まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

物語の在り方ラノベの主人公をイケメンにするのはどうなのか?

フィクションで、男主人公が不細工な容姿であることは意外と少ないです。
恋愛が中心要素でない作品でも、不細工な男主人公というのは、それほどいません。
(もちろんいないわけではないですよ)。

たいていは平均的な容姿に設定することが多いわけです。
それなりに顔立ちは整っていて、でもイケメンではないという程度にすることが多いですかね。

ラノベだと、意外と、主人公の男が長身でイケメンだとかいう設定が結構あるような気がします。
周りの女の子が「○○君ってかっこいいよね」と言うようなキャラクター性を持った人物が主人公に据えられることが少なくない。

なんでなのか、今ひとつわからないです。
物語効果の観点から言えば、長身でイケメンの男とかを主人公にしたら、ヒロインのキャラが立たないわけですよ。
イケメンの男というのは、単純に言えば、選べる立場にあるわけです。
可愛い女の子を目の前にして、「こんな女の子には手が届かない」ということはないわけです。
つまり可愛い女の子に手を伸ばせば届くわけです。

構造性の問題なわけですよ。
普通の男の視点から見ることにすれば、手が届かないヒロインとして一段階上に置くことが出来る(ヒロインのキャラを立たせることが出来る)のに、イケメンから見たら、そのあたりは相対化されてしまう。

主人公の男をイケメンにしたら絶対にダメだというわけではないですが、ヒロインのキャラを立たせづらくなるのは間違いないです。
実際、ヒロインのキャラクター性を中心に回っていくタイプの物語では、主人公の男の容姿は平均的なところに設定されているはずです。

「主人公がイケメンだから特別に可愛い女の子と付き合える」というのでは、フィクションとしてダメです。
現実にイケメンで特別に可愛い女の子と付き合えたらいいだろうが、フィクションでそんな話は面白くないのです。
対象が簡単に手に入ってしまうというのは、現実なら素晴らしいが、フィクションとしてはつまらないということです。
【2007/06/30】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「ICO」宮部みゆき



以下のエントリーは一応ネタバレ控えめです。

「ICO」というゲームをプレーしたのは5年くらい前のことだと思います。
とてつもなく鮮烈な印象を受けた素晴らしい作品でした。

さて、宮部みゆきがこの作品をノベライズしたわけです。
ゲーム自体には宮部みゆきはまったく関与してないはずです。
ゲームが出て、それからしばらくしてから、宮部みゆきがノベライズをしたということだと思われます。

今さらながら読みました。
読もうと思いつつも読みそびれていたのです。
文体は文学っぽいファンタジーと言えばいいでしょうか?
ライトノベル的な文章とは全然違いますね。
当然ながら、文章自体はとてもよく書けてます。

サスペンス要素が作られてないのがちょっと残念。
宮部みゆきの作品は基本的に「続きが気になる」という要素を作りながら話を進めていきますが、この作品はゲームのノベライズのため、そういう工夫が出来てないです。
宮部みゆきなら、やろうと思えば「続きが気になる設定」をたくさん組み込めたのかもしれないけど、ゲームの世界観を壊さないように、ということなんでしょう。

中盤の方では、ヒロインがこの城にいる理由について説明されます。
(ヒロインの過去の生活について延々と描写されます)。
ゲームでは説明されないわけですが、宮部みゆきのフィクションとして説明しているということです。
この部分は何とも言えず。
「ICO」は城を抜け出す作業ゲームであり、ストーリー自体が短いので、ノベライズするなら、こうやって設定の空白部分を埋める書き方になるのかな。
(抜け出す作業の部分を延々と書き続けるのは無理があります)。

このゲームは設定が空白であるのがいいと思うので、「蛇足」に感じるのも確か。
「ICO」のヒロインは無口キャラなわけです。
わかりやすく言えば、綾波レイ的なヒロインなわけです。
だから、ホントは内面描写も避けるべきなのです。
小説版の中盤では、ヒロインが話す場面や内面描写が多いのでそれがどうなのか……。
小説で内面描写をするというのは、キャラクター性の問題として言えば、実質的にそのヒロインが話しているのと同じなんです。
無口キャラとして立てるためには、内面描写もせず、当然セリフも喋らせないということにしないと……。

宮部みゆきファンとして敢えて言う。
この作品は特に読まなくていいと。
いや、読んでも差し支えない作品ですけどね。
いろいろ妥協があって、ちょっと中途半端な作品になったかもしれません。
【2007/06/29】 | レビュー | トラックバック(1)



ネット社会「知名度の低い有名人」とブログ

ブログ界で有名な人というと、純然たる素人ではない場合が多いです。
元からある種の有名人だったりするわけです。
世間的にすごい有名という意味ではなくて、「知名度の低い有名人」と言えばいいのか……。

有名人と言っても、知名度はピンからキリまであるわけです。
その中で知名度の低い有名人は個人サイトっぽいブログをやる。

一昔前は(ブログが登場する前は)、素人がインターネットで活躍してカリスマに……というような幻想があったと思います。
これは現在ではかなりなくなりました。
特別な肩書きなどない素人がネットで頑張っても「カリスマ」にはなれない。
「カリスマ願望」を持ってサイトを運営している人は、昔はたくさんいたと思うんですが、最近はかなり減少しているはずです。

ブログが台頭して、逆に素人の活躍が目立たなくなったというのは奇妙です。
ブログが市民権を得たのなら、それをやっている素人がカリスマになってもいいのではないか?
では、なぜカリスマになれないのか?

単純に答えを言えば、大手サイトをヨイショする必要性が薄れたからというのが大きいです。
トラックバックとpingがある時代においては、人間関係を作って営業する必要がないですから、「大手サイトを褒める」というのはなくなったわけです。
褒めるメリットがないなら褒めないというシンプルな話です。

でもアクセス数自体は増えているわけです。
素人が運営していて、昔のサイトとは比較にならないほど多大なアクセス数を集めているブログはたくさんあります。
でも「カリスマ」ではないのです。
これは前述したようにカリスマ扱いすることで人間関係に食い込む必要がなくなったからです。
普通の閲覧者の数は増えても、取り巻きっぽい人は減ったわけです。
取り巻きをやるメリットが無くなったのだから、わざわざやる人はいないでしょう。

そういう状況があって、「知名度の低い有名人」の人のブログの方がキャラが立っているのかなという気がします。
やはり社会的に肩書き持っている人は強いですからね。
わたしたちは、ある種の儀礼として、有名人には取り巻きっぽいスタンスで接するわけです。
あるいは有名な人に対する時は、特別に扱う儀礼が求められるから、一応そうしていると言えばいいのか。
たとえばあなたが有名人に接触したら、一応儀礼としてでも「わあ、有名人に逢えたよ!」みたいなことを言うでしょう。
つまりお約束として「取り巻き」っぽい行動が求められるわけです。
だから有名人はカリスマなのです。

要は「カリスマ」というのは、取り巻きがいるか否かの問題なんですが、素人ブログ周辺にはいなくなったということですね。
取り巻きを集めるのが好きで、そういう感じでやってる素人ブログもありますが、それが得策とは思えません。

前述したように、素人ブログの閲覧者自体は劇的に増えているわけです。
今のところは、その閲覧者の多くが、「単に見ているだけ」という感じなのです。
それは健全なことだと、わたしは思いますね。
【2007/06/28】 | ネット社会 | トラックバック(0)



雑記浅井ラボという作者について考える

ライトノベル作品には、作者名が重要である場合と、そうでない場合があると思われます。

たとえば「ゼロの使い魔」の作者名に意味があるでしょうか。
たぶんあまり意味はないでしょう。
「灼眼のシャナ」の作者名に意味はあるでしょうか。
たぶんあまり意味はないでしょう。

作者名はどうでもよく、「ゼロの使い魔」という作品、「灼眼のシャナ」という作品として成り立っているわけです。
作品名は知っていても作者の名前は知らない人もいるかも、、と言えば言い過ぎかもしれないが、そういう部分はあるわけです。
作者名は前面に出てこない。
ライトノベルにおいて作者名は、分類番号程度の意味合いでしかないことが多いのです。

