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伏線にこだわる人

物語に伏線が存在する理由として、伏線にこだわる読者(視聴者)への配慮があるかと思います。

中盤でいきなり「実は○○だった」というのがあると怒る人が必ずいます。
「伏線を張らずに突拍子もない設定を出す糞作品」とか言われるわけです。
だから序盤の段階で、中盤の設定を仄めかしたりする必要があるのです。

つまり「伏線がない作品を嫌悪する人」のための対策。
(逆に言えば、伏線が整備されている作品だと、こういう種類の人に絶賛されたりする)。

あと、「伏線」と一言で言っても、

1,最初に読んだ段階でわかる伏線
2,後から「あれが伏線だったんだ」と気づく伏線

があるかと思います。

2に関しては「伏線にこだわる人」に怒られないためのもの、と思ったり。

総合的に考えると、伏線はあった方が無難なんでしょう。

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告白するか迷っている人には必ず告白を薦める

「告白するか迷っている」という人がいた場合、ほぼ100パーセントの確率で告白が薦められる。
告白するように薦めないといけない。
「やめておいた方がいい」というのは、ほとんどない。
(「○○さんに憧れるなあ」「おまえには高嶺の花だろ。やめとけ」くらいならあるかも)。

これは不思議と言えば不思議である。
漫画とかラノベではかなり恋愛は避けられるのに、告白の相談になると、必ず背中を押すわけだ。

少年漫画では、恋愛が描かれない。描いたら蛇足だと言われる。「ヒカルの碁」でヒロインの存在感が薄まっていくのはそういうことである。
もちろんラブコメっぽい作品もあることはある。でもそれは「ラブコメ枠」だと思う。「いちご100%」的な作品を入れておくみたいな。多くの少年漫画では恋愛の話が避けられている。

ラノベも主人公とヒロインが出会う話ばかりだけど、意外と「恋愛」は描かれない。恋愛に発展しない奇妙な関係として描かれることが多いわけである。
(つまり「男女交際」はラノベでは避けられる。主人公と美少女が腐れ縁になる話は非常に多いけど)。

それにも関わらず、告白の話が出たら、必ず告白することを薦めないといけない。
理由は不明ですが、そう決まっているのです。

「峰深き瀬にたゆたう唄」(エウシュリー)の感想

■エウシュリーの作品は初めてプレーした。
アリスソフトやソフトハウスキャラと同系統のメーカーだと聞いたので。
他人の評判を聞くとオーソドックスなRPGや戦略SLGが多いメーカーらしい。

■長い。
ストーリーは読み飛ばしながらやったけど、クリアするのに35時間掛かった。
普通にやったら40時間以上は掛かる。
じっくりやると50時間掛かるゲームかもしれない。

■出来が素晴らしいダンジョン攻略ゲーム。
ただし、昔からよくあるタイプのゲームなので新鮮さは全く無い。
また仕掛けを解くような要素はほとんど無し。
(ゼルダの伝説のようなゲームではない。雑に言えばトルネコのようなゲーム)。
後に残らないゲームかもしれないです。
(アリスソフトの)ランスシリーズで言うなら、「ランス6~ゼス崩壊~」的なイメージ。
出来はいいんだけど、「鬼畜王ランス」や「戦国ランス」みたいに印象深くはない。

■難易度調整は出来る。
自分はnormalでプレーしたが、すんなりクリアできた。
いずれにせよ、経験値稼ぎが出来るゲームなので、同じところで躓いてイライラすることは無いはず。

■二周目もあるんだけど、やる意欲が湧かない。
(二周目をやる理由がないと言った方がいいかも)。
二周目があるのは、別のヒロインをクリアするというエロゲーの構成の都合上であって、ダンジョンクリアゲームとして見た場合、二周目をやる理由がない。

■絵の出来は普通によい。
絵柄は少し古いかも?
でも世界観とは合っている気がする。

■武器が壊れるシステムはいいかと思った。
(壊れた場合は、ダンジョンから出ないと修理できない)。
ポケットモンスターで技の数が制限されているのと似た感じ。
こういう制限が無いと、同じキャラの同じ能力ばかり使うことになるから、(いろんなキャラを使う意味で)武器が壊れるのはいいかなと。
変なところで武器が壊れて腹が立つこともありますけどね。

状況説明文を入れるか入れないか

単なる雑談です。
ラノベを読んでいて思うこと。

状況説明文を多用する作者と、頑として使わない作者がいると思うんですよ。特に三人称だと、状況説明文を入れると汚くなると感じるのかも?

