まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

雑記伏線にこだわる人

物語に伏線が存在する理由として、伏線にこだわる読者(視聴者)への配慮があるかと思います。

中盤でいきなり「実は○○だった」というのがあると怒る人が必ずいます。
「伏線を張らずに突拍子もない設定を出す糞作品」とか言われるわけです。
だから序盤の段階で、中盤の設定を仄めかしたりする必要があるのです。

つまり「伏線がない作品を嫌悪する人」のための対策。
(逆に言えば、伏線が整備されている作品だと、こういう種類の人に絶賛されたりする)。

あと、「伏線」と一言で言っても、

1,最初に読んだ段階でわかる伏線
2,後から「あれが伏線だったんだ」と気づく伏線

があるかと思います。

2に関しては「伏線にこだわる人」に怒られないためのもの、と思ったり。

総合的に考えると、伏線はあった方が無難なんでしょう。

【2008/01/31】 | 雑記 | トラックバック(1)



物語の在り方主人公が損をすると共感されやすいので

私たちは(現実では)説教されるのを嫌います。
理由は色々あるだろうけど、基本的に説教の際に言われることは不合理だからです。
立派な考えを持って生きれば得をするのか?
(得をするのなら、世の中立派な人だらけですよ)。
つまり本当の意味での有効なアドバイスではなくて、まともに従ったら損をするようなことなわけです。

・辛い道を選択しろ
・小利口に立ち回るな
・他人のために犠牲になれ

……という感じです。

「もっともらしい」けど、実行したら損をします。
だから説教は聴かない方がいいのです。

しかし私たちはフィクションだと、こういうのを好みます。
(他人に説教するのは好きであるという私たちの本質でもあります)。

主人公が損をするのはフィクションの基本です。
「損をするような性格」がかなり好まれます。
(要領がいい主人公が出てくる作品は、中二病呼ばわりされる)。

「得をする」のと「共感される」のは両立しないのかもしれません。
要領がいい人物を私たちは許容するけど、でもあんまり共感はしないわけです。
要領がいい人物に怒っても「のれんに腕押し」だから何となく認めるけど、心の底ではシンパシーを感じていない。

フィクションの登場人物なら、「損をするような性格」だと役柄的に"おいしい"のかもしれません。
そういう意味ではフィクションの主人公が損をするような選択をするのも、役柄的なおいしさを求めているのであり、合理的行動と言えるかもしれません。
【2008/01/30】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方告白するか迷っている人には必ず告白を薦める

これはフィクションでも人生相談とかでも、必ずそうなんですが……。

「告白するか迷っている」という人がいた場合、ほぼ100パーセントの確率で告白が薦められます。
告白するように薦めないといけないのかなと。
「やめておいた方がいい」というのは、ほとんどない。
(「○○さんに憧れるなあ」「おまえには高嶺の花だろ。やめとけ」くらいならあるかも)。

これは不思議と言えば不思議です。
漫画とかラノベではかなり恋愛は避けられるのに、告白の相談になると、必ず背中を押すわけです。

少年漫画では、恋愛が描かれない。描いたら蛇足だと言われる。「ヒカルの碁」でヒロインの存在感が薄まっていくのはそういうことです。
もちろんラブコメっぽい作品もあることはありますけどね。でもそれは「ラブコメ枠」だと思うんです。「いちご100%」的な作品を入れておくみたいな。多くの少年漫画では恋愛の話が避けられています。

ラノベも主人公とヒロインが出会う話ばかりだけど、意外と「恋愛」は描かれない。恋愛に発展しない奇妙な関係として描かれることが多いわけです。
(つまり「男女交際」はラノベでは避けられる。主人公と美少女が腐れ縁になる話は非常に多いけど)。

ともかく告白の話が出たら、必ず告白することを薦めないといけないのです。
理由は不明ですが、そう決まっているのです。
【2008/01/26】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「峰深き瀬にたゆたう唄」(エウシュリー)の感想

■エウシュリーの作品は初めてプレーした。
アリスソフトやソフトハウスキャラと同系統のメーカーだと聞いたので。
他人の評判を聞くとオーソドックスなRPGや戦略SLGが多いメーカーらしい。