しかし、「されど罪人は竜と踊る」や「TOY JOY POP」の場合、作者名を外しては考えられないでしょう。
「浅井ラボが書いた」ということが重要なのです。

単純に言えば、浅井ラボの作品は物語として壊れているわけです。
普通に読んだらおかしな話なので、そこのズレの部分を作者のキャラとして汲み取るわけです。
物語のズレの部分に浅井ラボがいるのです。
人によっては投げ出すかもしれないし、人によっては、絶賛するかもしれない。
ズレの部分に作者の姿を見ることで、「物語」になるわけです。

普通にライトノベルを読む場合、これはあり得ません。
浅井ラボはサブカルだということなんでしょう。
ライトノベルではなく、ライトノベルのレーベルから出ているサブカル小説。

不謹慎なことや不愉快なことを表現するというのは、実は賞賛されるための近道です。
賞賛されるには、不謹慎なことを書くのが手っ取り早い。
えげつない表現に対して、人は不安になりますから、怒ったり、逆に賞賛したりするわけです。
ある意味どちらも防衛本能なのです。
「怒る」のと「賞賛する」のは、不愉快さに対する防衛の仕方として、共通しています。
作者が読者を試しているような構造があるわけで、そういう軸の中で作者に同一化するかどうかということですね。
人間が他人を賞賛する場合、相手に同一化していることが結構あるのです。

要するに浅井ラボが「読者を選ぶ」というのは、何か高度なことをやっているというわけではなく、不謹慎なことを書けば、一緒になって喜ぶ人間と、怒る人間に分かれるというだけのことです。
【2007/06/26】 | 雑記 | トラックバック(0)



レビュー浅井ラボ「TOY JOY POP」



以下のエントリーはあまりネタバレはないと思いますが、物語の設定は普通に説明しています。


「されど罪人は竜と踊る」の作者の作品。

簡単にいうと、からだを売っている女子高生の話です。
話はテンプレなんですよ。
90年代によくあったタイプの作品で既視感があります。
可愛い女の子が売っていて、それにショックを受ける男を書くという感じですね。
売っている女の子は無敵で、ショックを受ける男は脆弱という描き方。
「TOY JOY POP」は2006年の作品です。
なんで2006年になって、こんな作品書いてるのかという感じです。

この作品のいやらしさは、この手の作品のテンプレが持っているいやらしさですね。
女の子のえげつなさみたいなのを書いて、「これが現実の女なんだ」みたいなメッセージ性が嫌ですね。
庵野秀明監督みたいなことはやめてほしいものです。
現実の男女関係の問題ではなく、作り手の男と受け手の男の関係の問題をやってるわけです。
メディアを通して、(女の子をダシにして)男が男を攻撃するというのは、80年代から90年代までによくあった構造ですね。最近はネットの普及もあって、そういうのは弱まっていると思われます。


浅井ラボの作品は読み手を選ぶといいます。
確かに「読み手」は選びますね。
浅井ラボのえげつなさを賛美しながら読み進めるタイプの「読み手」であることが必要です。
「TOY JOY POP」は、作者と読者の関係の問題ですから、浅井ラボを賞賛する読み方をしないと、読みづらい。

実際には「TOY JOY POP」は、平均的な現実を書いたものではなく、かなりえげつないことを書いて、「これが現実だ」と書くダブルバインド的なものです。
つまり実際には平均的な現実ではありません。
でもそれを「これが現実だ!」と書くことで揺さぶるわけです。
そういうものを読んで「こういう現状認識が出来ないオタクが多いんだよね(笑)。オレは浅井ラボさんの作品を受け入れる強さがあるけど(笑)」となればいいんでしょう。

まさに読者を選んでいるわけです。
えげつないストーリーを提示して、それに同一化するか不愉快になるか。
他の読者を想定しながら読む構造になっているわけです。
【2007/06/25】 | レビュー | トラックバック(0)



物語の在り方アニメとかで綺麗なお姉さんみたいな母親がよく出てくるけど

アニメとかで綺麗で優しいお姉さんみたいな母親がよく出てくるけど、あれは本当に物語効果として有効性が高いのでしょうか?
特別な狙いがあって用いられているのでしょうか?

もちろん「普通のおばさん」である場合も多いです。
ともかく、主人公が母親と葛藤関係にあることは少ないと思うんです。

実際の人生では、母親とは支配的な生き物なので、そのエゴとの葛藤というのはかなりあるはずです。
でもそれはフィクションではあまり描かれない。

時々そういう作品を目にすることはありますが、母親との葛藤というのは、現実生活でありがちなテーマのわりには、出現頻度がかなり低いのです。


単純に言えば、物語とはカタルシスを求めるものです。
つまりフィクションは、いろんな意味でつくりものなのです。
ストーリーが架空であるというだけでなく、その物語の進み方も現実の骨組みとは違うのです。

現実世界ではたくさん出てくる要素でも、それが物語のカタルシスに繋がらないなら、カットされるわけです。
「母親との葛藤」などは、その典型です。
そういうのは現実にはありがちなんだろうけど、見ているといろんな意味でイライラするという人が多いでしょう。
思い当たるから鬱になるとか、あるいは、他人のそんなことに共感したくないとか。
ありがちな問題ではあっても、そういう家族の中でのゴタゴタにシンパシーを感じづらいのも確かです。

「綺麗なお姉さんみたいな母親」が登場するのも、葛藤関係を描くことの回避かと思われます。
物語効果が高いとは思わないんですよ。
綺麗なお姉さんみたいな母親から無償の愛情を注いでもらっていたというような描写は陳腐なわけです。
葛藤関係を描くのは面倒なので、「無償の愛」の方が無難だという選択になっていると思われます。


逆に言えば、カタルシスに繋がるなら葛藤を描くこともあります。
「Air」の親子愛などは、そういう感じでしょう。
つまり最終的な和解(理解し合うカタルシス)に到達するために、「Air」では母子関係の葛藤が描かれます。
葛藤を徹底して描いたというわけではなく、不和→和解という物語の図式にするために、前半部で仲の悪さを描いているという程度です。
そして、それが「Air」という作品の素晴らしさなわけです。
仮に葛藤関係それ自体を徹底的に描いていたら、不愉快な作品ということになったでしょう。
【2007/06/22】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方組織に実験されている女の子

(以下のエントリーは「家族計画」について、多少のネタバレがあります)。

「組織に実験されている女の子」とかって、アニメとかラノベによく出てきますよね。
あるいは「幽閉されている女の子」と言えばいいのか。

結論的に言えば、恋愛経験から閉ざされているヒロインということですね。

恋愛経験を遮断するための手法のひとつとして、何か特殊な能力を持っていて組織に幽閉されていた、みたいな設定になるわけです。

そして幽閉されていたがゆえに、いろいろコミュニケーションに問題があり、それに同情するわけです。

共感性を作りやすいわけです。

まあ「共感」というのは、関係願望なわけですよ。

相手が酷い状況なら、必ず共感してあげるというわけではない。

たとえばこれが、とある少年が親からスパルタ教育を受けていて、結果として引き篭もりになったという話なら、共感しないでしょう。

でも可愛い女の子が親から厳しく育てられていて、いいようにコントロールされていたということなら共感するかもしれない。
「家族計画」の高屋敷青葉なんかはそういう話ですね。
高屋敷青葉は無理矢理結婚させられたという設定ですが、これは恋愛経験の遮断なわけです。
自分の意志で恋愛などしたことがないから、非処女でも、恋愛経験がないということで、エロゲーのヒロインとしては成り立つわけです。

高屋敷青葉みたいな男がいたら物語に入り込めるか、と言っても入り込めないです。
たぶん不幸なんだけど、「ひとのせいにするな!」とか言って、吐き捨てるでしょう。

人は、「共感」というのをすごい正当性のあるキーワードとして使いますが、実際は相手に助力を与えたいという感情が触発されるかどうかだと思うんですよね。
"僕が助けてあげたい"みたいな感情が沸き上がるかどうかの問題です。

