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「ぼくらの」アニメ版感想



原作未読です。
アニメだけ見ての感想。
出来るだけネタバレ控えめにするつもりですが、多少はネタバレあるかも。


第一話:
作画はよいですね。
ストーリー的には、見ていて愉快になるタイプの話ではないですね。
「なるたる」の人の作品らしいけど、「なるたる」は挫折したんだよな。
なんか生理的にこの作者の作品は受け付けないかも。
一応もう少し見てみよう。

第二話:
作画は問題ないみたいですね。
ストーリーはまだ序盤という感じなので、何とも言えず。
こうやってロボットで戦うことの謎みたいなのを解き明かす話なのか、意味不明なまま進んでいくのか。
一応もう少し視聴継続。

第三話:
最初の頃の感じとして、この少年少女たちだけが敵のことを知っていて、人知れず戦うのかと思っていた。
そうではなく、みんなの前に怪物が現れて、それと戦うみたいな感じなわけですね。
ストーリーが少し動き出したという程度なので、もう少し見てみるか。

第四話:
このあたりはまだ序盤と言ったところか。
戦闘シーン自体に迫力がないのは、いわゆるロボットアニメではないからなのだろう。
意図的に、戦闘はナンセンスなものとして描かれている。
これが続くと退屈なので、そろそろ話の展開が欲しいところ。

第五話:
今回は戦闘は無し。
どうしてこういう状況になっているのか、説明されそうで説明されず。
まあそういう感じで引っ張っていくんでしょう。
登場人物の中で可愛い部類の女の子が教師とやっているという設定は「なるたる」の人らしいのかな。
いや、「なるたる」は途中で挫折したので、ストーリーも憶えてないんだけど。
読者が反発を覚えるような設定にすることでキャラを立たせると言えばいいのか。

第六話:
今のところ、彼らがどうして選ばれて、何と戦っているのかが説明されてません。
不可解なことによって興味を惹くというのも手法のひとつではあるのだが、このアニメの場合、今ひとつ機能していないような気もする。
まあもう少し見てみましょう。

第七話:
う~む。
たぶんこういう種類の話が出るのだろうなと予測はしていたので、やはりということなのだが。
エロゲーとかラノベとか普通のアニメだと、ヒロイン的な女の子の処女性を確保することが多いから、こういう性の描き方には違和感を憶えます。
エロゲーのやりすぎかも。
この作品での性の描き方は、青年誌的には、それほど不自然ではないのかな。
上品な感じの女の子を登場させて、処女性を壊すみたいな。
エロゲーは実は性には保守的なんですよね。

第八話:
原作未読なので、まったくわからないまま見ているわけだが、これって戦う理由がわからないままずっとストーリーが進むのだろうか?
理由のわからなさが物語の面白さとして機能しているとは思えない。
いや、最初から全部説明してもダメなんだろうけど、そろそろ大きな展開があるのだろうか。
こういう感じで話がずっと続くなら、脱落しそう。

第九話:
戦う理由は説明されませんね。
こうやって少年少女がひとりずつ死んでいくこと自体がドラマということなんでしょうか?
死ぬことを描き、命の重みというテーマ?
敵がたいしたことなく、戦闘自体がつまらないのも意図的なんでしょうか?
ロボット戦闘アニメへのアンチテーゼなのか?
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ビルドゥングスロマンは現実に反している

ビルドゥングスロマンというのがあります。
いわゆる教養小説、わかりやすく言えば、「主人公が成熟していく過程を書く物語」ということです。

ヘルマンヘッセの作品なんかそうかもしれないし、「機動戦士ガンダム」もそうかもしれない。
「新世紀エヴァンゲリオン」はビルドゥングスロマンを奇形的に書いた作品だと言っていいでしょう。
「エヴァンゲリオン」はビルドゥングスロマン的な体裁を取りつつ、主人公が反復的に挫折し続ける変な構造だけど、やはり根底にあるのはビルドゥングスロマンです。

