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「花咲くいろは」と「異国迷路のクロワーゼ」

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普通の感想文です。

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「寄生獣」と「まどかマギカ」

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たまには普通の記事でも。個人的な感想文です。

魔法少女が魔女になるという円環に深い意味は無かったよね

かなり久々にレビューを書きます。「まどかマギカ」最終回を見た直後の感想を殴り書きで書きます。ペンを走らせては紙を破いていくような格好なので、後から見解がまったく変わっていてもご容赦いただきたい。
さて、率直な感想を言えば、「まどかマギカ」はコードギアスくらいの作品だ。名作ではあり、かなり面白かったが、エヴァには到達できなかった。なぜなら魔法少女が魔女になるという永遠の円環が、あくまで設定のパズルでしかなかったからだ。エヴァのように人間の本質を問うたわけではない。「まどかマギカ」はプラモデルをどのように組み立てるかという類の課題であり、人間的に問い掛けるテーマとしては着地できなかった。
魔法少女が魔女になってしまう解決不能性が第十話までの難題だったわけです。東日本大震災によって持ち越された第十一話・第十二話で、そのテーマをどのように消化するのかというのが見所だった。
その消化の仕方次第ではエヴァ級の作品になると思っていたが、実際は、キュウべえに願いを叶えて貰うということだった。解けないはずのパズルを、最も安直な解き方で解決した。コロンブスの卵過ぎて、予想出来ませんでした。ともかく、魔法少女のまま戦い続けるから魔女が生まれない、みたいな解決。少なくとも視聴直後の私はここに深いテーマを見いだすことは出来ない。
こう書いているとdisりまくっているようだが、第十話までのサスペンス性は見事だった。果てしなくエキサイティングなサスペンスで最終回手前まで引っ張ったのだから、かなりの期待もしたのだが、まあ安直な意味でのセカイ系的な解決でした。
まどかマギカはコードギアスくらいの作品という評価を私はしたが、終了後に継続して消費できるという点ではまどかマギカの方が圧倒的だ。コードギアスだと萌えがないし、話が終わればそれで終わりだ。まどかマギカは、終わってからでも楽しめるし、商品もかなり売れるでしょう。

「止め絵」より「動き」を重視した緋弾のアリアは爆死する

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スレをまとめようと思ったんだけど、作品が普通だからなのか、あんまり考察もないので自分のレビューを少し書いておきます。昔のオタクは、アニメの動きを見て楽しんだと言われます。今のオタクは止め絵の綺麗さを最も重視します。「緋弾のアリア」。動きは結構楽しかったですね。昔のアニメを見ているかのような動きの面白さ。こういう面白い工夫をしている作品は最近はあんまりないので、懐かしいというか新鮮でした。問題なのは、動きを重視したためか、止め絵があんまり可愛くありません。止め絵を鑑賞する最近のオタクには合わないアニメです。ISの後枠だから、同じように売れるという人がいます。(確かにISとアリアはテンプレ的という意味では似てます)。ただ、やっぱり作画面で、ISは止め絵の綺麗さを持っています。オタクの観賞向けとしてISは受け入れられた。それに対して「緋弾のアリア」は、観賞して楽しめるような止め絵の綺麗さがないです。そこそこ売れるでしょうが、前評判倒れと予想。




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冒険活劇なのに男性主人公が傍観者の「フラクタル」

このブログは、アニメ批評ブログから2ちゃんねるまとめブログへと大きく方向性を変更している最中だが、多少はレビュー的なものも書いておこう。突如のスタイル変更で微かな命脈が途絶え突然死を迎えるのを避けるため、過去のスタイルで少しずつ延命しながら、知らず知らず完全に新しく切り替わっていく流れにしたい。私は軍人としてブログをやっているから、昔の名前がひとつも効果を発揮しないこの現在の地形や、今までに負いすぎた戦傷の履歴、自軍の戦力・物資の乏しさなどを勘案し、このような微妙なスタイルを選択することになった。すべては苦肉の策で行っていることだから、弥縫策の縫い合わせで美しい絵面が出来上がる見込みはない。まだまだ星の巡りが悪いので、ここはゆるやかにやっていきたい。まっさらな戦場で、世界を塗り替えるようにして持ち弾をすべて乱射するには、あまりにも火力が足りない。