たぶん「ひとのせいにするな!」と人が言うのは、面倒だから不幸な奴の話など聞きたくないということだと思うんですよ。相手が不幸な境遇なのは事実なんだろうけど、それに「共感性」を持つのが面倒ということ。
(つまり責任論の問題ではなく、手を差し伸べるつもりがないということを言いたいのだと思われます)。

「幽閉されていたヒロイン」みたいなのは、普通ならコミュニケーションが成り立たない相手として登場することが多いわけです。
主人公以外はその女の子を変わり者として忌避している。
そういう構図だと、主人公が「僕は君をわかってあげるよ!」みたいな感情移入がしやすいわけです。

前述の少年の事例でも、仮に彼が美少年なら、腐女子の人は共感するかもしれないですよ。
エゴの固まりの親に翻弄されてボロボロになった美少年を守ってあげたいと「共感」するわけです。

共感とはそういうことです。
「助けてあげたい」という感情が触発されるかどうか。
相手が美少女の場合と、不幸なオッサンの場合では対応が違うのは当然です。
(だから「共感」という言葉を正当性の強い言葉として用いるべきではないのです)。
【2007/06/19】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方異能者バトルは相撲ですよね

たとえば騒音がうるさいとかで、隣同士でトラブルになったとする。
片方が散弾銃を持ち出し、片方が猟銃を持ち出す。
それで打ち合って、どっちが生き残るか……。

異能者バトルはそういう話ではないわけです。

他人と争うというのは、タブーの固まりです。
争うのがタブーだから我慢したり、あるいは逆に「どうせ喧嘩になるわけがない」と確信して喧嘩を売ったり。

ともかく全力でいがみ合って全力で争う機会なんてこの世にはほとんどないわけです。


魔法でビームみたいなのが出るのって、相撲技みたいなものだと思うんです。
つまり猟銃と散弾銃を持ち出して、翌日の新聞に大きく取り上げられたり、ワイドショーが近所の人にインタビューして回って、「あの人は散弾銃を持ち出すような人には思えないんですけどね」とかコメント取ったり、というわけではないのです。「最近の世の中は……」みたいにコメンテイターが語ることもないのです。

異能者バトルは「最近の世の中」とは別次元です。

魔法とかの類の異能者攻撃は奇妙です。
散弾銃より弱いのか!

まあともかく、相撲的な様式なわけですよ。
原則的に、相手を害するものではなく、技を出し合うわけです。
散弾銃ではなく、相撲技の応酬です。
そして土俵を割ったら負けみたいなルールがあるわけですね。
土俵割った方が撤退していく。

ホントに危害を加え合うみたいな話もありますが、そうだとしてもタブーはないわけですよ。
戦闘が許されている状況があって、戦闘するわけですよ。
ワイドショーに取り上げられたらどうしようなんてことはない。
ここで散弾銃を打ったら人生が破滅してしまうなんて考えたりしないわけです。

だからどうしたというわけでもないんですけどね。
フィクションの戦闘は相撲技バトルだなというだけの話。
【2007/06/17】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「天元突破グレンラガン」感想



ネタバレ控えめのつもりですが、多少のネタバレはあるので、注意。

第一話:
なんか画面の切り替わりが激しくて見づらいというのは気のせいか。
絵コンテが変なのか、それとも舞台が地下だから感覚が掴めないのか。
つまり普通の都市空間だったら、常識的にこの場所にはこれがあるみたいにわかるわけですよ。
場所が地下の中の変わった地形となると、なんかわかりづらい。

第二話:
やっぱりこのアニメのアクション部分ちょっと見づらいです。
構図が凝っているのと、あと、主人公のメカに特徴がないので、戦闘になると何をやってるのかわからなくなる。
もう少し単純にした方がいいと思うんですけどね。

第三話:
相変わらず見づらい。
雑な喩えで言うと、いつもと違うカメラ位置でサッカー中継やってるみたい。
カメラ位置が変で、しかもわりと頻繁に切り替わるから、どういう試合になってるのかわからない。
普通の位置のカメラで試合を見せてくれ、、、という感じですね。
ちなみにメカに関しては合体して、主人公が乗るようなカッコイイ機体になるということでしたね。
いや、デザインがいいとは思わないんだけど、記号としてカッコイイということね。
いかにも主人公が乗りますよ、みたいな。

第四話:
人物の顔が殴り書きっぽいのは何ででしょう?
これは手抜きではないと思います。
手抜きであれば、他の部分の作画も破綻しているはずだから。
顔が変であることを除いては、まともな作画になってます。
「殴り書きっぽく描いてよ」みたいな指示があって、それでそう描いてるみたいな絵。
ただそれが効果的とは思えないですね。
わざとやってるんだろうけど無意味な殴り書き。

第五話:
う〜ん。
この作品は評価が難しいですね。
いや、評価というか、たぶん力の入っている作品なんだけど、自分が見ていて素直に楽しめない。
もう少し見てみて、物語が大きく展開しないなら視聴中止にすると思います。

第六話:
今回のは半分くらい総集編。

第七話:
今のところ、物語の構図を作れていないと思うんですよね。
わりと雑然と毎回戦闘があるだけ、、かと思います。
つまり、ストーリーとして続きが気になる要素がない。
それどころか、主人公たちが何をやりたいのか今ひとつわからない。
いろいろ凝った造りのアニメなんだけど、一番単純な部分での主人公の動機付けが出来てない気がします。
それが今後どうなるのか。

第八話:
う〜む。
この意外な展開は何だろう?
いや、実は何でもないということなのか。

第九話:
アニキは死んだままなんでしょうか?
普通の漫画とかアニメだと、こういうのはほとんどの場合、「実は生きている」ということですよね。
もし死んだままなら、かなり変わった作品です。
王道的に「実は生きている」ということにするのか、それを外して、「本当に死んでいる」ということにするのか。

第十話:
このアニメって最初の頃は、アクションの場面の構図が凝りすぎていて見づらいと思っていたんですが、いつのまにか普通になってますね。
いや、厳密に見比べたわけではないんですけどね。

第十一話:
アニキの死を乗り越えるという話。
最初に死んだ時は、「実は生きている」ということかと思ってたんですが、違うんですかね?
このあたりがフィクションで死を描くのが難しいところ。
どうしても「実は生きているのでは?」と思ってしまうのです。
今回こういう話にしたからには、これからも死んだままなのでしょうか……?

第十二話:
今回はアニキの話が出なかったから、ホントに死んだんでしょうね。
この部分が気になって仕方がないのです。
フィクションの中で誰かが死んだとなると、どうしても「実は生きていた」という展開が多いので。

第十三話:
最初の頃は、カメラが頻繁にあちこち切り替わる感じで、アクションの場面が見づらかったんですが、すっかり普通の感じに。
作画的にはクオリティーの高い作品だと言っていいでしょう。
ストーリーはどうなのか?
悪くはないんだけど、もう少し話を広げて欲しいですね。
このまま同じ構造で戦いの繰り返しだと、ちょっとダレます。

第十四話:
アクション場面が見やすいです。
最初から普通にやってくれればよかったのに。
ストーリーがややダレているので、何らかの展開が欲しいところ。

第十五話:
今回はラスボス?との対決。
わりとシリアスだったかも。
逆に言うと、このアニメは、熱血なように見えて、ホントの恐怖感がないんです。
敵が恐くない。
悪い意味でのプロレス。
アニキが死んだのにまだ生きていると感じるのは、この作品がプロレス的だからかな。
もう少し恐怖感の演出があった方が……。
いや、低年齢層を意識して、わりと緩い戦いにしているのかもしれないけど。
大きなお兄ちゃんにも見せるつもりなら、恐怖をもっと描いた方がいいと思いますね。

第十六話:
総集編。
げんなり。

第十七話:
いきなり時間を進めたのか……。
成長を示すために背が伸びるのはフィクションのお約束ですね。
低身長キャラだったはずなのに、長身になるのはお約束です。
あるいは、格好良く成長したのを示すには背を高くするのが最適と言えばいいのか。
(逆に言えば、格好良くするつもりがない場合は背が伸びない)。
背が伸びるのは、RPGで言えばクリアしてエンディングを迎えたみたいな状態なので、物語の途中で用いるのはどうかと思いますけどね。