ビルドゥングスロマンってフィクションの最たるモノだと思うんですよね。
作り話ならではということです。

実際に世渡りの上手いタイプのヤツを見ると、「未熟な人間が経験を積んで成熟した」とは思えないんですよ。
器用なヤツは小学生の頃から要領がいいんです。
未熟でナイーブな子供が経験を通して成熟した大人になるという人間観はかなり間違い。

あるいは「成熟」の定義の問題となります。
「成熟」というものに道徳的価値判断を入れるとかなりウソになるということです。
世渡り上手なヤツが「道徳的に立派で成熟した人物」かどうか、というとそれは違う。

ビルドゥングスロマンというのは、「人間的成熟=(道徳的に)立派になること」という考えに基づいてますが、これが人間社会の実状に基づいているかといえば、そうではないです。

適応力が高くて、いろんなところで中心になるような人物って、「道徳的に立派」とか「模範的な人物」であるとは限りません。
道徳的な見方からすれば、「模範的で成熟した人物がみんなのリーダーになる」みたいな発想になるのかもしれないが、それはビルドゥングスロマン的な幻想です。

あるいは、「未熟」はあっても「成熟」はないという言い方でもいいかな。
つまり「未熟なタイプの人間」というのはいるわけです。
そういう未熟な人は成熟してないのか、というと、それはそういう発想自体がおかしいんですね。
成熟(道徳的に立派になる、模範的人物になる)というのが幻想だから。

これは人間関係に「勇気」が必要になってしまうタイプの人と同じコトですね。
他人に話し掛けるのに「勇気」が必要であるとすれば、その段階でおかしいわけです。
普通の人は他人とコミュニケーションする時に、いちいち勇気を振り絞っているわけではないのです。
(つまり「勇気」が必要になってしまうのは、単純に言えば対人恐怖症の状態にあるわけで、通俗的なコミュニケーションプロセスから外れてしまっているということです)。


大人は子供に「フィクション」を教えることからスタートするわけです。
「夢は信じていれば叶う」とか「立派な大人になりなさい」とか言うでしょう。
しかし「立派な大人」とか「模範的な大人」というのは幻想なのです。


フィクションに関して言うと、「未成熟-成熟」というウソを信じた方がいいのです。
子供の頃から普通に要領がいいヤツが、うまく立ち回って要領よくポジションを得ていくという話を書いてもフィクションとしては面白くないんです。
リアルで上手く立ち回れたらそれはリアルでの利益だけど、それは物語として面白くないんです。


だからフィクションでは、基本的に不器用な人物が主人公になります。
そしてそういう主人公が不器用な人間特有の挫折を味わいながら「成熟」していくという物語にしたりするのです。
フィクションとしてはそれでいいのです。

ただしフィクションを真に受けたらいけません。
現実に適応力の高い人間は、ビルドゥングスロマンの主人公にありがちなナイーブさを最初から持っていないのです。

ビルドゥングスロマンは未成熟な状態への偏愛、あるいは、侮蔑を含んでいるのかもしれません。
富野監督や庵野監督は、自作の中ではナイーブな登場人物を使うのを好みながら、何かにコメントする時は、他人の「未熟さ」を見下すような発言もします。
「未熟-成熟」の葛藤関係を作るのが好きなんですね。

「巣作りドラゴン」



エントリー数が少ないので、何年も前にプレーしたゲームのレビューを書いてます。

「巣作りドラゴン」。

非常に面白いのですが、モンスターのバランスの設定が悪いので、意外とやり込めません。

このゲームは巣を作ってそこを基地にして、攻め込んでくる敵と戦います。
敵と戦うためのモンスターを雇用して、それで戦わせるのです。
こちらのモンスターは経験値を稼いで成長します。
その稼いだ経験値やレベルは、次の周回に持ち越せるのです。
つまり最初からもう一度やり直す場合、そこまでの経験値が蓄積されていて、そこから成長させる、ということです。
そうやって何度も周回しながら経験値を溜めて育成していくのが大変面白いわけです。
(そして周回するごとにヒロインを攻略したり、ストーリーが進んでいくような構造になってます)。