■長い。
ストーリーは読み飛ばしながらやったけど、クリアするのに35時間掛かった。
普通にやったら40時間以上は掛かる。
じっくりやると50時間掛かるゲームかもしれない。

■出来が素晴らしいダンジョン攻略ゲーム。
ただし、昔からよくあるタイプのゲームなので新鮮さは全く無い。
また仕掛けを解くような要素はほとんど無し。
(ゼルダの伝説のようなゲームではない。雑に言えばトルネコのようなゲーム)。
後に残らないゲームかもしれないです。
(アリスソフトの)ランスシリーズで言うなら、「ランス6〜ゼス崩壊〜」的なイメージ。
出来はいいんだけど、「鬼畜王ランス」や「戦国ランス」みたいに印象深くはない。

■難易度調整は出来る。
自分はnormalでプレーしたが、すんなりクリアできた。
いずれにせよ、経験値稼ぎが出来るゲームなので、同じところで躓いてイライラすることは無いはず。

■二周目もあるんだけど、やる意欲が湧かない。
(二周目をやる理由がないと言った方がいいかも)。
二周目があるのは、別のヒロインをクリアするというエロゲーの構成の都合上であって、ダンジョンクリアゲームとして見た場合、二周目をやる理由がない。

■絵の出来は普通によい。
絵柄は少し古いかも?
でも世界観とは合っている気がする。

■武器が壊れるシステムはいいかと思った。
(壊れた場合は、ダンジョンから出ないと修理できない)。
ポケットモンスターで技の数が制限されているのと似た感じ。
こういう制限が無いと、同じキャラの同じ能力ばかり使うことになるから、(いろんなキャラを使う意味で)武器が壊れるのはいいかなと。
変なところで武器が壊れて腹が立つこともありますけどね。
【2008/01/26】 | レビュー | トラックバック(0)



物語の在り方人気シリーズはエンドレスなプロットなので

前にも似たようなこと書いたんですが、あらためて。

ライトノベルの人気シリーズの場合、続編を出すために、プロットがエンドレスになっています。
人気がある限りは幾らでも続きが出せるような話作りにしているわけです。

物語というのは、「完結」していることが望ましいとされます。
プロットが完結に向けてきちんと組まれているのが望ましいのです。単にエンディングがあるというだけでなく、作品全体が完結に向かっているかどうか。250ページの作品だとすると、250ページ目で「完結」するように最初から展開が組まれているかどうか。
(つまりダラダラ書いていて、最後の方でいきなり終わるみたいなのはダメなのです)。

でも「人気シリーズがエンドレスなプロットならエンドレスの方がいいのでは……」という意見もあるでしょう。
これがなかなか難しいところです。

このあたりの問題は、「キャラクター小説」として人気を博せば、プロットがエンドレスでも許されるということかもしれません。キャラクターに対する人気が発生すれば、それに応じた書き方が許される。逆に言えば、人気もないのに「キャラクター小説」にしてはいけないと言えるかも。
【2008/01/25】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方他人のために怒る

「他人のために怒る」のは正当性があります。
これはリアルでもフィクションでも共通です。
他人のために怒るというのは感動を呼びやすいです。

もっとも現実で言うと、結構他人をダシにして怒るという側面があるんですけどね。
あなたがAという人物に対して不満があるとして。その場合、あなたが自分自身の不満をぶつけるとみっともないから、他人をダシにして怒ることもあるでしょう。たとえば「Bのため」という名目でAに怒りをぶつけるとか。

他人をダシにするというのは、フィクションでもよく使われます。
Aに対して普段は我慢していても、自分の妹が傷つけられたら「妹のために」立ち上がるとか。自分の仲間に手を出されて、今まで我慢していたのがプツンと来るみたいな展開はよく見掛けます。
「自分ならいくら馬鹿にされても我慢できるが……」みたいなのは定番ですね。

何で自分自身のことで怒ったらいけないのかは難しいです。
「他人のため」とぐるぐる迂回していくと、誰がどういう不満を持っているのか分かりづらい場合もあると思いますけどね。
(自分の不満を自分で述べてはいけないというのは日本的かも?)。
【2008/01/20】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



雑記状況説明文を入れるか入れないか

単なる雑談です。
ラノベを読んでいて思うこと。

状況説明文を多用する作者と、頑として使わない作者がいると思うんですよ。特に三人称だと、状況説明文を入れると汚くなると感じるのかも?