第十八話:
前回からまったく新しい展開になったのだが、とてもつまらない。
この後にどうやって纏めるのかわからないが、作品の破綻ということになるかも。
いや第十五話が最終回で、その後は埋め草としてやっているということか。

第十九話:
漫画ならこれ打ち切りだよね。
一段落付いて新展開に入ったらつまらなくて打ち切りって、漫画でよくあるじゃないですか?
アニメの場合、打ち切りになることは基本的に無いですから、こうなっても打ち切られず続くことになりますね。
醒めない悪夢ですよ。

第二十話:
シモンを刑務所に入れたことで、少し持ち直したような印象がある。
17話の段階では、RPGのクリア後の世界みたいなイメージだったんだが、転落させたことでよかった。
双六で上がったような状態を描いても仕方がないので、どこかで転落させることが必要なんでしょうね。
失敗したり挫折したりして、椅子から転げ落ちないとフィクションは面白くない。

第二十一話:
ヨーコが離れていた間に小学校の教師をしていたというエピソードの部分の描写はいらないような?
いや、無い方がいいというわけではないのだが、あまり必然性を感じなかった。
それにしても子供の人間関係描くときにイジメを用いるのは興味深いですね。
ハリウッドの映画でもわりと出てくるし。かなりお約束に近い。
ある種の緊張感を出そうということかもしれないけど。
子供が楽しく遊んでいるだけだと、描きづらいのかもしれない。

第二十二話:
ライバルと合体して戦うのはドラゴンボールみたいだが、まあ王道ということでいいでしょう。
ストーリーは持ち直したような気もするんだけど、やはり17話以降は蛇足である。

第二十三話:
このアニメって、最初の頃から、島本和彦っぽい作品だと思っていたんだけど、作り手も意識してやっているのかな。
島本和彦の熱血というのは、本当の意味での殺伐とした戦闘ではないから、ある種の「島本和彦的作品」みたいな言い方は出来ると思うのです。
(つまり普通に全力に戦うというのと、島本和彦的な熱血は別なわけです。グレンラガンは、島本和彦的ですね)。

第二十四話:
敵がよくわからないので何とも。。
抽象的な何かと戦っているような。。
敵の正体がわからないのが、効果的とは言えず。
わからないことでサスペンス性を作れているというわけでもないので、どうかな。。。

第二十五話:
この第二十五話の出来自体はかなりいいと思ったんだけど、敵の正体が不明というのが、やはり機能していない。
何か宇宙全体と戦っているのだろうか?

第二十六話:
第十七話以降は破綻と思っていたが、意外とどうにかなるのかも?
第十七話で主人公の背を伸ばしたことで成長物語の最終回みたいな雰囲気になってしまったのでどうかと思ったが、島本和彦っぽいキャラにすることで、そのあたりを切り抜けたような?

第二十七話:
最終回。
ガイナックスの作品にしては、かなりうまくまとまったと言っていいでしょう。
第十七話を見たときは、完全に破綻すると思っていたのですが……。
エンディングテーマの後のエピローグはちょっと蛇足だったかも。
エピローグは無い方がよかった気がします。
【2007/06/17】 | レビュー | トラックバック(1)



物語の在り方敵を卑怯な人物に設定するかどうかの問題

主人公に敵を設定する場合、フェアな敵である方が面白いように思えます。
あるいは敵にフェアプレーの精神を持たせることで、感動を呼ぶというのもあると思います。

もちろん現実に人間が争いあう場合を考えたら、「フェアな戦い」を重んじるなんて変だし、戦闘をスポーツのように描いてしまう問題ということにもなるのですが、これはまた別の機会に書きましょう。

ともかく、基本的にフェアな敵の方が感動を呼びやすい。

もちろん嫌な感覚を持たせることで、キャラが立つということもあります。嫌な人物を登場させて、人間関係の圧力を感じさせることで感情移入させる手法もあるわけです。
ただ、これはバトル物ではどうかな、、という気がします。
嫌な相手のキャラが立つのは、その相手と戦ってはいけないからだと思うんですよね。
嫌な相手のキャラが立つというのは、バトルとはまた別のドラマだと思われます。
(あるいはバトル物なら、味方が嫌な奴とか)。
まあ、戦う相手はフェアにしておくのが一番王道だと思われます。

さて、フェアな敵の話に戻ります。
スポーツ漫画とかでは、当然、敵はフェアでなくてはならない。
フェアでない卑劣な敵を見返すという話もありえるし、それで面白い場合もあるかもしれないが、基本的にフェアでなくてはならない。
いや、基本を越えてフェアである必要があります。
主人公と雌雄を決するために、ライバルがことさらにフェアプレーにこだわるというエピソードがあると感動を呼びやすいわけです。
つまり漠然とみんながルールを守っているというのでは絶対にダメです。
「こだわり」をエピソードとして描いていないと面白くない。
「ルールを守るのが普通だから」となんとなく守っているのではダメです。
ライバルがわざわざ何かをして、主人公とのフェアな対決にこだわるというのがいいのです。
(ライバルがそうやってこだわるから、主人公のキャラも引き立つわけです)。

能力バトル的な物語でも同様です。
「ライバル」として立てるなら、主人公とフェアに戦うことにこだわるエピソードがあった方がいいですね。

言い方を変えれば、フェアでない敵は「ライバル」ではないということですね。
俗悪な敵を登場させてしまうと、それはライバルではないのです。
別にそういう作品がダメだというわけではないです。
「水戸黄門」に出てくる悪人は「ライバル」ではないですが、「水戸黄門」は人気があるわけです。

徹底してライバルとして描くか、陳腐な悪人を倒す勧善懲悪にしてしまうか、どちらかの方がいいということなのかな。
そのあたりが不明瞭な作品は失敗作になりやすいのかも。
【2007/06/16】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



雑記アニメの感想の書き方で悩む

どうでもいい雑談です。

ブログでアニメの感想を書く場合、どうすれば一番いいのか。

単純化のため、半年で26話というケースで考えてみます。
アニメを週に10本見るとします。

一話ごとにエントリーすれば、週に10回エントリー出来るわけです。
逆にひとつのエントリーに感想を継ぎ足して書くとすれば、半年で10回しかエントリー出来ない。
半年間で10回しかエントリーしないブログ!

つまり、ひとつのエントリーに26回分の感想をまとめようとすると、エントリー数が少なくなります。

(一話ごとの感想がすごく長い人の場合は、そもそもひとつのエントリーに26話分まとめきれない。あるいは画像キャプをやる場合は一話ごとのエントリーになるでしょう。それはまた別の話です)。

ともかく長文を書く人は別として、26回分の感想はひとつに収まるわけですよ。


一話ごとに継ぎ足して書くのが嫌なのは、やはり更新しているのかどうかわかりづらいからです。
(あるいは半年で10回しかエントリーしない格好になるから寂しすぎる)。

それが嫌な場合どうするか?

1、更新するたびに、「更新情報」をトップに載せるようにする。
2、感想を継ぎ足したら、そのエントリーの日付を現在のもの変更して、上に上げる。

どれがいいんでしょう?