問題なのは、

・敵の必殺攻撃が強すぎる
・こちらが雇用するハラミボディというモンスターはそれを無効に出来る

ということです。

そして、そのハラミボディばかりを雇用するのも可能なのです。
15体のモンスターを雇用して戦うのですが、15体全部をハラミボディにするのも可能です。
自分なりに縛りを設けて、「ハラミボディは使わない」とかしてもいいのですが、いかんせん敵の必殺が強すぎるので、どうしてもハラミボディを使いたくなります。
この必殺攻撃への対応の部分が、すごくバランス悪いんです。
仮にバランスが絶妙で、こちらもいろいろ工夫してモンスターの編成を決めるということなら、最高のゲームだったのですが、相手側の必殺攻撃だけが極端に強い(そしてハラミボディがそれを無効化出来る)というのが、大きな欠陥になっているのです。

つまり敵の攻撃にバリエーションがあって、こちらもモンスターを使い分けたりということなら、かなり面白かったはずですが、結局ハラミボディだけを並べることになるのです。

ちなみにこの「巣作りドラゴン」はシナリオもかなりセンスがあって面白いのです。
グラフィックも綺麗で、操作性もいい。
これでゲームバランスさえきちんとしていれば、いくら賞賛しても足りないくらいの名作だった……。

とはいえ、お奨めのゲームであるのは間違いありません。
敵の必殺攻撃に対しては、単にハラミボディを多用すればいいだけなので、ストレスも溜まらない。
つまりゲームバランスが悪くてストレスが溜まるというゲームではないですね。
ハラミボディだけを使えば楽にいけるので萎えてしまうということです。

戦いは力くらべとしてのみ認められる

フィクションで喧嘩の場面はよく出てくるわけだが、現実の喧嘩について考えてみよう。
まず、お互いが全力で殴り合うような喧嘩は、現実ではほとんどない。
ものすごい殴り合いの喧嘩を見たことのある人はかなり少ないと思う。
というより、そういう喧嘩がたくさん発生していたら、喧嘩で死ぬ人がどれだけ出るか。

フィクションだと弱い側が強い側を攻撃して、「痛くも痒くもないわ。ワハハ」と笑われる場面があるが、現実ではあり得ない。
弱い側が強い側を本気で攻撃したら、その段階で怪我をしてしまうはずだ。
強者が不死身ではないからこそ、ルールがある。
強者が不死身で、弱者に攻撃されても「痛くも痒くもないぜワハハ」なら、ルールを作る必要がないのです。
実際、このエントリーを読んでいるあなたが「弱者」だとして、「強者」を全力でぶん殴ったことがあるかというと無いはずだ。

喧嘩は要するに「力くらべ」ということであり、「力くらべ」というのは認められている。
強者が弱者を攻撃するのは、「力くらべ」の延長として認められている。
多少の怪我なら、「力くらべ」ルールが適用される。
それに対し、弱者が強者を全力で攻撃したら、それは力くらべのルールに違反するわけだ。

フィクションも基本的には「力くらべ」を重んじる。
弱者が強者を後ろから攻撃してあやめてしまうような場面もないではないが、それは基本的に犯罪の場面の描写だ。
推理小説の殺しの場面とか、そういう悪事の場面。
ごく自然に弱者が強者を不意打ち攻撃して、それで倒して終わりというのはない。

「らき☆すた」アニメ版の感想



「らき☆すた」アニメ版の感想です。

第一話:
らき☆すたの原作の方は、特段に素晴らしい画力とは言えないが、流行りを押さえた絵ではあると思います。

アニメ版の方はどうでしょう?
この古い絵柄には何か意図があるのか?

すでに原作を読んでいる状態でアニメを見るとテンポが悪いように感じるんですが、原作未読でアニメから見てる人はどうなんだろ?
こういう緩いタイプの作品だと、逆に場面の切り替えを早くしたほうがいいと思うんですが、場面切り替えが少ないので、延々と会話しているだけみたいな具合になってますね。

原作は「あずまんが大王」とか「トリコロ」みたいな感じだけど、アニメは「アキハバラ電脳組」みたいな感じ。


第二話:
第一話の冒頭で延々と会話していたみたいなのは無し。
テンポは普通ですね。
こういう緩いタイプの作品だと、もっと早く切り替えた方がいいかと思ったり。

作画が古臭いのはちょっと……。
意図的にアナクロにしてるのか?