私がここで状況説明文と言っているのは、作品の途中で「これまでの粗筋」を説明してくれる文章のことです。今主人公はこういう状況に置かれている、と説明する文章。
(状況整理文と言った方がいいかも?)。
読者としては、状況説明文があった方が読みやすいことは確かです。でも文章としては、状況説明文がない方が綺麗な気がします。特に筆力のある人だと状況説明文を書きたがらないかも?
状況説明を加えていると、あんまりスタイリッシュではないです。

「定期的な状況整理」があると、ストーリーの理解がしやすくなります。ヒットしている作品は状況説明文が多いような気も?

状況説明が少なくて筆力が高い文章は、評価される一方で、あんまり人気が出ないように思える部分も。洗練されているんだけど、でも読みづらい、、というのがあるのです。

(あるいは、状況説明が少ないと筆力が高いように錯覚する場合もあるかも)。

ラノベの高校には運動部がない

ライトノベルやエロゲーに高校が出てくる場合、運動部は存在しない。

こう書くと、「クラナドにラグビー部が出てくる」とか「ハルヒにアメフトの話題があった」というような反証事例を出されるかもしない。
でも実質的な問題として、運動部はない。「あずまんが大王」の舞台が共学でも実質的に女子高なのと同じ、という問題。ラノベやエロゲーに運動部が出てきても「あずまんが大王」の男子生徒並みの扱いとなる。

まず基本的に主人公が運動部員ということが極めて少ないわけ。主人公は帰宅部か、そうでなければ、変な同好会(サークル)に入っている。(変なサークルに入らされるというのはラノベのお約束のひとつです)。

ともかく運動部が無い。主人公がバトルとかやっていることが多いのに、運動しない。バトルが必要なら運動部の主人公とかがあってもいいと思うのだが、なぜか文化部ばかり。

こういうのが不自然に感じないのは、現実の学校生活で、運動部と文化部の棲み分けがあるからかと思う。文化部に所属していると、運動部とはコミュニケーションがないと言えばいいのか。
文化部は文化部だけの世界の中にいて、運動部は空気であると。。。
ラノベやエロゲーはそういう視点から作られている。

現実の学校は運動部が中心で、文化部が空気ということだと思うのだが、ラノベ視点ではその逆なのである。

wikipediaの「セカイ系」の項目を読んでみたけど

wikipediaの「セカイ系」の項目を読んでみて違和感。

セカイ系作品というのは「ノストラダムスの大予言」的な終末思想の影響が強くて、(つまり1999年あたりがピークで)現在だと死語になるのも当然という感じかと思います。
wikipediaのセカイ系の記述ではノストラダムスへの言及が全くないので気になります。
(wikipediaは通俗的な定義を書くものだから、wikipediaがおかしいということではないけど)。

セカイ系という用語が出てきたのは2002年らしいですが、対象となっている作品は20世紀末の空気のものです。

主人公やヒロインが世界の動向を左右するという作品は昔からたくさんあるわけです。
人気作品の特徴と言ってもいいでしょう。
終末思想を含まなくてもいいのなら、そういう作品は現在でもたくさんあります。
「セカイ系」という用語を使う場合、終末思想を含んでいるか否かが重要で、それによって定義はかなり変わります。
(終末思想を含まなくてもいいなら、物語の基本中の基本です)。

私が気になるのは、セカイ系という言葉を使いたがる人が、(終末思想をイメージしているにも関わらず)ノストラダムスの話に触れたがらないということです。
この手の作品を普通に読めばノストラダムスっぽいという感想は抱くべきなのですが、そういう「流行現象」として捉えるのが嫌なようです。
(1999年がピークの流行現象として捉えるのが嫌なのでしょう。別の形でのサブカル的な流行として捉えたいのだと思われます)。