とりあえず「フラクタル」を批判しようと思う。「フラクタル」は第九話まで進んだが、ネットで全然盛り上がってないし、完全な失敗作だと思われる。主人公の立ち位置の決定的な失敗について話そう。立ち位置とは物語で与えられる設定であり、そして性格である。設定+性格が立ち位置を形成する。「フラクタル」の男性主人公は明らかにヘタレの傍観者である。物語に主体的に参画し事態を切り開いていくタイプではない。では、傍観者として機能しているか、というと機能していない。記憶喪失とか、フラクタルの世界に迷い込んだという設定なら、説明を聞く役割が出来るのだが、この主人公はそのあたりも中途半端である。悪い意味で傍観しているだけで第九話まで来たし、全11話なのだから、残り二話も同じ具合だろう。「フラクタル」は「東のエデン」をライバルにして作った作品らしいのだが、それこそ「東のエデン」の主人公みたいだったら、少しは楽しめた。「フラクタル」は、冒険的でない性格の主人公が冒険活劇をやるという、余りにも腑抜けた作品になってしまった。キャラクターの立ち位置がずれているから、どこまでいっても面白くならないし、視聴者は脱落を続ける。たとえば「ラピュタ」の主人公が傍観者だったら、「ラピュタ」はつまらない。そういうことなのだ。

「フラクタル」のヒロインの悲劇性についても述べておこう。ヒロイン達は、このシステムのために犠牲にならなくてはならないようで、まるで「まどかマギカ」みたいである。だが、まどかマギカが徹頭徹尾悲劇として描かれているのに対して、「フラクタル」はゆるいハーレムみたいなのを展開してしまった。残りの二話で急場凌ぎのようにエンディングまで繋げるのだろうけど、たぶん打ち切り漫画の最後でピンチが作られるみたいな感じだろう。冒険活劇として中途半端、悲劇として中途半端、SFとして中途半端、あらゆる角度から見て失敗作だと断定していい。

たとえば「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」という作品は酷評され、「やらおん!」(当時は「今日もやられやく」)から死ぬほど叩かれた。あれだけバッシングされたら100万回は死ねる。しかし「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は日常パートは楽しく見ることが出来る。「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は設定の後出しで話を進めて、その後出しがたいしたことなかったというストーリーの失敗だった。後出し設定の話作りで知られるシナリオライター吉野弘幸の負の側面が出た。「フラクタル」と「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の違いは、「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」は前半部で興味を惹いたのに対して、「フラクタル」は最初から設定がぼんやりしていたことだ。これは主人公の立ち位置の問題として前述した。だから「フラクタル」は批判もされないんですよ。ぼんやりしたストーリー進行だから、あくびが出るだけ。