第三話:
あまり変わり映えしない。
原作は会話漫画なわけですが、アニメも会話アニメですね。
動きがないから工夫のしようがないとすれば、せめて絵の綺麗さで楽しめれば……。


第四話:
もう期待はしない。
そう思ってみたら、意外と面白いかも。
今回はわりと場面転換が多くて、アニメみたいな出来だったような。
いや、アニメなんですけどね。


第五話:
確か監督が代わったんだっけ。
あまりフォローしてないので、そのあたりわからない。
なんか普通のアニメになりましたね。


第六話:
変なパロディーその他はともかく、絵的には普通のアニメ。
第一話とか第二話あたりは、単なる失敗だったのか、壮大な実験だったのか?


第七話:
なんかすっかり普通の作品になりましたね。
いや、普通の作品じゃないのかもしれないけど、最初が最初だっただけに。

第八話:
今回のは原作にない話が中心でしたかね。
いや、単に原作で読んだのを忘れているだけかもしれないけど。
背景が相変わらず落書きみたいですが、これはこのままなんでしょうね。
意図はまったくわかりませんけど。


第九話:
「極上生徒会」みたいな一話でひとつのストーリーという作品だと、つまらない場合はとことんつまらないです。
「らき☆すた」は、原作に無い話の場合でも、四コマスタイルを守ってますね。
二分くらいでひとつのエピソードという感じなので、テンポはよいです。


第十話:
「極上生徒会」よりは面白いかな。
いや、「らき☆すた」程度の四コマはいくらでもあると思うんだけど。
四コマ形式で進めていくアニメってなぜか少ないよね。
もっとたくさんあればいいのに。
(ここで言う四コマ形式とは、全体としてストーリーが無く、場面が次々切り替わっていくという意味ね)。


第十一話:
らっきーちゃんねるとやらを見なければ精神衛生上よいということに気づいた。


第十二話:
コミケの話。
普通ですね。
でも大きなお兄ちゃんたちは、こういうのがツボを付かれるんでしょうね。


第十三話:
女子高生の日常といいつつ、バレンタインデーとかに縁がないような子ばかりなのですね。
いや、女の子に恋愛させないのは基本的なことですけどね。


第十四話:
毎回感想を書く意味が無いような気がしてきた。


第十五話:
特になし


第十六話:
特になし


第十七話:
オタク関連の話題がいつも同じような……?
いや、これはカツオが毎回怒られているようなもので使い回しではないよね。
ほのぼのとしたアニメなのに柊家だけ妙に殺伐としているのは何か意図があるんでしょうか?
兄弟姉妹が多いと邪魔であるという現実をよく描けている……ということか。


第十八話:
いつも通り。


第十九話:
プロ野球中継が延長されるとアニメの録画に差し支えるというネタが頻繁に出てくるけど、これは時代に合わなくなってきたな。。。


第二十話:
いつも通り。


第二十一話:
修学旅行のイベントは面白くなかったような。
この作品の場合、普通の学校行事は無理して入れない方が。。


第二十二話:
後半はいつもと違うテイストでしたね。
たまにはいいかも。
基本的にこの作品はストーリーが無くて切り替えが早いのがいいんだけど。


第二十三話:
いつの間にか、つかさの影が薄くなりまくり。
でも、妹萌えとして機能してなかったので、つかさを控えにして、ゆうちゃんを入れたのはよかったのかもしれない。


第二十四話:
最終回。
文化祭の話。
このアニメの場合、学校行事が絡むと、どうも間延びする気がするんだけど。。。

「ゼロの使い魔」と「アニメ三銃士」



http://d.hatena.ne.jp/imaki/20060821

このページは有名ですね。
「ダルタニアン物語」読んでみたいんだけど、高いですね。
それにこういうタイプの作品の場合、積んでおくだけになりがちです。
ただでさえ、読んでない本や漫画が大量に溜まっているのに、読むかどうかわからない高い本を買う勇気はないです。