私がここで状況説明文と言っているのは、作品の途中で「これまでの粗筋」を説明してくれる文章のことです。今主人公はこういう状況に置かれている、と説明する文章。
(状況整理文と言った方がいいかも?)。
読者としては、状況説明文があった方が読みやすいことは確かです。でも文章としては、状況説明文がない方が綺麗な気がします。特に筆力のある人だと状況説明文を書きたがらないかも?
状況説明を加えていると、あんまりスタイリッシュではないです。

「定期的な状況整理」があると、ストーリーの理解がしやすくなります。ヒットしている作品は状況説明文が多いような気も?

状況説明が少なくて筆力が高い文章は、評価される一方で、あんまり人気が出ないように思える部分も。洗練されているんだけど、でも読みづらい、、というのがあるのです。

(あるいは、状況説明が少ないと筆力が高いように錯覚する場合もあるかも)。
【2008/01/16】 | 雑記 | トラックバック(0)



物語の在り方ラノベの高校には運動部がない

ライトノベルやエロゲーに高校が出てくる場合、運動部は存在しません。

こう書くと、「クラナドにラグビー部が出てくる」とか「ハルヒにアメフトの話題があった」というような反証事例を出されるかもしれません。
でも無いんですよ。実質的な問題なのです。「あずまんが大王」の舞台が共学でも実質的に女子高なのと同じ、という問題です。ラノベやエロゲーに運動部が出てきても「あずまんが大王」の男子生徒並みの扱いなのです。

まず基本的に主人公が運動部ということが極めて少ないわけです。主人公は帰宅部か、そうでなければ、変な同好会(サークル)に入っています。
(変なサークルに入らされるというのはラノベのお約束のひとつです)。

ともかく運動部が無いんですよ。主人公がバトルとかやっていることが多いのに、運動しないのです。バトルが必要なら運動部の主人公とかがあってもいいと思うんですが、なぜか文化部ばかり。

こういうのが不自然に感じないのは、現実の学校生活で、運動部と文化部の棲み分けがあるからかと思います。文化部に所属していると、運動部とはコミュニケーションがないと言えばいいのか。
文化部は文化部だけの世界の中にいて、運動部は空気であると。。。
ラノベやエロゲーはそういう視点から作られているわけです。
(実際は運動部が中心で、文化部が空気ということだと思いますけどね)。
【2008/01/14】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



雑記wikipediaの「セカイ系」の項目を読んでみたけど

wikipediaの「セカイ系」の項目を読んでみて違和感。

セカイ系作品というのは「ノストラダムスの大予言」的な終末思想の影響が強くて、(つまり1999年あたりがピークで)現在だと死語になるのも当然という感じかと思います。
wikipediaのセカイ系の記述ではノストラダムスへの言及が全くないので気になります。
(wikipediaは通俗的な定義を書くものだから、wikipediaがおかしいということではないけど)。

セカイ系という用語が出てきたのは2002年らしいですが、対象となっている作品は20世紀末の空気のものです。

主人公やヒロインが世界の動向を左右するという作品は昔からたくさんあるわけです。
人気作品の特徴と言ってもいいでしょう。
終末思想を含まなくてもいいのなら、そういう作品は現在でもたくさんあります。
「セカイ系」という用語を使う場合、終末思想を含んでいるか否かが重要で、それによって定義はかなり変わります。
(終末思想を含まなくてもいいなら、物語の基本中の基本です)。

私が気になるのは、セカイ系という言葉を使いたがる人が、(終末思想をイメージしているにも関わらず)ノストラダムスの話に触れたがらないということです。
この手の作品を普通に読めばノストラダムスっぽいという感想は抱くべきなのですが、そういう「流行現象」として捉えるのが嫌なようです。
(1999年がピークの流行現象として捉えるのが嫌なのでしょう。別の形でのサブカル的な流行として捉えたいのだと思われます)。