言うまでもなく「ノストラダムスの大予言」は噴飯モノです。
(2008年現在ではフィクションのギミックとしてさえ使えない)。
だからノストラダムスと結びつけて語りたくないんだろうけど、でも「セカイ系=ノストラダムスの影響作品」と言ってもいい部分はあるわけですよ。
セカイ系について語るならノストラダムスに言及しないといけないのではないかと。
もちろんノストラダムスと結びつけると1999年に矮小化されるけど、実際そういうことだと思うのです。

「狼と香辛料」アニメ版第一話

「狼と香辛料」の原作は第十二回(2005年)電撃大賞の銀賞作品です。

この時の大賞は「お留守バンシー」。金賞は「哀しみキメラ」でした。

個人的には、「哀しみキメラ」は駄作、、というか、悪い意味でありがちな作品かと思います。
(キャラの年齢設定が高めなのが普通のラノベと違うだけ)。
「お留守バンシー」は筆力の高さが素晴らしい作品なんですが、物語の粒が小さすぎるかもしれません。
(物語のスケールが大きな作品は新人賞では弱い傾向がありますけどね)。
「狼と香辛料」が大賞でない理由がわからない、、、みたいな意見も聞きます。
出版されたものの出来を見れば、「狼と香辛料」は一番いい作品かと思います。
たぶん「狼と香辛料」は投稿時点で出来が悪かったのかなと、、、想像ですが。

ともかく「狼と香辛料」はかなり売れています。
ヲタ受けは今ひとつですが、物語として大変よく出来ているので、評価も高いです。
(ただし面白いのは第四巻まで。第五巻は中途半端。第六巻はものすごい手抜き)。

そしてアニメ化に至りました。
この「狼と香辛料」はキャラ萌えとしては、私個人は受け付けないんですけどね。。。
ストーリーは面白いけど、キャラには萌えない。
(実際売れているわりにヲタ受けはよくない作品です)。
キャラ萌え的に売っていく方向で上手くいくのか興味深いです。

アニメの第一話を見てみたんですが……。
何とも言えず。
出来は悪くないと思います。
この作品自体がアニメに向いているのか(キャラ萌え的な展開に向いているのか)、、でしょうね。

私としては、「狼と香辛料」は小説ならではの作品だと思うので、アニメは挫折するかも。


旧家設定

通常の場合、現代日本を舞台にするなら、現代日本に合わせなくてはいけない。
それに合わないことが描かれれば据わりが悪くなります。

その一方で(というか、それがゆえに)よく使われるのが、旧家設定である。

21世紀の日本なのに、そこの家だけ封建社会みたいだとか。
たいていはお金持ちの設定で、大きな屋敷があったりして、古臭い因習が守られていたりする。
こういう設定だと、そこでどんなに古臭いことが描かれていても違和感はない。
(昔の封建社会でも有り得ないようなことを描いても違和感がない)。

「旧家」ということにしておけば、かなり独特な「しきたり」を設定しても大丈夫である。
「しきたり」の内容がかなり変でも、それは旧家というテンプレに吸収される。
旧家設定にしておけば、その家の中で無茶苦茶なルールがあっても(読者に)受け入れられる。

現実には、普通の家庭でも変なルールがあったりすると思うが、それはあんまりフィクションでは好まれない。
あくまで大きなお屋敷に住んで代々続いているような旧家でなければならない。

インターネットに評価や感謝が存在しないのは

最近はドライにサイトを運営している人が多いです。
ネットで評価や感謝をされたいみたいな感情が昔はあったと思うんですが、最近はそういうのは無くなっています。

ネットに評価が存在しないのは、評価というのが「社会的な仕組み」だからです。個々人の評価が積み重なって評価になるのではなく、「仕組み」としての評価なのです。ある人物が社会的に評価されているとすれば、それは「仕組み」に従って評価されているのです。みなさんの一人一人の評価が積み重なって評価に至るのではありません。
(ネットには「仕組み」が無いから評価もありません)。