なので、「アニメ三銃士」の適当な記憶で語りましょう。
実際、考えてみると、「ゼロの使い魔」と「アニメ三銃士」って似てますよね。

「ゼロの使い魔」が面白いのは、主人公がアホでタフなところです。
あるいは、それだからこそ、ルイズのキャラがイヤミにならない。
主人公が繊細で、ルイズがそれに対して意地悪したらホントに悪い女になってしまう。

「アニメ三銃士」のダルタニアンもアホでタフです。
キャラとしてはよく似てますね。

あと、「アニメ三銃士」のアンヌ王妃と「ゼロの使い魔」のアンリエッタは立ち位置が似てます。
(アンリエッタとはルイズの幼なじみの王女です)。
「アニメ三銃士」でアンヌ王妃の問題を解決する構造と、「ゼロの使い魔」でアンリエッタの問題を解決する構造は似ています。
また、
・才人-ルイズ-アンリエッタ
・ダルタニアン-コンスタンス-アンヌ王妃
の関係も似ていると言えるかもしれないです。

「アニメ三銃士」は陳腐な話ではあるのですが、とても面白いです。
主人公が次々とピンチに巻き込まれ、それを解決していくだけの話なんですが、やはりピンチの連続を作ると、それだけで物語はかなり面白くなります。
「アニメ三銃士」はちょっと主人公がピンチに陥る回数が多すぎるかなと思うんですが、まあ面白いわけですからいいんでしょう。
やはり不安定状態を回復するというのが物語の基本ですからね。

あと、悪人の描き方もわりと似ているかもしれません。
「ゼロの使い魔」では漫画的な悪人が多いですよね。
つまり、本当の意味で嫌な悪人が出てきて鬱展開するということはないわけです。
わりと小学生向けのアニメに出てくるような悪人が多かったりする。
「ゼロの使い魔」は多少エッチな要素は出てきますが、それを除外して言えば、小学生向けアニメ的な作品かなとも思うのです。

「EVER17」(ネタバレ注意)



エントリー数が足りないので昔のゲーム作品のレビューで埋めています。

「EVER17」は何も知らない状態でプレーした方が面白いので、未プレイの人は以下の文章を読まないでください。


素晴らしい作品です。

まず素晴らしい点は(3Dで動くわけではないですが)CGで作られたデザインがカッコイイ。
操作性がいい。
絵柄の出来もよい。
SF設定も緻密でいい。

シナリオ以前の部分がとてもよく出来ているわけです。


ただ最初の部分のSF設定の細かさがカッコイイと思うと同時に退屈だというのもありました。
掴みとしてよくないのです。
カッコイイ感じにまとめているけど、シナリオの出だしとしては面白くないのです。
包装紙は綺麗だけど、中身がスカスカという印象です。

このゲームは一応並列型ノベルゲームです。
同じスタート地点から毎回始めて、それぞれのヒロインのエンディングを見ていくというタイプのゲームです。

ノベルゲームは大雑把に並列型と直列型があると思うのです。
直列型とは、ヒロインの攻略順が決まっていて、ひとりクリアするごとに物語が進行していくゲームです。

EVER17は表面上は並列型です。

このゲームの場合、

・ヒロインの物語
・閉じこめられたところから脱出する物語

のふたつの側面があるわけです。

この作品は並列型であるために、「脱出する物語」の部分が、周回するたびにダレるのです。
あるいは「極限状況もの」としてよく描けていない。
まあ極限状況でキャラがいがみ合うとこの作品にふさわしくないので、そのあたりは意図的に緩くしたのかもしれないです。
ともかく周回するたびに一応のエンディングに辿り着くので、状況の物語としては、並列型であることによる悪い面が出てます。
全然緊迫感がないのです。