言うまでもなく「ノストラダムスの大予言」は噴飯モノです。
(2008年現在ではフィクションのギミックとしてさえ使えない)。
だからノストラダムスと結びつけて語りたくないんだろうけど、でも「セカイ系=ノストラダムスの影響作品」と言ってもいい部分はあるわけですよ。
セカイ系について語るならノストラダムスに言及しないといけないのではないかと。
もちろんノストラダムスと結びつけると1999年に矮小化されるけど、実際そういうことだと思うのです。
【2008/01/13】 | 雑記 | トラックバック(0)



物語の在り方最近は貧乏な設定が難しい

古典的な話だと主人公その他が貧乏という設定がかなりたくさん出てきます。
でも、現代日本を舞台とした作品で「主人公が貧乏」というのは据わりが悪いはずです。最近は格差社会とかワーキングプアとか、そんな言葉をよく聞きますが、でも古典的な貧乏というイメージではないかもしれない。

貧乏という設定が(読者的に根本的に)受け入れられないというわけではなく、現代日本が舞台だと厳しいのだと思われます。19世紀以前のイメージで描かれたファンタジーとかで、主人公やヒロインが貧乏というのは普通にあり得ます。

あと、古典的な物語における貧乏というのは単に貧しいだけではなく、何らかの意味も含むのかもしれません。
負い目のような……。
今の世の中だと、貧乏が負い目とリンクしづらい。もちろん貧乏だったらマイナスだろうけど、伝統的な社会における「負い目」ではないと思うのです。

貧乏は負い目なのです。
現代の格差社会とはまた別の話です。
伝統的な社会特有の負い目というのがあるのです。

たぶん伝統的な社会だと、ある意味子供は邪魔者であり、食べさせて貰っている存在です。子供は「家」の所有物であり、人権がないと言えばいいのか。物語的な「貧乏」というのは伝統社会独特のものであり、それが現代日本とはそぐわないのかも?

明確な結論は出せないのですが、古典的な作品だと貧乏設定はデフォなのに、最近だと貧乏設定が極めて使いづらいのが興味深いと思うのです。
【2008/01/13】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「狼と香辛料」アニメ版第一話

「狼と香辛料」の原作は第十二回(2005年)電撃大賞の銀賞作品です。

この時の大賞は「お留守バンシー」。金賞は「哀しみキメラ」でした。

個人的には、「哀しみキメラ」は駄作、、というか、悪い意味でありがちな作品かと思います。
(キャラの年齢設定が高めなのが普通のラノベと違うだけ)。
「お留守バンシー」は筆力の高さが素晴らしい作品なんですが、物語の粒が小さすぎるかもしれません。
(物語のスケールが大きな作品は新人賞では弱い傾向がありますけどね)。
「狼と香辛料」が大賞でない理由がわからない、、、みたいな意見も聞きます。
出版されたものの出来を見れば、「狼と香辛料」は一番いい作品かと思います。
たぶん「狼と香辛料」は投稿時点で出来が悪かったのかなと、、、想像ですが。

ともかく「狼と香辛料」はかなり売れています。
ヲタ受けは今ひとつですが、物語として大変よく出来ているので、評価も高いです。
(ただし面白いのは第四巻まで。第五巻は中途半端。第六巻はものすごい手抜き)。

そしてアニメ化に至りました。
この「狼と香辛料」はキャラ萌えとしては、私個人は受け付けないんですけどね。。。
ストーリーは面白いけど、キャラには萌えない。
(実際売れているわりにヲタ受けはよくない作品です)。
キャラ萌え的に売っていく方向で上手くいくのか興味深いです。

アニメの第一話を見てみたんですが……。
何とも言えず。
出来は悪くないと思います。
この作品自体がアニメに向いているのか(キャラ萌え的な展開に向いているのか)、、でしょうね。

私としては、「狼と香辛料」は小説ならではの作品だと思うので、アニメは挫折するかも。


【2008/01/11】 | レビュー | トラックバック(0)