1はわりとすっきりしている気がします。

2はどうでしょう。
感想を一話追記するたびに、日付を変えて上に上げるのは、ブログの使い方としてどうなのか?
特に大きな問題があるわけでもないですが、変則的な印象もあります。
たぶん問題はないけど、イレギュラーな使い方はしたくないなというのもあります。

他に考えられる方法としては、

3、放映中は一話ごとにエントリーする。放送が終了したら、26話をまとめてひとつのエントリーにする。

これが一番すっきりしているような気はするんですけどね。
まとめるのが少し面倒ですが、多大な時間が掛かるというほどではないです。

もちろん、ひとつのエントリーに無理してまとめる必要もないわけです。
一話ごとに感想を書いて、それをカテゴリーとしてまとめても、さほど問題はないわけです。
カテゴリーの部分をクリックすれば、並べて表示されるわけですからね。
(最終話の方から感想が並んでしまうという問題はありますが)。

あるいは、ある意味一番シンプルなのが、

4、その日に見たアニメの感想を普通に書く。

つまり今日は○○の第三話を見てこんな感じ、、△△の第四話を見てこんな感じ、、という具合に、日記の中に、今日見たアニメの感想を普通に書くというやり方ですね。

もしかすると、この書き方をしている人が一番多いかもしれないです。
この書き方だと、過去ログとして見る場合に、ひとつのアニメの感想をまとめて見れないので、その点では問題がありますけどね。
【2007/06/15】 | 雑記 | トラックバック(1)



雑記弱い側が強い側を攻撃するのはタブーである

フィクションにおける戦闘という問題を考えようと思ったのですが、その前に、現実ではどうなのかと考えてみます。

他人を攻撃するというのは興味深い行為だと思うんです。
あなたが腕力に自信あるとしますよ。
そのあなたがいきなり後ろから殴られたとする。
(あるいは正面からでも、予測していなければよけられないでしょう)。
その場合、腕力があるから平気かというと、そんなことはないはずです。

腕力が強いと無敵とか不死身とかそういうことではないわけです。
むしろ腕力にかなり自信があっても、不意に殴られたり、後ろから突き飛ばされたら生命の危機です。
「オレは強いから背後から攻撃されても問題ない」というわけではないでしょう。

弱い側が強い側を全力で攻撃してもビクともしないというわけではないのです。
むしろ弱い側が強い側をいきなり攻撃したら大怪我する可能性があるから、ルールを作るわけです。
強い側が不死身だというのなら、ルールは必要ないわけです。

強い側が弱い側を攻撃するのは「冗談のつもりだった」とよく言われます。
逆に、弱い側が強い側を攻撃するのは殺人未遂として考えられるわけです。
弱い側が強い側を攻撃するとなると、本気でやるしかないから、冗談では済まされないわけです。

弱い側が強い側を後ろから殴ったり、階段から突き落とすみたいなのは、なぜかフィクションではあんまり見ませんね。
推理小説の犯行ではありますが、たとえば学園モノとかで、弱い生徒が強い生徒を背後から攻撃するみたいな描写はほとんど見ません。
暴力描写が多い作品でも、暴力を振るうのはたいてい強い側だというのは、不思議だと言えば不思議だし、でも現実のルールを守っているということでもあります。

ともかく不死身でもなく無敵でもなく、その正反対だからこそ、力関係を作るわけです。

【2007/06/14】 | 雑記 | トラックバック(0)



物語の在り方物語の中での暗示

最近の漫画とかでは使用頻度が下がっていると思いますが、「惚れ薬」というのは、物語の中であんまり説明しないで使えるわけです。
どういう仕組みで惚れさせることが出来るのかを緻密に書かなくても構わないのです。

・緻密に使わないといけない設定
・雑に使っても構わない設定

というのは、ある程度あるわけです。

たとえば軍事ネタとかは、漫画やアニメを消費する人が結構詳しいことが多いため、あまり適当なことは書けないかと思います。
軍事関連は、資料を調べて書かないといけない部類のネタになるはずです。
(もちろん「陸上防衛隊まおちゃん」みたいな作品もありますよ)。

逆に「惚れ薬」とかなら、説明しないで、適当に使ってもいいわけです。

絶対に明確に線引き出来るわけではないですが、ある程度「このネタだと資料を調べて書いたものでないと受け入れられない」というのはあるわけです。



「暗示」というのは、わりと適当に使っても大丈夫なネタです。
暗示に掛けると、世界が変わってそれだけ、というのでもいいわけです。
「心だけ暗示に掛けても文書とかで残っているものは辻褄が合わないのではないか」と思ったりもするのですが、そのあたりは適当でいいようです。
暗示はかなり大雑把に使っても許される。

暗示に掛けるのは、二つの場合がありますかね。

1,特定の誰かを暗示に掛けて操作する。
2,主人公以外が暗示に掛けられる。(主人公だけが暗示に掛からず、真相を知っている)。

1に関しては言うまでもないでしょう。
2に関しては、「灼眼のシャナ」なんかはわりとそんな感じの作品でしょうか。

主人公だけが真相を知っていて、周りは暗示に掛けられてしまっているみたいな。

「灼眼のシャナ」におけるトーチというのは、古典的な漫画で使われている暗示というものをアイテム化させて使ってみた感じかと思います。

主人公以外が操作されていて、主人公だけが真相を知っていたりすると、エスパー少女的なヒロインと関わり合う必然性が出来るので、そういう意味でも有効な設定かと思います。
【2007/06/13】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方物語における決めゼリフ

ちょっと雑なエントリーです。
いや、このブログのエントリーみんな雑じゃーんという話もありますが、まあいいでしょう。

登場人物のキャラを立てるときに「決めゼリフ」を言わせることがあります。
定番の作品では決めゼリフがあることが多いですね。
小学校低学年向けのアニメとかだと、比較的多いのかな。
10代とか、大きなお兄ちゃんが接する作品では「決めゼリフ」を設定することは少ないですね。
もちろんないわけではないが、主人公が毎回「決めゼリフ」を言うアニメとかって、数は少ないです。

「決めゼリフ」は物語効果が本当にあるのか?
何となく、物語効果よりは、社会的認知の部分が大きいと思うんですけどね。
「この作品ならこの決めゼリフ」みたいに認知されるということです。
逆に、そうやって認知されないと、あまり意味がないような気もします。
普通に深夜でやっているような話題にならないアニメで決めゼリフ言わせる意味があるのか?
それほど読者の多くないライトノベルで決めゼリフを言わせる意味があるのか?
作品がヒットして、決めゼリフが認知されて定着したら意味があるけど、そうでなければ、物語効果として意味がないのでは……。

なかなか難しいですね。
決めゼリフというのは、物語展開がパターン化されているということでもあるんです。
つまり状況と無関係に同じ言葉を繰り返しているわけではなく、毎回ストーリーのワンパターンな流れがあって、その中で決めゼリフがあるわけですよ。
ワンパターンがない状態で、決めゼリフだけ言わせてもそれは機能してない、、ということになるかと思われます。
つまり「決めゼリフ」はワンパターンの付録であり、ワンパターンが上手く作れているかどうかが肝心なのかな。

あと、大ヒットすると、その作品の中の普通のセリフが定番みたいに言われるというのがありますよね。
「機動戦士ガンダム」の中の何気ないセリフでも、定番的なセリフに転化するわけです。

雑然とした話になりましたが、決めゼリフを言わせるのは、あまり流行らないだけに、やってみると逆に面白いという気もします。
使われなくなっている古臭い手法を使ってる作品が、すごい斬新に受け取られていることが結構あります。
「それって1980年代の漫画でよくあったじゃーん」と思っても、今の10代の読者の人とかが、すごい新鮮に受け取ってたりするわけです。
決めゼリフを言わせるのも、何となくアナクロなだけに、やると面白いのでは、と思ったり。
【2007/06/11】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方「世界征服を企む悪の組織」は精神衛生上いいのです

小学生向けのアニメとかでは、悪の組織とかがよく出てくるわけです。
なんで悪の組織が多用されるのか?
それは、その方が精神衛生上いいからです。

たとえば次のふたつのうち、どっちの方がいいか?

