Headline


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

キスをしようとすると邪魔が入るシーンを最近見ないが

キスをしようとすると邪魔が入るシーンというのは、一昔前の漫画などではかなり多用されていたはずである。
キスをしようとして邪魔が入らないという方がおかしかった。
でも自由恋愛の時代になったからなのか、どうもキスする展開になるとあっさりキスしてしまう場合が多いような気がする。
唇と唇を近づけたら、バタンとドアが開いて……という、過去の漫画で非常に多く見られた場面が少なくなっている。

邪魔が入るというのは、よい意味でストーリーを引っ張るのにとてもいい効果である。
当たり前のようにキスしたら恋人ということになって物語が終わってしまう。
キスしようとしたら邪魔が入って……という繰り返しにより、恋愛感情の発露はありながら、その達成には至らないという微妙な状態が作れるのである。

とはいえ、「キスの途中で邪魔が入る」というお約束は使いづらいだろうか?
だから変わり者のヒロインが増えるわけだ。
変わり者だから恋愛しないという。
恋愛の達成により物語が終わるとすれば、それを回避する手段が必要なわけだが、そのために使われるのが変わり者ヒロイン。
スポンサーサイト

人格の偏った人物を登場させる

最近のラノベでは性格の曲がったヒロインが多いわけだが、これは、ある種のネタである。
本当の意味でシリアスなストーリーではない。
ストーリーテリングの問題ではなく、キャラ萌えとしての問題である。

偏った考えの持ち主を登場させるのも、ストーリーを白熱させる方法のひとつだ。
誰でも知っている「巨人の星」を例に挙げよう。
あの作品はフィクションだから面白いが、普通に見たらとんでもない人間関係である。
星一徹は、漫画だからキャラとして親しまれるが、実在して自分の親だったらたまらない。
明らかに人格が偏っており、そしてそれが子供にも埋め込まれるわけである。

「巨人の星」では、そういう偏りが、たとえば大リーグボールへのこだわりなどの形で示され、物語としてはとても面白くなっている。現実だったら不合理で偏った生き方だからこそ、ある意味人間の本質というか、深い情念に触れる部分もあるわけである。

「新世紀エヴァンゲリオン」も人格の偏りで動いていく作品だ。あの作品に出てくる大人たちはほとんど異常と言っていい。大人たちに異常性があって、碇シンジを圧迫するからこそ、フィクションとしては面白い。バランスの取れた優しい大人と、引っ込み思案な少年の物語、というのではあそこまでヒットしなかった。あるいは、人の情念に訴えかけなかった。

現実だと人を不幸にするタイプの偏った人を登場させて、その独特の原理に巻き込まれる……というのはフィクションとしては面白いのだ。

フィクションの中での侮辱

侮辱というのは、フィクションの中で有効な要素である。
侮辱を巡って物語の動機が回転する。
現実だと我慢して終わりということでも、フィクションではそうはならない。
物語の動因になっていくわけである。
(作り話だからそうできるわけだ)。

自分が侮辱されて、それで喧嘩になるというのは、安っぽいヤンキー漫画に多いだろうか。「やられたらやり返す」というのは、あまり物語的面白さが強いとは思わない。
(やり返すのは現実なら必要だが、物語としてはあまり美しくないということ。必要なことと美しいことは違うのだ)。

「スラムダンク」でも豊玉戦は一番つまらない。
仙道とか牧を相手にするときは相手を尊敬しつつ戦っているわけだが、豊玉戦では馬鹿にされたから勝つというストーリーなわけである。
「スラムダンク」は漫画の歴史の中に燦然と輝く名作だが、豊玉戦はあまりよくない。
「スラムダンク」は全体として、"尊敬できるライバル"と戦うことで物語が動いているので、豊玉戦はある意味興味深い。なんでこんな話を入れたのだろう?

「見返す」にしても、相手の侮辱が下劣すぎると物語としては面白くない。

侮辱というよりは、雌伏の時みたいな感じの描き方の方が感動を呼びやすい。
「スラムダンク」で言えば、一年とか二年の頃の赤木はそうだったわけである。
酷い侮辱を受けていたというのではなく、認められない状態ということですね。。。


漫画などで非常に多いのは、正義の味方的な存在が、誰かの屈辱を晴らすということだが、当たり前すぎるので説明するまでもないだろう。
(そしてこれは陳腐ながらも、物語の王道である)。
自分が侮辱されて、それで戦うとヤンキー漫画的なので、利他的な要素を入れるための正義の味方である。