物語の在り方旧家設定

通常の場合、現代日本を舞台にするなら、現代日本に合わせなくてはいけない。
それに合わないことが描かれれば据わりが悪くなります。

その一方で(というか、それがゆえに)よく使われるのが、旧家設定です。

21世紀の日本なのに、そこの家だけ封建社会みたいだとか。
たいていはお金持ちの設定で、大きな屋敷があったりして、古臭い因習が守られていたりする。
こういう設定だと、そこでどんなに古臭いことが描かれていても違和感はないのです。
(昔の封建社会でも有り得ないようなことを描いても違和感がないかもしれない)。

「旧家」ということにしておけば、かなり独特な「しきたり」を設定しても大丈夫な気がします。
「しきたり」の内容がかなり変でも、それは旧家というテンプレに吸収される。
旧家設定にしておけば、その家の中で無茶苦茶なルールがあっても(読者に)受け入れられます。

現実には、普通の家庭でも変なルールがあったりすると思うんですが、それはあんまりフィクションでは好まれないと思います。
【2008/01/08】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方狂気もテンプレ的な

サブカル寄りのラノベだと、頭のおかしい人が出てくることがあります。
(あるいは頭のおかしい人が出てくるラノベがサブカル的に評価されるのか?)。

こういう場合の「狂気」はだいたい予想出来る気がします。
読まなくても、どんな感じかわかる。

本当の意味で精神病の人とかはあんまり出てこないです。
言動が支離滅裂で辻褄が合わない、みたいな人物は描かれない。
ある種の確信犯(誤用)的な人物として登場したりすることが多いわけです。

鬱とか神経症の系統だと、基本的に人間関係の葛藤ということだと思うんですが、こういうのもあんまり描かれない気がします。
(人間関係の葛藤で鬱病になった人を描いても面白くないから?)。

フィクションでの狂気は基本的に人格障害ですね。
考えの偏り。
「常識」とは違う考えに固執する。
ともかく本人は理性を失っていない。
また結構病識があることも多いです。
(普通の精神病の人は、まず病識が無かったりする)。

だからどうしたというわけではないですけどね。
本当に支離滅裂な言動の人を出しても、面白くないはずなので。
(あるいは表現上の問題があるかもしれない?)。
ともかく何が言いたいかというと、考えの偏りを書けばいいだけなんですよ。
本当の意味で精神病理学に従う必要はない。
【2008/01/07】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方「スケールが大きい作品」という言い方は難しい

フィクションについて語る場合、「スケールが大きい」という言葉をよく使います。
これがどうも難しい。
いや、「スケールが大きい」はいいんだけど、「スケールが小さい」というと悪口のようです。

つまり、物語内の世界観の規模について言いたい場合に、

・スケールが大きい
・スケールが小さい

というと、価値判断を含んでしまうわけです。
価値判断を含まない中性的な言葉が必要なのかなとも思います。

ひとまず「スケールが大きい」と「スケールが小さい」に関して言えば、たとえばヒロインの異能力の効果範囲の問題です。
ヒロインが地球を滅亡させる力を持っているとか、宇宙をコントロールする力を持っているとか設定すればスケールの大きな作品ということになります。
逆にヒロインの異能力の効果範囲が狭いと「スケールが小さい」ということになります。

「スケールが大きい」というのは、ヒットする作品の特徴と言っていいかと思います。
ヒロインの異能力の範囲が広い作品の方がヒットする。
でも、そういうタイプの作品は雑になりがちでもあります。
ヒロインの能力が限定されている「スケールが小さい作品」の方が、よく出来ていることもあります。

ヒロインがスーパーパワーを持っているというのは、ヒット作品の特徴である一方で、駄作になりやすい気もします。設定として素晴らしいかどうかはわかりません。語弊はありますが、「陳腐」だと言ってしまっていいでしょう。ヒロインがスーパーパワーを持っていて世界が左右されるのは陳腐。でも陳腐な作品の方が大ヒットしやすい部分もあります。
【2008/01/04】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



ネット社会インターネットに評価や感謝が存在しないのは

最近はドライにサイトを運営している人が多いです。
ネットで評価や感謝をされたいみたいな感情が昔はあったと思うんですが、最近はそういうのは無くなっています。

ネットに評価が存在しないのは、評価というのが「社会的な仕組み」だからです。個々人の評価が積み重なって評価になるのではなく、「仕組み」としての評価なのです。ある人物が社会的に評価されているとすれば、それは「仕組み」に従って評価されているのです。みなさんの一人一人の評価が積み重なって評価に至るのではありません。
(ネットには「仕組み」が無いから評価もありません)。