1、世界征服を企んでいるギャング団
2、他人に暴言を吐いて傷つける奴

これは当然1の方がいいです。
1の方が安心して見られます。

もちろん世界征服を企んでいるギャング団は悪いですよ。
でも、そういうのはいかにも漫画的(荒唐無稽という意味で漫画的)なわけです。

アニメとかで、人間関係のゴタゴタを描くのは好ましくないです。
基本的に「実際の人生で思い当たること」は不愉快になりやすい。
世界征服しようとしているギャング団なら、「こういう嫌な奴っているよな」とか思い当たらないからいいわけです。

つまり、悪事としては世界征服の方が悪いんだろうけど、荒唐無稽なので、悪さが伝わってこないわけです。
「こういう嫌な奴っているよな」とか暗い気持ちになったりしません。

「名探偵コナン」で悪の組織みたいなのが出てきても、荒唐無稽なので不愉快にはならないわけです。

小学生向けの作品に限らず、大きなお兄ちゃんが見るアニメでも、出来れば荒唐無稽な悪人の方が好ましい。
下手にリアルな鬱話を展開されて、「中学生の時のクラスの○○みたいじゃねーか」とかトラウマほじくり返されたらたまらないわけです。

じゃあフィクションの作品は荒唐無稽な悪人ばかり描いていればいいのか?
そういうわけではありません。
現実にあるような人間関係のゴタゴタを描いて成功した作品だって結構あります。
というより、「エヴァンゲリオン」はまさにそうだし、「機動戦士ガンダム」もわりとそうでしょう。

「現実に思い当たるような嫌な出来事」をきちんと描ければそれはそれで名作として評価される。
きちんと描けなければ、見たくない作品ということになりますけどね。

あと、フィクションでも、社会派小説的なものなら、「身の回りにいる嫌な人物」がよく登場するでしょう。
ドラマでも比較的そうかもしれません。
「こういう嫌な奴っているよな〜」と不愉快になりつつも引き込まれる場合もあります。
それも手法のひとつです。

要は、どっちでも上手く描けてればいいわけですよ。
「世界征服を企んでいるギャング団」は身の回りにいないので安心して見られるし、「こういう奴っているよな〜」という重苦しさでも、それで引き付けられるならいい。
ただ嫌な展開にして、感情移入させるのは難しいはずです。
あるいは、かなり上手く出来ている作品でも、「この作品はどうしても生理的に受け付けない」という脱落者が結構出るわけです。
それに対して、悪の組織の方は安心して見られます。
魔王が世界征服するみたいなのが繰り返し使われるのは、荒唐無稽だから安心出来るということです。
身の回りで思い当たるような悪人を描くのは、いろんな意味でハードルが高いのです。
【2007/06/08】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方フィクションをお手本にしてはいけない

雑に言えば、フィクションとは、逆転劇を描くものです。
逆転満塁ホームランを打つ場面を描こうとするものです。
優勢に進めてそのまま勝ちました、というのはフィクションとしては面白くない。
スポーツ漫画に限らず、「逆転」の構造はよく描かれます。

たとえばフィクションでは「努力」が重んじられる。
少年ジャンプの作品でなくても「努力」しない主人公には感情移入しづらい。
でもフィクションの努力はリアルの努力と少し違います。
フィクションのストーリーは逆転満塁ホームランを狙うための努力です。
(つまり通常に理解されている「努力」とは性質が違うことが多いのです)。

確率の低いことをやって成功するのがフィクションのカタルシスです。

現実においては、他人を見返すというのは構造的に難しいのです。
弱い立場になったら、打席に立てないのが実状だから。

フィクションというのは、お手本にしたら、本当にまずいです。

あるいは別の言い方をすると、
・劣勢の場面を作る→そこから努力する
というのが構図としてあるとします。

この場合、努力する部分だけは模倣してもいいですが、劣勢の場面を作る心性を模倣してはダメだということです。
逆転満塁ホームランを打たないといけない状況を知らず知らず作ってはいけないということです。

あと、フィクションは妥協するのも禁じるわけです。妥協して「まあこんなものか」とケリを付けてはならない。
妥協するのはつまらない人生だというメッセージを送るわけです。
こういうのに影響されてはいけない。

別の言い方をすれば、フィクションはオールオアナッシングの原理で動いているということです。
フィクションとしてはオールオアナッシングが面白いからいいわけです。
でもこれを現実に模倣してはいけないのです。
【2007/06/07】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「機神大戦 ギガンティック・フォーミュラ」感想



ネタバレ控えめのつもり。多少のネタバレはあるかもしれないです。

第一話:
「キディグレイド」とだいたい同じスタッフみたいな理解でいいのかな。
作画はたぶんよいです。
キャラクターデザインは何とも言えず。
私としては「キディグレイド」的な感じを期待していたんだけど、少し癖のある絵柄になってますかね。
まあもう少し見てみましょう。

第二話:
作画は相変わらずよいです。
キャラデザインが少し引っ掛かりますが、これは意図的なものでしょう。
主人公の少年が14歳で、「適合率」という概念があって、でも至って普通の少年で、ロボットに搭乗することを強制されないというのはエヴァンゲリオンへのアンチテーゼなんでしょうか?
エヴァは大人と少年の歪な人間関係を描いているがゆえにフィクションとしては面白いんですよね。
リアルでああいう関係(大人の意志が少年に食い込んで揺さぶっているような関係)はよくないと思いますけどね。

第三話:
主人公は普通の少年。
周りは物わかりのよい人物。
どうなんでしょ。
この作品は人間関係が健全すぎないか?
いや、人間関係が健全なのは現実ならいいが、フィクションだと面白くないのです。

第四話:
これって門之園恵美先生はキャラクター原案であって、キャラデザではないのですね。
キャラクターデザインが少し引っ掛かるのはそのあたりかな。
ストーリーに関しては、もう少し見てみよう。
全部で何話なのかわからないが、仮に50話とかあるなら視聴中止するかも。

第五話:
このアニメは見ていて不愉快になるような話を徹底して避けてるんですかね。
このタイプの作品で人間関係が緩いのはつまらないかも。
主人公とヒロインの関係を見ていて、何となく「ガンダムX」を思い出した。
いや、全然似てないんだけど、妨害などが入らず、緩い好感が維持されるという意味で。

第六話:
敵側は喧嘩したりするんですね。
主人公側は人間関係のトラブル無しと。
人間関係のゴタゴタはストーリーに必須だとは言い切れないが、このアニメには何かが足りない。
たとえばピンチの連続を作るとか、そういう基本的なことも出来てないわけです。
作画はよいので、何とか見られるが、ストーリーは平板ですね。

第七話:
この決闘という仕組みが根本的に面白くないのです。
これが延々と続いていくのか?
全26話ということらしいので、話を動かすなら、そろそろ動かしてくれないと。

第八話:
敵の描き方が三文芝居レベルなのはどうなのか。
普通ならカリスマ性のある強大な敵を描こうとするものだと思うけど。
もしかして、強大な敵が現れないまま、最後までいくのか?

第九話:
相変わらず、悪い意味での三文芝居ですね。
作画はよいので、アニメとしては普通に見られます。
何らかの第三勢力の登場が示唆されたので、退屈な構図が少し変わるのかどうか……。

第十話:
この作品の場合、戦闘そのものがまともに描かれてないんですよ。
ロボットを操縦すること自体がパイロットにダメージを与えるという設定なわけで、パイロットが苦しんでいる姿だけが描かれている感じなわけです。
(敵からダメージを受けて苦しんでいるのではなく、操縦すること自体で苦しんでいるのです)。
これが物語として成功しているかというと、成功しているとは思えません。
敵とのバトルをまともに描かず、パイロットが呻っている描写ばかりなのです。
特に問題なのは、「スサノオ」が単なる謎であり、わけのわからない謎であるだけであることです。
つまり視聴者が「続きを知りたい」と思えるような謎ではないのです。
(謎を提示することで物語を引っ張れていないということです)。

第十一話:
相変わらず、いい人ばかり出てくるアニメですね。
不愉快な人物を出せばいいというわけじゃないけど、この作品は、いい人ばかりが出てきて上滑りしてます。

第十二話:
今回は総集編……、というか過去の回想ですね。
使い回しの絵だけでなく、新たに描いた場面も結構あるのかな。
やはりすっきりしないアニメです。
嫌な奴を登場させたり、嫌な場面を描いて引っ張るタイプの作品もどうかと思いますが、この作品のように、ぬるすぎるのもどうなのか。
単純に言うと、敵のキャラが立ってないので、物語として迫ってくるものがありません。
少し変な言い方をすれば、何と戦っているのかわからないような状態です。
【2007/06/05】 | レビュー | トラックバック(1)



雑記あの人は今こうしている まつもと泉さん(ゲンダイネット)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070603-00000009-gen-ent