雑誌コードと廃刊と休刊

「全日本妹選手権」の最終回を読んでいたら、雑誌コードの話が出ていて面白いと思ったので、調べつつメモ。

雑誌が終わりになると、”廃刊”ではなく”休刊”となるわけです。
これは世間体というか、体裁を繕うために”休刊”と称しているのかと思ってました。
でも、実際は、雑誌コードが限定されており、それを使い回すために、”休刊”とするのです。
”休刊”にして、その雑誌のコードを別の新しく作る雑誌に流用するわけです。

http://www.ajpea.or.jp/column/column_200608.html

ちなみに雑誌は、「雑誌コード」という商品番号が誌名ごとに設定されています。雑誌が休刊すると、その雑誌の「雑誌コード」は共通雑誌コード管理センターで2年間保留され、その間もとの雑誌が復刊しなければ、また別の新雑誌に再び使用されることになります。

  また、雑誌のタイトル(題号)は商標登録されています。商標権の有効期間は10年。存続のためには10年ごとに更新が必要となります。休刊して3年以内に1回も発行がなかった場合、商標権は消滅しますが、これが事実上の「廃刊」ともいえるでしょう。


そうやって使い回したら、ややこしいのではないかと思っていると、本屋さんのブログにこんな記述が。

http://blog.livedoor.jp/honyanomura/archives/50118300.html

5桁の雑誌コードは限りあるもの。
創刊や刊行形態が変更になった雑誌の割り当てられる雑誌コードは、以前に休刊や廃刊になったものがほとんどです。

休刊になったときに予約台帳を訂正しておけばいいのですが、復刊されるかもしれないと残しておくと悲劇が起こります。

左図はラクプロⅡの定期改正画面。以前は「ミマン」だったコードが怪しげな雑誌に替わっています。
こんな場合は定期納品書が印刷された時点で気づくのですが、同じような雑誌なら間違って配達しちゃうことも・・・


雑誌コードがないと、書籍コード扱いになるので、いろいろ不利になるそうです。
どうして不利になるのかは調べても今ひとつわかりません。
(想像は付くのだが、あやふやなので書かないことにします)。

全日本妹選手権



確か2002年頃に、ネット内で不毛な論争を産んだ作品である。
オタクの女の子がたくさん出てくる作品なのだが、同人系の女性たちが「こんなのは本当の私たちとは違う!」と言って暴れたのである。
漫画なのに……。
洒落の通じない人が多いんですね……。

その当時読んでみて面白いと思ったのだが、しばらく存在を忘れていた。
いつの間にか完結していたようなので、最初からあらためて読んでみた。
ちなみに全七巻である。

第一巻の最初の方は、東京ドームでの「妹選手権」である。
この部分は、あまり面白くないので、ここで判断しないように。
ここを過ぎ去ると、いわゆる同人ネタに入っていく。
作品形式も四コマが主体となる。
この同人ネタの四コマがこの漫画の主軸である。

東京ドームの"妹選手権"的なギャグ漫画と、四コマ漫画が折り合わされるのだが、四コマの方がずっと面白い。

読み返しても、かなり楽しめた。
ただ、下ネタや不謹慎なネタで笑わせるのは最も安直な手法でもあるので、そのあたりは差し引いて考える必要はある。
本当の意味で賞賛できる作品かどうかはわからない。
ただ、面白いのは確か。

途中から、同人ネタは少な目になり、「やたらとオタク知識に詳しい」ということで笑わせる感じになる。
これも、楽しめる人は楽しめる。

全七巻だが、一巻目を読んでつまらないと思ったら、そこでやめた方がいいだろう。

四コマパートと、それ以外のギャグ漫画パートでは、四コマの方が明らかに面白い。
ギャグ漫画でも、比較的オーソドックスに笑わせるのと、ちょっとシュールなテイストで笑わせるのがあるわけだ。
この「全日本妹選手権」では、四コマパートがオーソドックスな落とし方で、普通の漫画パートはシュールな描き方になっている。
シュールに描いた感じのはあまり面白いとは思わなかった。
四コマパートのオーソドックスな笑いの方がよかった。

「記憶の回復」という謎解き

現実の人生においては、過去の記憶が甦るということはない。
しばらく忘れていたことを「そう言えばあんなことがあったな」と思い出すことはあるが、それは本当の意味で忘れていたわけではない。
つまり「忘れる」の意味の問題である。
現実において、記憶が甦ることがあっても、それは、しばらく思い出さなかったことを思い出した、ということだ。
記憶の底で閉じられていた箱が開けて、そこから過去の情景が浮かび上がり、物語が急展開するというのは、フィクション特有のものである。

幼少期の記憶が欠落していて、それを探すというタイプの話は無数にある。
何でなんでしょうか?
まあ面白いからなんでしょう。
それに「記憶の回復」の構図を使うと、謎解きにもなる。
回復によって、こんがらがっていた結び目がほどけて、謎が解かれるという具合である。
まあ本当の意味でトリックを駆使した「謎解き」ではないので、「記憶の回復」を”謎解き”というのには、躊躇もあるが、でもまあ一応謎解きっぽいことが出来るわけだ。