「紫色のクオリア」とまどかマギカ



まどかマギカが「紫色のクオリア」に似ているというので、どうだったかなと思い、「紫のクオリア」を再読してみた。結論から言うと、こういう話は王道と言っていい。バッドエンドを繰り返しながら何度もループし、その中で真のエンディングを探すというパターンですよね。
たとえば失敗作で言えば、「涼宮ハルヒ」のエンドレスエイトだろう。エンドレスエイトが叩かれたのは8回という回数の多さが最大の問題だが、それと同時に、あの話が「涼宮ハルヒ」という物語の中でそれほど重要ではないからである。「どうでもいいから早くループから脱出しないかな」と思って見ていた人が多いだろう。
まどかマギカは話の積み重ねがある。まどかを魔女にしないで助けたいという動機が、9話までに痛いほど描かれている。アニメ視聴者の間でも大盛り上がりである。まどかマギカは悲劇性があるからバッドエンドの方がふさわしい気もするけど、ともかく大勢の視聴者がかじりついて、その結末を固唾をのんで見守っている。
そういう動機がしっかりした上で第10話でのループをやってるから、まどかマギカの10話は面白いのだ。
第10話だけ見て既存作品との類似性をあげつらうのは、あまり意味がない。
そもそも、過去に戻って未来を変えるという作品は、かなりたくさんありますよね。
王道の中の王道ですよ。まどかマギカの第10話もループ自体は、王道を選択しただけである。
私が懸念していたのは、「ほむらが未来のまどか」という設定をやることだった。仮にその設定だと「Fate/stay night」のパクリだと叩かれまくっていただろう。それを使わず、何度も過去に戻って未来を変えるという、類似作品が多い王道パターンにしたのはよかった。

勝利で解決できないと悲劇になる(ドラゴンボールとまどかマギカの違い)

まどかマギカの悲劇性について考えよう。悲劇の構造とは、勝利による解決が禁じ手になっていることだ。まだ第九話までしか進んでないから断定的には言えないが、ドラゴンボールとかワンピースみたいな解決の仕方はあり得ないだろう。まどかマギカで人が死ぬのは、死ぬから悲しいという単純性だけではない。死は回復不能なのである。死んでしまったからには回収できない。根源的な断絶であり物語的な解決不能性だ。試合で負けて次の試合でリベンジするスポーツ漫画のようにはいかない。死んだら次の試合がない。死というのは決して修復出来ないものであり、それが悲劇性の根幹なのだ。「リベンジ」とか「解決」とか「勝利」への道が閉ざされているところに痛切さがある。
そして、われわれがまどかマギカを本気で見られるのは、作者が虚淵玄だからだ。この人なら、完全に貫いてくれるという信頼感がある。みんな生き返って生ぬるいハッピーエンドとかあり得ないと確信できるから、本物の悲劇として受容することが出来る。
とはいえ、この手の物語は本当に難しいだろう。スポーツ漫画の終盤で展開が予想出来るのとは違う。まどかマギカは「勝利」という単純性で物語を締めないだろうから、放送を見てみないと見当が付かない。今後の物語が素晴らしいものになるためには、悲劇として物語を貫けるかどうかだ。ハッピーエンドが好きなオタクが珍しく悲劇にかじりついているのだ。これも悲劇性が鮮烈で、作品全体を貫いているからだ。単に嫌な話が出てくる作品とは違うのである。「悲劇のヒロイン」を素晴らしく描けているから、この作品は受け入れられている。楽しい話は人気が出て暗い話は人気が出ないという傾向はあるが、それは悲劇の描き方の問題だ。
悲劇のヒロイン(悲劇の主人公)はドラゴンボールの孫悟空とは対極だが、しかし対極であるからこそ、世界を司る存在になり得るのである。孫悟空が選ばれたヒーローであるのと同じで、悲劇のヒロイン(まどかマギカの登場人物)も選ばれた者だ。
プロメテウスの神話は誰でも知っているだろう。プロメテウスは人類に火を教える。怒ったゼウスはプロメテウスを張り付けにして、生きながらにしてハゲタカに食いちぎられる責め苦を受ける。ここにドラゴンボール的な解決はないわけである。しかし、プロメテウスは悲劇としてカッコいい。プロメテウスが受難者として苦しむ悲劇のドラマティックな度合いは最高なのである。
勝利や解決などしなくても悲劇として価値があれば、それはそれとして物語なのだ。われわれがまどかマギカを食い入るように見ているのも、プロメテウス的な存在を嘆美する心性によるものだから、現在の重力を保ったまま最後まで描ききって欲しいものだ。虚淵玄なら、プロメテウスを助けてあげるようなことはしないと信じている。
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