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フィクションで指導者の指導が間違っていることは、ほとんどない

主人公にとって、何らかの指導的な立場の人物があてがわれることは、よくある。この場合、その指導者が頭悪いとか、間違った理論を教え込むとか、そういうことはない。間違っているように見えたとしても、実は理に適っていたりする。

フィクションの指導者は名探偵のように振る舞う。変だと思われる課題を主人公に課して、主人公の頭の中は疑問符で一杯になるが、やってみると実は理に適っていた、、という感じだ。
(そういう効果を後から名探偵のように解説するのだ。最初から全部説明して、理に適っていると納得させてからだと、つまらないかもしれない)。

リアルだと、かなり変な指導者に当たってしまうことがあるが、フィクションではほとんど描かれません。
社会派小説っぽいものなら、主人公のサラリーマンが厄介な上司に当たるとかあるだろうが、漫画とかではそういうものはありません。
もっとも青年誌ならそういう漫画があるかもしれない。
青年誌だと、その種の世知辛さを描くこともある。
だが少年漫画では、わざわざそんなことはしない。
物語効果としては、指導者が(名探偵的な)名伯楽であった方がよいわけだ。
そういう物語効果を外してまで、「指導者が無能で……」みたいな現実的展開をさせる意味はない。
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フィクションで発生するアクシデントは手加減しなくてよい

フィクションにおいて発生するアクシデントは手加減無しでいいのだ。こんなことが発生したらさすがに事態を収拾出来ないということを次々と起こしても構わない。

特に「メロドラマ」と括られるような作品は、たいていアクシデントの連発である。致命的なアクシデントが発生して、一時的には大ダメージになるが、でも結局何とかなる。露骨なアクシデントが次々発生する作品は基本的に面白い。

いわゆる「メロドラマ」でなくても、スポーツ漫画で怪我をすると、そこから大活躍というのはよくある。現実のスポーツ選手なら怪我したらそこで終わりだが、フィクションだと、怪我してるのに超人的な活躍させても大丈夫なわけだ。

逆に言うと、作者の人が「手加減」してしまう作品は面白さが足りない。フィクションなんだから、取り返しの付かないアクシデントを次々発生させてもいいのに、なぜか常識を働かせてしまい、普通のレベルのトラブルに留めてしまう。

常識や手加減はいらない。
主人公やヒロインは絶対的な窮地に追い込まれるべきなのだ。
フィクションだから、絶体絶命のピンチを脱することは簡単。
絶体絶命の大安売りでもいいわけだ。

「携帯電話俺」水市恵



男が携帯電話になってしまう話。
カフカの「変身」のような作品、というか、「変身」のオマージュとして書かれている。

インターネット上のバーチャルな女の子とかなら誰でも考えそうだが、男が携帯電話の中の存在になるというのはアイデア的に斬新ということなのだろう。

「変身」は誰でもタイトルを知っているような古典的な作品ではあるけれど、ありがちなパターンの作品ではない。
そういうところからネタを持ってきたのがよかったのだろうか。

作者は1984年11月生まれということだから、まだ22歳ということになる。
あとがきによれば、初応募?かそれに近い形でガガガの佳作に入ったそうである。
応募した時点では21歳?
深い考えがあって「変身」のオマージュにしたというよりは、何となくひらめいて書いてみたということだろうか?

ともかくアイデアの勝利というか、目先の変わった作品として、結構面白い。

一人称で文章も読みやすい。
(一人称で読みづらい文章というのは、あまりお目に掛からないが)。

「ラジオガール・ウィズ・ジャミング」深山森



わりと評判のよい作品。

自分はちょっと読みづらかったかも。
読んでいて、状況がわからないことが多かった。

「わざとらしく状況を説明するセリフ」や「わざとらしい説明描写」を嫌う人がいるけど、読者が作品を全力で読むとは限らない。
適当に読んでいると、状況がわかんなくなることがあるのです。

この作品の場合、状況がちょっとわかりづらいので、もうすこし、「説明セリフ」があってもよかったのでは。

いろいろ人間模様があるので、わりと集中して読まないと、何の話だったかわからなくなるかも。
映像が無いのに、映画みたいな造りの作品と言えばいいのか。

でも他人の評判は悪くないので、状況がわからないのは自分の読解力が足りないだけかもしれない。
頭が悪いので、主人公を中心に動かしてくれないと、状況が掴めないのです。