感謝に関しても似たようなものです。
感謝も「仕組み」です。
この世の中では、誰に対して感謝するかというのは決まっています。

たとえば、親には感謝しないといけないと決まっている。
どんな親子関係だったかは問いません。

運動部の先輩後輩なども同じことです。
後輩として、先輩に「世話」になったら「感謝」しないといけない。
「世話」の内容は問わないんです。
本当に素晴らしい先輩に恵まれても、悪質な先輩に「世話」になっても、「感謝」の義務があるのは一緒。

つまり、感謝というのは、ある特定の対象に対しての根源的な負い目?みたいなものです。
他人から何かプラスの恩恵を受けたら、それと等価の謝意を示すようなものではないのです。
感謝は等価交換ではありません。

ネット上で有益なことをやっている人が感謝されないのは当然で、感謝というのは負い目の関係だから、そんなものがあったらおかしいわけです。
有益なフリーソフトを使うたびに負い目を負ったり、有益なサイトを見るたびに負い目を負うのでは溜まらない。
(真面目な話、感謝は人間関係に従って行うものなので、人間関係が無いところでの感謝は難しいのです)。

儀礼的に謝意を述べるみたいなのもあり得なくはないんですが、難しいと思いますね。
【2008/01/04】 | ネット社会 | トラックバック(0)



物語の在り方ヒロインが(主人公と交際しているわけでもないのに)やきもちを焼く

ライトノベルでは直接的な恋愛感情は書かない方が好まれます。
やきもちとして描いた方が明らかにウケがよい。

サブヒロイン(シエスタ)が主人公(才人)に好意的で、それに対してメインヒロイン(ルイズ)がやきもちを焼くというようなものです。
(主人公とヒロインが交際しているわけでもないのに、やきもちを焼くというところが重要です)。

主人公とヒロインのラブストーリーは男の子向けのメディアでは今ひとつ好まれません。
ラブコメならいいけど、ラブストーリーはウケが悪い。

ある意味、読者は「恋愛をしないヒロイン」を求めています。
読者は、主人公とヒロインが男女交際をすることを必ずしも望んでいません。
そうかと言って、ヒロインと主人公が疎遠だったらまずいわけです。
落としどころが「やきもち」なのかなと思います。

ラノベでは、主人公に女の子が群がるような作品が結構ありますけど、あれは恋愛じゃないんですよ。
女の子が群がっていても男女交際はしていない。

主人公とヒロインが男女交際するという作品は、ヲタ以外からの需要はあると思うんですけどね。
主人公とヒロインが恋愛して青春したりするとヲタ受けは悪いはずですが、中高生くらいの読者には受け入れられるかもと思ったり。主人公とヒロインの組み合わせばかりのくせして、まともに男女交際を描くラノベが少ないというのはヲタ寄りなのかなと。

サッカー部で活躍している主人公と、可愛いマネージャーの男女交際とかだとヲタ的には厳しい。

ちなみにヲタは恋愛とか青春を描いてもギャルゲー構造だと受け入れるんですよ。
(狭義のギャルゲーでなくてもギャルゲー的な作品は受け入れる。たとえば「おねがい☆ティーチャー」とか)。
ギャルゲー構造の男女交際と、そうでない男女交際というのは違うのです。
ギャルゲー的にパッケージされていれば、男女交際も許容するのです。
オタク保護機能みたいなのがあるんでしょうね。

あるいはもう少し正確に言えば、ギャルゲーやエロゲーでも、告白がゴールなのかもしれないです。
エロゲーで最後にセックスするとしますよ。
一人のヒロインの攻略に10時間掛かるとして、

・男女交際に至らない前段階(8時間)
・告白して男女交際開始(1時間)
・セックス(1時間)

という程度の時間配分かもしれません。

あるいは、告白→セックスのパターンも多いかも。(つまり男女交際のプロセスは省かれ、告白して受け入れられたらセックス)。
最初の方で告白して付き合い始めて、エンディング近辺でセックスというエロゲーは少ないはずです。
【2008/01/02】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



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