一周目の中盤あたりからはドキドキしながらプレー出来たのですが、何周かしていると、わりと作業になってしまう。

しかし、そのだるさがひっくり返るのが最終章のココ編です。
これによって、今までのストーリーがひっくり返るのです。

雑に言えば、このゲームは「叙述トリック」です。
叙述トリックとは何かというと、たとえばAという人物が語っているのかと思ったら、実はBという人物が語っていたということです。
つまり文章の記述の仕方によって仕掛けるトリックです。
そういう叙述レベル(描写レベル)での仕掛けがあるわけです。
最終章で、そういう仕掛けを全部バラしていくタイプのストーリーなわけです。

最終章の前までは、普通の並列型ノベルゲームに見えるわけです。
それぞれのヒロインに物語があって、それぞれエンディングがあっておしまい、という。
でも実際は、最終章(ココ編)で、今までのエンディングが解きほぐされます。
最終章で、今までのストーリー全体が痛快に説明されて連結されていくわけです。

やっぱりこのゲームはある種の叙述トリックだから、ネタバレになるので語りづらいですね。
ネタをあらかじめ教えた上でプレーさせたら楽しめるかどうか。
トリックのネタばらしというのは、どんな場合でも禁物ですが、これは叙述トリック系なだけに、特に厳しいです。

同じ建築物を建てるというトリックは、とある推理小説で読んだような気がします。
というより、「同じ構造の部屋だっただけで実はまったく別の場所の部屋だった」みたいなのは、わりとよくあるトリックです。
簡単に再建出来るものだと、ありがちな設定になってしまうので、海中テーマパークの再建というところまで大きく出たということでしょうか。
そこまで派手にやらないと、ありがちなトリックになってしまう。

他にも、「これはちょっと無理なのではないか」という部分はありますが、漫画的な設定だと考えれば、かなり楽しめる作品だと思います。
それぞれのヒロインのルートに関しては、攻略時間が短くなるような工夫をして欲しかったです。
このゲームは肝心の最終ルートに入るまでが長いので、それがかなり難です。
最後までプレイしないと意味がない作品なのだから、途中を短くするようにして欲しかったですね。

「ままにょにょ」



エントリーを増やすために、昔のどうでもいいゲームのレビューをやってます。

「ままにょにょ」は、アリスソフトが2003年に発売したゲームです。
中毒性が高くかなり楽しめます。
アリスソフトのゲームのいろんなキャラが総出演して戦うというゲームです。
延々と無限に戦う底無しのゲームです。
システムとしては、1999年の「ママトト」をベースにしてます。
とは言っても「ママトト」と似ているのは表面的な部分で、実際の仕組みは違います。
「ママトト」は面クリア型であるのに対して、「ままにょにょ」は延々と戦うゲームですから、違いは結構あります。


「ままにょにょ」はプレイ時間の長さでも知られます。
何しろ無限にダンジョンが続くので、数百時間は当たり前、あるいはそれ以上……という世界です。
(クリアするという概念がないので、飽きるまでプレーするゲームです)。
私の場合、100時間を越えることなく挫折しましたが、これではかなりのひよっ子という感じです。

私がこのゲームに挫折した理由として、好きなキャラが必ずしも選ばれていないというのがありました。
追加パックなども含めると約100名のキャラがいるのですが、それは数多くのアリスソフトのゲームから選ばれているわけです。
アリスソフトはこの業界随一の老舗ですから、たくさんのゲームを出してます。
だから自分のお気に入りのキャラが漏れている……、というのもあります。

それとステータスを分析し始めると、どうしてもキャラの格差が気になるというのがあります。
あるいは、ステータス表を見ないでプレイしたとしても、実際に使っている感覚として、自分のお気に入りのキャラがしょぼすぎるという現実があるのです。
要は強いキャラと弱いキャラの格差があるので、それが結構萎える。
もちろんターン制限のないゲームなので、弱いキャラを選択したら余分に経験値稼ぎをすればいいだけのことです。
弱いキャラを使うとクリアできないなんてことはありません。
でもどうも今ひとつ納得出来なかった。
それぞれのキャラに一長一短があり、全体としてバランスが取れているという具合にして欲しかったな……と思う。
強キャラと弱キャラが半々くらいのバランスならまだよかったのですが、どうも一部の強いキャラとそれ以外の使えないキャラという配分になっているように思えるのです。