感謝に関しても似たようなものです。
感謝も「仕組み」です。
この世の中では、誰に対して感謝するかというのは決まっています。

たとえば、親には感謝しないといけないと決まっている。
どんな親子関係だったかは問いません。

運動部の先輩後輩なども同じことです。
後輩として、先輩に「世話」になったら「感謝」しないといけない。
「世話」の内容は問わないんです。
本当に素晴らしい先輩に恵まれても、悪質な先輩に「世話」になっても、「感謝」の義務があるのは一緒。

つまり、感謝というのは、ある特定の対象に対しての根源的な負い目?みたいなものです。
他人から何かプラスの恩恵を受けたら、それと等価の謝意を示すようなものではないのです。
感謝は等価交換ではありません。

ネット上で有益なことをやっている人が感謝されないのは当然で、感謝というのは負い目の関係だから、そんなものがあったらおかしいわけです。
有益なフリーソフトを使うたびに負い目を負ったり、有益なサイトを見るたびに負い目を負うのでは溜まらない。
(真面目な話、感謝は人間関係に従って行うものなので、人間関係が無いところでの感謝は難しいのです)。

儀礼的に謝意を述べるみたいなのもあり得なくはないんですが、難しいと思いますね。

ヒロインが(主人公と交際しているわけでもないのに)やきもちを焼く

ライトノベルでは直接的な恋愛感情は書かない方が好まれる。やきもちとして描いた方が明らかにウケがよい。

サブヒロイン(シエスタ)が主人公(才人)に好意的で、それに対してメインヒロイン(ルイズ)がやきもちを焼くというようなものである。
(主人公とヒロインが交際しているわけでもないのに、やきもちを焼くというところが重要です)。

主人公とヒロインのラブストーリーは男の子向けのメディアでは今ひとつ好まれない。
ラブコメならいいけど、ラブストーリーはウケが悪い。

ある意味、読者は「恋愛をしないヒロイン」を求めている。
読者は、主人公とヒロインが男女交際をすることを必ずしも望んでいない。
そうかと言って、ヒロインと主人公が疎遠だったらまずい。
落としどころが「やきもち」なのかなと思う。

ラノベでは、主人公に女の子が群がるようなハーレム作品が結構あるが、あれは恋愛ではない。
女の子が群がっていても男女交際はしていない。

主人公とヒロインが男女交際するという作品は、ヲタ以外からの需要はあると思う。
主人公とヒロインが恋愛して青春したりするとヲタ受けは悪いはずだが、中高生くらいの読者には受け入れられるかもと思ったり。主人公とヒロインの組み合わせばかりのくせして、まともに男女交際を描くラノベが少ないというのはヲタ寄りなのかなと。

サッカー部で活躍している主人公と、可愛いマネージャーの男女交際とかだとヲタ的には厳しい。
絶対にそんな作品は読みたくない、と言われるだろう。

ちなみにヲタは恋愛とか青春を描いてもギャルゲー構造だと受け入れる。
(狭義のギャルゲーでなくてもギャルゲー的な作品は受け入れる。たとえば「おねがい☆ティーチャー」とか)。
ギャルゲー構造の男女交際と、そうでない男女交際というのは違う。
ギャルゲー的にパッケージされていれば、男女交際も許容する。
オタク保護機能みたいなのがあるんでしょう。

あるいはもう少し正確に言えば、ギャルゲーやエロゲーでも、告白がゴールなのかもしれない。
エロゲーで最後にセックスするとしますよ。
一人のヒロインの攻略に10時間掛かるとして、

・男女交際に至らない前段階(8時間)
・告白して男女交際開始(1時間)
・セックス(1時間)

という程度の時間配分かもしれない。

あるいは、告白→セックスのパターンも多いかも。(つまり男女交際のプロセスは省かれ、告白して受け入れられたらセックス)。
最初の方で告白して付き合い始めて、エンディング近辺でセックスというエロゲーは少ないはずである。
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