「きまぐれオレンジ★ロード」のまつもと泉さんの話がゲンダイネットに載ってます。

「あの人は今」というと、なんか悪意がありそうな記事ですが、ゲンダイネットの場合、そうではありません。
かなり好意的な記事を書くのが通例です。
あと、ほぼ例外なく本人にちゃんと取材してます。
ゲンダイネットの記事は、「最近の女性セブンによれば」とか「週刊現代によれば」とか、なんかそこらへんの芸能ブログみたいな内容が多いのですが、「あの人は今こうしている」のコーナーはちゃんと取材した企画なわけですよ。


ともかくまつもと泉さんの発言をちょっと見てみましょう。

「そもそも徹夜しただけで熱を出したりして、体は弱かったんです。それが8年前、急に頭部から首筋にかけてじんましんが出て、徐々に頭痛、首や肩、背中、腰の凝り、倦怠(けんたい)感、視力障害……といろんな症状がドーッとやってきた。それで皮膚科や内科に行ったんですけど、原因はちっともわからない。全国のありとあらゆる科の病院を転々とするうち、不眠や処方された薬のせいもあり、精神的にもおかしくなっていっちゃって。ついには病院へ通う気力もないほどのうつ状態になり、6年前から約3年、引きこもっていたんです」
 3年前、姉が脳脊髄(せきずい)液減少症についての新聞記事を見せてくれたのがきっかけで脳神経外科の専門医にかかり、ようやく病名がハッキリした。
「脊髄から髄液が漏れて、いろんな不定愁訴を起こしていたのです。4歳のとき、大きな交通事故に遭ったのが遠因で、ハードな生活によるストレスや疲れのせいで傷口が一気に開いたんじゃないか、ということでした。自分の血で傷口をふさぐブラッドパッチという治療を2度受けただけで、だいぶ良くなり、今は薬もほとんど飲んでいません」


ご病気でかなり大変だったようですね。
今ではかなり回復されたということです。

「ヨーロッパなど海外でも出版されていて、“続きを描いて”と今も電子メールが届いたりします。うれしいですよね。印税にも助けられた? そうですね、体を壊して使い切っちゃいましたけど、ハハハ。病気になる前は、私は車が好きなので、1000万円以上するポルシェ928とかNSXとか、いろんなスポーツカーを乗り回してました」

売れるとすごいんですね。
逆に売れないで大変な人も数多くいるのだと思われますが……。
【2007/06/04】 | 雑記 | トラックバック(0)



ネット社会FC2ブログ 拍手機能追加!

http://staff.blog1.fc2.com/blog-entry-230.html

まずこの問題に関しては、

1,FC2 blogの拍手機能の仕様が適切なのか?
2,そもそもWEB拍手的な機能に意味があるのか?

というのがあるでしょう。

1に関しては、今後いろいろ変わるでしょうから、現段階では述べません。
それに、利用したくない人は付けない自由もあります。

2に関して。

リアクション貰おうとするのは、不毛だと思いますね。

サイト運営というのは、元々多くの人は、リアクション貰うためにやっていたわけです。
でもリアクションが貰えないから辞めていくわけです。
必ずしもアクセス数がないからリアクションがないというのではなく、「結構なアクセス数があるのに何でリアクションがこんなに薄いのか」みたいな不満もあるわけですね。

大手の人の方が不満あったかもしれないですね。
アクセス数がなくてリアクションが無いのは当たり前だから。

でも、リアクションを求めて、いろいろ疲弊してバーンアウトというのは、わりと一昔前の話で、最近はわりと冷めてる印象があります。

アクセスカウンターを付けているサイトも少なくなりました。

長続きしているサイトを見ると、マイペースで普通に書いているか、あるいはAmazonその他で収益がありそうなところという気がしますね。

「リアクション」なんて貰わない方がいいというのが実状。
疲弊するのが関の山だと思います。
リアクションに一喜一憂する状態を作るのはよくないです。
【2007/06/03】 | ネット社会 | トラックバック(1)



雑記『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』 10月より放送開始

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/983120.html

また始まるんですね。

ネットではたぶんいろいろ論争とかになるんでしょう。
個人的には黒田洋介作品が好きなので、シナリオ的には楽しみなところ。

キャラデザは少し引っ掛かりますね。
腐女子向けを狙っているのはわかりますが、狙いすぎのような。
それと、絵柄が古いような気もします。
腐女子の趣味趣向はわかりませんが、こういう古い絵柄でもいいのか?


「ガンダムSEED」がなんであんなに叩かれるのか、あんまりわかんないですね。
叩かれるべき作品かどうかというよりは、ガンダムに関して持論を展開したい人がたくさんいるということなんでしょうね。あるいはネット内でそういうご意見番的なポジションになりたいのか。
(SEED批判をすることで、自分は濃いファンだと主張できる)。

または、商業的に成功するタイプの作品を叩くということなのか。
「ガンダムX」みたいに普通に失敗した作品なら、「SEED」みたいな反発は受けないかもしれない。


実際は「SEED」は「W」の路線でやってみただけのことだと思いますけどね。
「ガンダムW」(1995−1996)だって、ネットが広く普及している頃なら、どういう酷評を受けていたかわかりません。

あと、「ガンダムの名前を利用すれば売れるのは当たり前」という人がいるわけですが、それなら「ターンA」とか「X」は売れたのかという話になります。
【2007/06/03】 | 雑記 | トラックバック(0)



レビュー「CLAYMORE(クレイモア)」アニメ版感想



ネタバレは控えめに書きますが、多少のネタバレはあるかもしれないです。

第一話:
原作未読です。
作画はよいです。ただ絵柄がいわゆる萌え系ではないので、その意味では好みに合わないということもあるかも。
原作は「エンジェル伝説」の人ですが、作品の系統はまったく違います。
内容は、昔の富士見ファンタジアでよくあったような異世界ファンタジーなのかな。
新鮮味は感じなかったが、一応もう少し見てみる。

第二話:
ヒロインが長身のお姉さんなのは、どうなのか?
普通なら小柄で可愛い少女にしそうなものだけど。
まあこれはこれでキャラが立っているのかもしれない。

第三話:
今回のは前後半に分かれている前半ということなのかな?

第四話:
後半ですね。
この作品は原則的に一話完結タイプなのかな。
自分としては、全体として話の大きな流れがあるタイプの作品の方が好きなんだけど。
見ていてつまらなくはないので、継続視聴。

第五話:
今回はヒロイン?の少女時代の話。

第六話:
しばらくヒロイン(クレア)の少女時代の話が続くのだろうか。
こっちの方がストーリー的に面白いかも。
いずれクレアがクレイモアになることはわかりきっているわけで、そういう悲しさがあるのがいいです。

第七話:
普通の異世界ファンタジーと言えばそれまでなんだけど、自分としてはこの作品好きかも。

第八話:
このアニメは面白いですね。続きが気になる。
とどめを刺せるところで刺さないのは定番ですね。

第九話:
前回の話との繋ぎがちょっとわかりづらいですね。
まあこういう演出なんでしょう。

第十話:
これって一話でなかなか話が進みませんよね。
このアニメはまとめて見た方がいいのかも。

第十一話:
このアニメは、いわゆる一話完結タイプではなく、全体の大きな流れがあるタイプの作品です。
原作未読なので、ここから先の展開はまったく知りませんが、物語は大きく展開していくのでしょう。
ただ、ストーリーが展開するとは言っても、作品のテイストは、第一話か第二話を見た段階でわかるかと思います。
基本的に最初のテイストのまま。
最初の方を見て生理的に合わない人は、このアニメを見ても面白くないかも。
戦闘描写が長いですからね。
これを面白いと思えないと見ていて辛いはずです。
私はこの作品のテイストが好きなので、たぶん最終話まで見ます。

第十二話:
この作品は女性ばかりが戦うわけですが、バトルが少年漫画らしいですね。
肉弾戦に徹しているので、争っているという生々しい感覚があります。
もちろん、呪文を詠唱して魔法みたいなのを出し合う作品がよくないというわけではないですけどね。

