー | トラックバック(0)



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