こうやって書いているとまるで否定しているかのようですが、実際はかなり面白いのです。
面白いがゆえに、逆に不満が生じたということです。
まあ「自分のお気に入りキャラが弱くても構わない」という人にはたいした問題ではないです。
ゲーム自体はよく出来てますからね。

次回作があるのかどうかわからないけど、今までのアリスソフトのやり方を見れば、そろそろあるような気がします。
次は「大番長」や「戦国ランス」のキャラを入れて売り出すと思いますね。
「大番長」はターン制限が厳しいので二度とやりたくないゲームですが、天楼久那妓は好きでした。
「戦国ランス」からはみんなの好きな上杉謙信が入りますよ。

「ランス5D」



エントリー数を増やすために昔の作品のレビューで埋めてます。

「ランス5D」。

この作品に関してはネタバレも何もないでしょう。
通常の言い方では外伝的な作品ですね。
ただ、アリスソフト的には、「鬼畜王ランス」のような”別設定作品”を”外伝”と呼んでいるため、外伝という言葉の使い方は少しややこしいです。
まあ外伝という言い方を避けるなら、「ランス5D」は短編的とでも言えばいいでしょうか。
設定としては正史の中に属します。

キャラクターとしては、リズナとコパンドンが初登場します。
リズナはこの後、「ランス6」と「戦国ランス」に登場します。
コパンドンは「ランス6」には出てきましたが、「戦国ランス」には登場しません。
「ランス6」でも才能限界が低いので、終盤では使えないキャラでした。

さて「ランス5D」。
クリア時間は短めですね。
たぶん10時間か20時間程度。
ちょっと変わったゲームシステムなので、途中でやり直す必要があるかと思います。
変わったゲームのコツを掴んで、やり直しつつ、やり方を理解していくゲーム。
そういうやり直しや試行錯誤を含めても20時間掛からないゲームです。
やりこむタイプのゲームではないです。
一度クリアしたら、それまで。
普通に面白いゲームです。
操作も快適で難易度も高くなくストレスは溜まりません。
是非ともプレーするべきゲームかというと、そうではありません。

「ONE~輝く季節へ~」と「ふろん」(ネタバレ注意)



ときどき岩泉舞の「ふろん」と、恋愛ノベルゲーム「ONE~輝く季節へ~」が似ているという話が出たりします。
実際のところどうなのか。


「ふろん」の粗筋を書いてみようと思います。
「ふろん」は1989年の漫画作品なので「輝く季節へ」よりずっと前の発表です。
(「ふろん」は短編で、「七つの海」という作品集に収められています)。

漫画を文章で説明するということになるので、ちょっと難しいですが、大雑把にはこんな粗筋ということです。


主人公の少年は階段を八重垣さんという同級生の少女と昇っていた。
その途中で、誰かに呼び止められたような気がした。
どこかで聞いたような声だったが、わからなかった。


そして翌日、主人公は学校に行く。
下駄箱のところで、後藤という友人に話しかけると妙な反応。
「あ?」
「何」
「なんだかさっぱりわからん。だからお前の名前がさ」
「名前?」
主人公の少年はあらためて考えて、自分の名前を忘れているのに気づく。
それから教室に入って、女子生徒に自分の名前を尋ねてみるが、
「あら、そーいえば」
「名前だけ思い出せない」
という反応をされる。
主人公のことは知っているが、名前は忘れてしまったというのだ。
それから授業が始まり、教師が出欠を確認したが、主人公の名前を失念したという。
出席簿にも名前がないというのだ。
それから放課後になって、主人公は下校した。
同級生の八重垣さんと一緒に帰った。
「気にしないでよ、名前無くしたって、友達でしょ」
などと慰められた。


主人公の少年はそれから八重垣さんと別れ、ひとりで歩道をとぼとぼと歩いた。
すると、主人公の側の壁の上を少女が歩いていた。
「こんにちわ」
白い服に裸足で歩いている、妙に幻想的な女の子だ。
「なんなんだ、お前?」
「あたし、あなたの名前知ってるわ、ふろんよ」
「俺はそんな変な名前じゃ」
「でも、ふろんよ」
それからいくつかやり取りがあった後、
「名前以外の落とし物にも気を付けてね」
と言って幻想的な少女は去っていく。
主人公は家に帰り、母親に自分の名前を尋ねるが、忘れたらしい。