主人公の記憶喪失から物語が始まるという作品もわりとよくある。
記憶喪失の状態で誰かから面倒を見てもらって……、というような話ね。
自分が誰だかわからない主人公。
これも定番過ぎるけど、ストーリーを進めるだけで「自分は誰なのか」という"謎解き"になるからいいですよね。

赤松健と奥さん

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/916683.html

なんか写真を見たら、赤松健の奥さんが妙に可愛いので、なぜかショックと思ったが、(なんでショックなのかわからないが)、他の写真も探してみると、可愛く撮れているのは、光のあて具合がいいようだ。
実際は、そんなに特別に可愛いというわけではない。

あと、赤松健は昔は真面目そうな容姿だったのに、かなり変わってますね。小畑健みたいにアーミーナイフだけで捕まったりしなければいいけど。

偶然の積み重ねでピンチを切り抜ける

偶然の積み重ねでピンチを切り抜ける、というのは面白い作品の定番である。

もちろん「偶然が積み重なりすぎだろ」という批判もありうるのだが、かといって、必然的にピンチを回避するとなると、つまらない。
必然的に潜り抜けられる強さを主人公に持たせてしまうとピンチがピンチではなくなってしまうので、これまた問題がある。

たとえば「あずみ」なんかは、主人公が強いという部分と、偶然によってピンチを切り抜けるというところをバランス良く描いている。

結局「偶然無しにピンチを切り抜ける」となると、それは相手より強いということになってしまうので、それだと物語の迫真性が薄れる。

福本伸行の漫画とかだと、必然的に戦略を固めて、ピンチを脱出するわけだが、これは例外の部類に属するだろう。
基本的に多くの漫画の「ピンチ」はわりといい加減で、偶然の部分と、主人公の使える武器のバランスの関係である。主人公が強すぎるとハラハラしないので、使える武器がありつつも偶然の要素がないとピンチを脱出出来ない、という感じがいいわけである。

ローゼンメイデンの空虚で強い動機

物語は動機付けが必要なわけである。
キャラクターがどういう動機を持って行動するか。

動機でもふたつある。

1,状況による動機
2,内面による動機

「ローゼンメイデン」は「内面による動機」に分類した方が適切だと思われる。
彼女たちは一応「状況によってアリスゲームをやらされている」とも言えるのだが、たぶん内面の意思としてアリスゲームをやっていると捉えた方が適切である。

たとえば、”状況による動機”というのは、
「妹が病気で、特別な薬草が無いと死んでしまう。でも薬草を手に入れるには戦いに勝たないといけない」
というようなのを言う。
この場合は、戦わなければ妹が死んでしまうという状況があるわけだ。
逆に何ら差し迫ったことがないのに、妹想いであるがゆえに何かとても困難なことに挑むというのであれば、妹想いの内面の物語となるかもしれない。


「ローゼンメイデン」はある意味空疎で空虚な物語だ。
アリス、アリス、アリス、アリス、である。
お父様、お父様、お父様、お父様、である。
瀕死の妹を治す薬とは違って、「アリス」はわからない。
でも、それがこの物語のスタイルなのである。
状況としてアリスゲームをやる差し迫った理由が今ひとつわからないのだが、でも「アリスになりたい」という想いで物語は充分に回転しているわけである。
「お父様」というキーワードにしてもそうだ。「ローゼンメイデン」におけるお父様というのは、まさに内的な動機の問題なのだ。内面がそれを求めるから、ということである。
「AIR」のような親子の物語はここにはないのである。
ただ抽象的なシンボルとして、お父様、お父様、お父様……と求められている。
アリスになると瀕死の妹が助かるというようなわかりやすい利得がないだけに、動機の強さだけでキャラを立たせることが出来ている、とも言える。

一歩間違うと、何をやっているのかわからないストーリーになりかねないが、「ローゼンメイデン」は詩的な作品に仕上がっている。

ローゼンメイデンオーベルテューレ



ネタバレ回避ということで、浅めに書くと出来はよい。外伝的作品。このアニメが好きな人は満足できる出来映えでしょう。設定面では少し気になるところも。
自分は最初に「ローゼンメイデン」のアニメを見て素晴らしいと思って、原作を読んだらさらに素晴らしかった。
だから、アニメ版との違いがどうも気になります。
原作の進行が遅い状態でアニメを進めている状態なので、内容に祖語が出るのは当然で、スタッフの責任ではないけど。
この作品は漠然と見るだけでなく、いろいろ解釈したいような作品なので、アニメ版と原作版の違いがイヤなんですよ。ただ単に面白いだけの作品なら違っていてもそれはそれでいいんだけどね。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
アクセスランキング