フィクションの登場人物は大怪我しても完治するが……

フィクションでは、死ぬような喧嘩をしても翌日には治っていることがあります。

また、主人公が大怪我をするような場面が描かれても、やはり休めば完治する。

完治しない、つまり、何らかの後遺症が残ったりする作品は稀です。
ものすごい大怪我をして短期間で完治するのは自然なのです。

あるいは、普通なら100パーセント確実に死んでいるような状態になって、それでも生きているというのも頻繁に見られる演出です。


最初から片目を失明している格闘家とかならわりとありますが、主人公が途中で片目を失明するみたいなのはあまりありません。
もちろん少女漫画的な設定で失明させることはありますよ。
(要はメロドラマ的な展開を見据えた上での失明などはある)。
でも普通のバトル作品ではほとんどありません。
孫悟空が戦いの途中で片目を失って、眼帯をして、その後も話が続いていくみたいなのは、ありえないわけです。


この「完治幻想」というか、肉体の強さの幻想は、現実でもわりとあると思います。

プロレスラーは、筋肉の鎧みたいなイメージで見られている。
もちろんみんな八百長だとはわかっているけど、でも肉体の強靱さを疑う人はいない。

実際は、筋肉を鍛えると攻撃力が上昇するだけで、防御力はあまり上昇しないと思われます。
そもそも人間の場合、筋肉が付かないところがたくさんあります。
プロレスラーは、腕や足が凶器のような状態で、急所は頭部その他たくさんあるわけですから……。
仮に本気でやったら一般人より遙かに死亡リスクは高いでしょう。

プロレスラーに限らず、鍛えている人間は防御力が高いと推定されている気がします。
ある種の無敵とか不死身みたいなイメージですね。
「強い=不死身」みたいなイメージはフィクションだけでなく、現実でもかなり信じられている。

もっとも本当に不死身なら、プロレスは本気でやればいいし、喧嘩も手加減無しでやればいいのです。
何があっても完治するわけですから。

つまり肉体の脆弱さをどこかで認識した上での不死身幻想とでも言えばいいのかな。
そういう全能感はフィクションでもリアルでも通底していると思うのです。

事件の影響でドラマが中止になったりするのは、ある意味適切だ

社会的に大きな事件が起きるとする。
それで、その事件と似た手口のドラマがたまたま放送予定だった……。
そういう場合によく放映中止になります。

これを批判する人がいます。
確かに批判はもっともでしょう。
たまたま似ている話だったからどうだというのだ。

でも考えてみてください。
「所詮はフィクションじゃーん。所詮は作り話じゃーん」
ということでもいいのでしょうか。

フィクションは私たちの存在の核です。
この世界に存在させられている自分なんて、割り振られた端役でしかない。
あなたの心が求める力に従ってこの世界が形づくられていくわけではない。

私たちは心に大きな過剰性を抱えているからフィクションがあるのです。
フィクションは現実よりも私たちの内面に近いかもしれないのです。

良くも悪くも、人がフィクションに入れ込んでいるから、フィクションがあるのです。
目の前の環境世界にがっちり填ってそれで終わりなら、フィクションはない。
溢れ出す何かがあるからフィクションになるのです。

フィクションに対する変な規制とかも、フィクションが「単なる作り話」とは思われていないからです。
私たちの内面の在り方と深くリンクしていると思われているからこそなのです。

仮にフィクションをみんなが冷めた目で見ていたら、フィクションは無いかもしれませんよ。
お兄ちゃんがエロゲーで泣いたりすることだって出来ないかもしれないですよ。

「黄昏色の詠使い イヴは夜明けに微笑んで」細音啓



世評はよい作品。
自分はつまらなかった。

主人公が誰なのかわからない。
カインツとイブマリーの物語が中心であるように思えるが、ネイトを主人公として描いている場面が長すぎる。
カインツとイブマリーの物語かと思って読んでいると、ネイトの物語になって、でもやっぱり終盤ではカインツが中心になるので、頭の中がクエスチョンマークで一杯になった。