それから学校の職員室に場面は移る。
「いや、君がこの学校の生徒とゆーコトは覚えとるんだが、なんとどの書類にも君の名前が残っておらんのだよ」
と教師は言う。
「ワシもだんだん自信がなくなってきた。君がほんとーにうちのクラスにいたのかどーか」
その後、主人公は屋上でひとりになった。
そこにまた幻想的な少女がやってくる。
「個性の次は名前。そうやってあなたは何もかも失っていくんだわ」
「阿部夏美のユーレイさん」
主人公は少女をふりかえり、言ってみた。
しばらく沈黙があった後、
「当たり、よくわかったわね」
と幻想的な少女は答えた。
「昨日アルバムしらべてて思い出したんだ。小学校三年生の時に同じクラスで、たしか交通事故で死んだ、ナッちゃんだろ」
主人公はそれから夏美に話を続けた。
「今のオレのフツーでない状況に、説明つかないかなあ?」
「フツーって、何?」
「フツーってのは、名前があって……」
「あのね。落としたのよ。名前。社会のヒズミの中にね」
それから会話がやり取りされた後、主人公は、
「ねえ。ふろんって何?」
と尋ねた。
「かえるさんって意味なの。"ふろっぐ"で"ふろん"。あたしがつけたの」
「かえる!?」
「そう。脳味噌も名前もない。あわれなかえるさん」


主人公が教室に行くと、自分の机の上に花が置かれていた。
「なんで俺の机の上に花があるんだ?」
主人公は同級生に問い詰めた。
「この世に名称が存在していないってコトは。おまえもこの世に存在していないってことじゃん」
同級生は答える。
「俺はここにいるんだぞ!」
主人公は自分を指差しながら叫ぶ。
「なんで信じないんだよ。俺を殺すな!」
「だって!」
と八重垣さんが立ち上がる。
「あたしあんたのこと忘れそうだもの。最初は名前で。あんたがどんなヤツだったかって。思い出そうとして、だけど、だけど」


主人公は幻想的な少女(夏美)との会話を思い返す。
「かえるってね、脳味噌がなくても泳げるんだって。生きてるわけないのよね」
主人公はそれを振り返りつつ、独白する。
「同じだ。自分の考えで動こうとはせずに、周りの反射だけで動いている。頭を切り取られて泳ぐカエル。群れをなして泳ぐカエル。それがオレ達だと言いたかったのか」


それから主人公は幻想的な少女(夏美)にどこかにつれていかれることになる。
「つれてくって、どこへだよ?」
「言葉じゃうまく説明できないわ。そうね……、あなたが堕ちたところ。社会のヒズミ」
それから主人公は夏美に手を引かれていく。
その途中で、主人公は階段を昇る八重垣さんの姿に気づく。
「八重垣さん」
主人公が叫ぶと、八重垣さんは振り向く。
でも、
「気のせいか、どこかで聞いた声だったんだけど……」
と去っていく。
フェイドアウトするように話は終わり。




「One~輝く季節~」は「ふろん」と似ているのか?

・自分の存在が周りから消えていくというところが似ている。
・「ふろん」の幻想的な少女と、「One~輝く季節へ~」における幼い長森瑞佳の立ち位置がわりと似ている。


言うまでもなく、他に類例が見いだせない独創的な設定などありません。
このケースにしても、よくある一致と言えばそれまでです。

また、大ヒットする作品はたいてい設定がありがちです。
「○○」と「△△」は似ている!とか言ったりするのは、無意味なのです。

「One~輝く季節へ~」の場合、「設定が斬新で衝撃を受けた」という感想が多かった気がします。
そう言ってしまうと、「似たような作品あるよ、ほら」と提示されてしまうというところはあります。

まあ設定などテンプレです。
本当に類例が無い作品など存在しない。
独創とかパクリだとか安易に言うべきではないのです。
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