まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

物語の在り方強大な父親と息子が対立する作品では、安易に母親が故人になってるよね

「マクロスFrontier」の第十九話を見て、またか……と思った。

父親と息子が対立していると、必ず母親は死んでいる。
殺されたとか病弱だったとかいろいろあるけど。
ほぼ例外なく……、と言っても言いすぎではないと思う。
現在放映中のアニメだと「コードギアス」もそういう設定である。

父親と息子が対立すると、なぜ母親は死なないといけないのか。
それは母親のエゴを描きたくないからである。
「母親は子供に無償の愛を注ぐ」という幻想を守りたいから。
母親を生かしておくと幻想が破綻するので、「死んだ」という扱いにされるのである。
「マクロスFrontier」でも死んだ母親から愛されていたという描写がなされる。

現実には、父親と息子が対立しているような家庭で母親が息子を愛することなど無い。
というか、無いと思われてるからこそ、(フィクションでは)母親が故人扱いになるのだ。
父親が王様みたいに振る舞っていたら母親は父親の犬になる。
息子を盾にして自分を守るくらいは平気でやる。
そういう描写を避けるために「すでに母親は死んだ」という扱いになる。

父親が王様である家庭においては、母親は単なる飯炊き女。
母親は父親の下僕であり、決して息子の味方ではない。
繰り返すが、それが現実だと思われているからこそ、(フィクションにおいて)父親と息子が対立すると母親は故人扱いなのだ。

だったらどうすればいいのか、という問題ではない。
母親のエゴは、誰も受け付けないので、描かれない。
母親が死んだということにしてでも母性は守る必要がある。

父親と息子が対立してるけど「死んだ母親は無償の愛を注いでくれていた」という構図は悲しいものがある。
父親が強い家庭では母性が死ぬというだけのこと。
母親は犬のように生存していても、母性として死んでいるのだ。

やっぱり自分の母親がスネ夫みたいな性格の飯炊き女だとは思いたくない。
「無償の愛を注いでくれる母性」を人は求める。
それが母親の故人設定の正体である。
【2008/08/18】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方勝利はいいが、利益を得るのはよくない

よく「七人の侍」に対して、農民の方がしたたかだ、みたいな言われ方がされます。
それは(現実の農民や侍に対しての言及であるなら)あまり的確ではないような。。。
フィクションではああいうラストが妥当だと思うのです。
侍が勝利して、その手柄で利益を得たら、「七人の侍」は成り立たないのではないかと。
別に破綻するほどの問題ではないけど、あの作品の構図を考えた場合、勝っても得にはならないという結末がまさに妥当なのです。

つまり「七人の侍」を題材にして、侍と農民の関係を史実的に論じるのは、そもそも変なのです。
あのラストはフィクションとして、まさに当然という結末。
サムライが得するなんて、サムライの物語に反するわけですよ。
主人公が損するというのは物語の基本ですが、サムライは特にそうですからね。

利口なサムライとか私腹を肥やしたサムライが歴史上にいたとしても、それは主人公にはならない。
フィクションのサムライはあくまで損するのが役目。
(私腹を肥やしたサムライがいれば、それは主人公が倒すべき腐敗)。

現実だと勝利が成功につながるけど、フィクションでは違う。
フィクションでは勝利と成功の切り分けが必要。
勝っても、それで得をするのは、基本的に好ましくない。

主人公が利益を得るのは絶対に駄目だというわけではないけど、損をさせておくのが無難。
【2008/07/09】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方ヒロインが主人公をストレートに愛する場合はコメディー扱いでなければ

事例としては「うる星☆やつら」でも「ToLOVEる」でも何でもいいのだけど。
ヒロインが主人公をストレートに愛する場合は、コメディーでなければならない。
シリアスなストーリーであってはならない。

普通に真面目なストーリーで、どこかからヒロインが現れて、男性主人公のことを愛してくれるという作品は、たぶん好まれない。無いわけではないと思うし、そういう作品は平凡な発想で思いつきそうだけど、あまりよくないはず。

ヒロインが主人公に恋愛面の承認を与えるというのは、(真面目な意味での)物語になりづらい。
(少なくとも男性向けのラノベや漫画では)。

順風満帆に成功する物語ってフィクションでは基本的にあり得ないじゃないですか?
空想するのはいいけど、フィクションでは面白くないという。
空想とフィクションの違いの問題。

ヒロインと主人公の関係にしても、ヒロインが(コメディではなく大まじめに)主人公を愛して承認してしまうと、それは順風満帆な成功を描いているのと同じで、あんまりよくないのではないかと。

たとえば「新世紀エヴァンゲリオン」で、(アスカがいないとして)シンジの前に綾波レイが現れて、恋人のような立ち位置になってくれるとしたらどうか。
絶対に駄目というわけではないけど、今ひとつ据わりがよくない気がします。

よくヲタ系作品への批判として、「都合のいい女の子が現れて恋人になってくれるオナニー作品」みたいなことを言われるのですが、実はそういう作品は少ないかと。
(もちろんコメディーならたくさんありますよ)。
綾波レイが碇シンジの恋人になるようなテイストの作品は少ないはずです。
たくさんあるように見えて、実はあまり存在しない。
あるいは、ヒロインが主人公を愛するとしても、それが承認不足の解消であってはならない、ということかな。
【2008/07/08】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



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