第十三話:
この作品は、わりと似たようなキャラクターの人物が多いので、以前登場した人物が再登場すると、ちょっとわかりづらいです。
たぶん一度にまとめて全部見れば問題ないレベルですが、間隔を空けながら見ると、ちょっとわかりづらい。
クレアの右腕が無くなってから、必殺技?でどうこうするまで時間が短いかな。
右腕が無くなった状態での苦戦などを描いた上で、必殺技みたいなのを会得する方がよかったのではないかと。

第十四話:
今回は珍しく、これで一段落付いたみたいな感じですね。
このアニメは週に一話ずつ見るのがもどかしいので、どうしたものか。

第十五話:
今回は新キャラが結構出ていたのかな。
ちょっとわかりづらいですね。
このアニメはたぶん全話まとめて見た方がいいですね。
キャラが記号として描き分けられていないんですよ。
普通のアニメだと、登場人物が記号的にわかりやすく描き分けられてます。
この作品は、キャラクターを記号的に描き分け出来てないから、誰が誰なのかわからなくなるような部分も。
記号的にキャラが明確に分かれていると、間隔を空けながら見ても、キャラを混同することは無いですけどね。

第十六話:
戦闘シーンが長いのは、このアニメの特徴であって、別に欠陥ではありません。
ただ、ストーリーの流れが掴みづらいと感じるときもあるような。
何のために戦っているのかわからなくなることも。

第十七話:
この回から登場してきた人物が主人公のクレアに似てるんですが……。
単に似ているだけなのだろうか?
この作品は描きわけが出来てないので難しい。

第十八話:
この作品は面白いと思って見ていたんだけど、登場人物の容姿が記号的に描き分けられていないので、わからなくなってきた。
過去に登場した人物が再登場すると、混同する。
一気に見れば問題ないのかもしれないけど。
人物を描き分けるというのは、わかりやすい記号を設けるということだと思います。
つまり画力の問題ではなく、記号的に区別しやすいかどうか。
この作品はキャラを記号的に区別するパーツがないから、かなり厄介である。

第十九話:
クレイモアがみんな同じ格好をしているという設定は止めて欲しかった。
登場人物が増えてくると、つくづくそれを感じる。
それぞれ特徴のある武装をするとか、そういうことにして欲しかった。
この作品を面白いと思って見ていた俺でさえ、辛いのだから。

第二十話:
今回はわりと見やすかった。
でももう糸が切れた凧のようである。
誰が誰なのかわからなくなった現状で、この作品を見るのは辛い。
最初から見返せばいいのだが、それも面倒である。

第二十一話:
この作品ってショッキングなエピソードが挟まれるかどうかが重要なんですよ。
ギョッとするような出来事があるかどうか、ということね。
今回で言えば、プリシラが人を食べるみたいな場面。
覚醒者なのだから、設定的に当然と言えば当然なのだけど、一応驚きは作れているわけです。
こういうのが最近は欠けていたかなと思ったり。

第二十二話:
今回は前回の話の延長というか、普通でしたね。

第二十三話:
この作品は最初から戦闘場面を長々とやっているので、その意味で変化はないんだけど、何となく飽きてきたような。
クレイモアのグロな部分に慣れてしまったと言えばいいのか。

第二十四話:
今回のストーリーはちょっと理解しがたい。
クレアが覚醒する場面で、ラキは助けられずに影で震えているだけ。
これは何ででしょう?
普通こういう展開なら100パーセント助けに入る場面。
製作者の意図がわからない。
臆病風を吹かせることで、その後の勇敢さということなのか?
一番肝心な場面で震えていたというのは、物語が壊れてしまったような。

第二十五話:
昔バイオハザードをやったとき恐くて、でも続編とかやると慣れてきて、あまり恐くなくなったり。
こういう系統の描写というのは、慣れるとあまり刺激が無くなってしまうような気がする。
この作品はストーリー性が必ずしも濃いわけではなく、バイオハザード的な驚かし作品だから、慣れが生じると今ひとつのようにも思えてしまう。

第二十六話:
最終回。
普通にまとまっていた……とは思いました。
二十六話通しての印象を言えば、最初は刺激的だったのが、見るうちに慣れてきてしまったかな。
【2007/06/02】 | レビュー | トラックバック(0)



物語の在り方のび太はなぜジャイアンに勝たないといけないのか

物語は基本的にカタルシスに向かって作られます。
カタルシスをおぼえるために物語はあるのです。

ジャイアンとのび太の関係。
のび太という弱者とジャイアンという強者ということで物語の構造は作られるわけです。

冷静に考えると、のび太はなぜジャイアンに勝たないといけないのか。
のび太がスネ夫に勝つということではいけないのか?

のび太とスネ夫ではどっちが強いのか?
もちろん漫画では漫画的お約束でのび太が負けるでしょう。
のび太は漫画ではそういうキャラですから。
でも、これをリアルに考えた場合、のび太とスネ夫では本当にスネ夫の方が強いのか?

ジャイアン−スネ夫−のび太の関係はそれほどリアルに反してません。
デカイ奴を味方に付けた方が勝ちというのは、よくあるわけです。
リアルのヒエラルキーに合致している。

でも、リアルだと同時に、のび太的なポジションの人間がスネ夫的なポジションの人間をやっつけて成り代わるということもあります。
これは「ドラえもん」ではあり得ないことです。
のび太がスネ夫を倒してもカタルシスにはならないから。

ある意味、ドラえもんはイジメの教科書みたいなものですね。
のび太がスネ夫に勝つという現実的ノウハウを禁じているから。

のび太がスネ夫と戦って勝つとすればそれは卑怯なのです。
それがドラえもん的な価値観だから。
「いじめられている場合は、相手の中の一番強い奴を倒さなければいけない」というのはイジメの罠です。
ドラえもんはイジメの罠を肯定的に描いているわけですから、教育上よくないでしょう。
(いじめている側は卑怯なことをやってもいいけど、いじめられている側は卑怯であってはならないというのは罠です)。

じゃあ作者がイジメを奨励したいのかというと、もちろんそうではない。
「一番強い奴を倒す」というのが物語のカタルシスとしていいからです。
のび太とスネ夫がいじめられ役を押しつけ合う話ではまったくカタルシスがないのでそうしているだけです。

「ドラえもん」では時折、のび太がジャイアンと戦うことで「感動」を呼ぶエピソードがあるわけです。
こういう「感動」は罠だと思うんですけどね。
これが現実なら、スネ夫と戦う構造を作った方がいいと思うんです。
物語としてはまったく面白くないですが。
【2007/06/02】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビューFate/stay nightアニメ版



なんで今さら「Fate/stay night」アニメ版のレビューなんか書くのか?
しかも、とても平板なレビューをなぜ書くのか?
それはエントリー数を増やしたいからです。
見逃してください。

なお、ネタバレはほとんどありません。


さて、アニメ版。

これは見なくてもいいような気がしますね。
作画は綺麗で、ストーリーは無難に仕上げてありますが、原作をプレーしている人が、わざわざこのアニメを見る必要はないと思います。

じゃあ原作をプレーしてない人が、アニメだけ見て話を掴めるのか?

原作では次の三つのルートがあるわけです。

Fate(セイバールート)
Unlimited Blade Works(遠坂凛ルート)
Heaven's Feel(桜ルート)

基本的にアニメではセイバールートだけです。
残りのふたつのルートの話が断片的に出てくることもありますが、基本的にセイバールートだけをアニメにしたと考えていいでしょう。
(「月姫」のアニメで吸血鬼ルートしか出てこないのと同じです)。

このアニメを見るくらいなら、普通に原作をプレーした方がいいような気がしますね。
このアニメは作画も綺麗だし、不満はないのですが、セイバールートだけしかないのがちょっと……。

もっともルート分岐があるノベルゲームをアニメにする以上、不満は付きまといます。
まあセイバールートだけやれば、雰囲気はわかるとも言えるんですけどね。
綺麗なアニメの絵で、どんな作品か雰囲気がわかればいいという人にはいいのかも。
原作全部やると長いですからね。
【2007/06/01】 | レビュー | トラックバック(0)



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