もっともこの作品の評価は高いようなので、このあたりの構成が絶妙であると感じた人も多いのだろう。
少なくとも自分は、主人公が定まらない妙な作品という印象を受けた。
というより、普通に粗筋をとらえれば、カインツが主人公の作品なのに、なんでネイトが主人公的なポジションにいるのか。。。
主役でない人物の視点から眺めるという描き方でもない。
ネイトが主人公の部分では、ネイトの物語だったりするので、わけがわからない。

たぶんこの作品はある種の年代記であり、誰か特定の主人公を中心軸にして物語が動いていくというものではないのだろう。
主人公が定まらないというよりは、定めていない作品、なのだと思われる。

主人公を中心に世界が回るのが物語の基本だと思っていたので、こういう作品が評価されているのは興味深い。

あと、この作品は、「感動」させることが目的である。
単純な意味で「面白い作品」ではないのである。
スポーツに喩えると、試合そのものがエキサイティングだというのではない。
選手の人生のエピソードとか、そういう感動を描くものである。
つまり「エキサイティングな物語」ではなく、「ハートウオーミングな物語」ということです。
個人的な好みとして、あまり合わなかった。

「武林クロスロード」深見真



ガガガ文庫の作品。

エロ小説……、とは言っても、美少女文庫のようにエロが敷き詰められているような作品ではない。
ある程度ストーリー性はあり、その中でのエロ。
でも、あまり必然性はないエロ。

表紙の絵を見て抵抗感を持つ人もいるかもしれない。
中身は面白く、自分は一気読み出来た。
筋肉だらけの女の子が戦う話。
バトルのストーリーと、筋肉だらけのイラストは巧く噛み合っている。
最初はイラストに抵抗感があったが、でも意外といいのかも。

ふたなり少女がヒロインなのがよい。
(もっとも、ふたなりがメインというわけではないので、あまり大きな期待はしないように)。

それにしても、ガガガはこんな作品を出して大丈夫なのか……。

「ユーフォリ・テクニカ 王立技術院物語」定金伸治



普通に面白い作品。
興味を惹く要素がうまく配置されていて、すんなり読める。

ただ、決定的に面白いかというと……。
面白いことは確かで、最後まですんなり読めたが、物足りなさを感じる部分も。

序盤のつかみに関して。
冒頭に出てくるヒロインが実は王家の王女(プリンセス)だとわかるのだが、これはよかった。
でも、その後で、このヒロインは、王様の七番目の息子の七番目の娘(王様の孫娘)だと説明される。
要はプリンセスでも、王家の中での地位が低いのである。

もちろんプリンセスの中で地位が低いから勝手な行動がとれるということなのだろうが、このあたりは漫画的?に展開して欲しいものである。
王家の中で非常に重要なプリンセスが王家に黙って勝手なことをやるドタバタ展開にして欲しかった。
せっかく面白いつかみなのに、「実はプリンセス」というのが設定として生きていない。「最初のつかみ」として気を惹くだけで、ストーリー全体をぐいっと引っ張るようにはなっていない。

本当に面白い作品というのは、作品全体に効果を及ぼす強力な設定を持っている。
他の部分に関しても、この作品は、続きが気になるように巧く書かれているのだが、どうも場当たり的に興味を惹いているだけという印象がある。

「煌夜祭」多崎礼



「涼宮ハルヒ」とか「ゼロの使い魔」みたいなのをラノベというのなら、この「煌夜祭」はラノベではない。
ラノベのレーベルから出てはいるが、ライトノベルではないと言いきった方がいいかもしれない。
多くの人がイメージするラノベとは全然違う作品である。

いずれにせよ、かなり面白いストーリー。
筆力も高い。
一般的な小説だとこれくらいの筆力は当然なのかもしれないけど、ともかく文章は巧い。
構成が絶妙で、読み始めたら続きを読まずにはいられない。
一気読み出来る。

作者は投稿歴17年で、この作品で初めて新人賞を獲ったということらしい。
筆力が高いのに何で?という気もするが、言われてみると、この「煌夜祭」はテイストが古臭い。
アニメっぽいテイストではなく、一昔前の伝奇小説みたいな感じである。
構成が非常に斬新なので鮮烈な印象を受ける作品だが、それぞれのパーツを切り離して見ると、かなり古臭い作品とも言える。

アニメっぽい要素はまったくないので、ラノベらしい作品を期待する人にはよくないかもしれない。
でも、優れた作品であり、誰が読んでもある程度は面白いはずである。
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