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物語の構造をリセットしたコードギアス第二期の失敗(第四話まで見て)

まだ第四話までしか進んでいないので、結論は出せないけど……。
もう少し話が進んでから、また書くと思うけど、まあ暫定的に。

まず基本的に、「仕切り直し」のやり方が中途半端。
第一期を楽しく見ていた人にとっては、物語構図が変わった続編にされた感じ。
第二期から見始めた人にも、やっぱり映画の途中から見せられてる感じで違和感あるでしょう。
つまり流れを切ったことが、マイナスにしかなっていない問題。

第一期は以下のような王道的構図でした。
主人公は母親を奪われたことでエディプス的な復讐心を抱き、仇討ちのために戦う。
主人公は本当は王子様だが、正体を隠しつつ戦う。
これが第二期ではかなり薄れています。


(1)ナナリーが人質にされているのに緊迫感がない
第一期は「仇討ち」という王道的な部分があったわけです。
第二期でも、一応、奪い去られたナナリーを奪還するという構図がある。
でも、視聴者として見ていて、どうせ安全なのだろうと思うのです。
ナナリーが奪い去られているというのが、戦う理由の設定として失敗している。
(というか、ナナリー奪還に向けてプロットを組むべきなのに、人質の黒の騎士団を助けるかどうかの話にしてしまっているのがおかしすぎる。ナナリー奪還に集中するべき話が散漫になっている)。

(2)主人公の世界への不満
「デスノート」や「コードギアス」の主人公がイケメンでも許されているのは、不満を抱えているからだと思うのです。つまりイケメンだからリア充でハッピーというのではなく、「不満」という部分で視聴者のシンパシーを得ているわけです。「コードギアス第二期」ではその部分が今ひとつではないかと。主人公が世界に「反逆」する理由は?

(3)正体を隠して学園生活を送るという構図
第一期では「正体を隠して学園生活を送る」という構図が面白かったわけです。
雑に言えば魔法少女的な面白さ。
(正体がバレバレなのに周りが気付かない面白さですね)。
第二期ではこの構図が今ひとつではないかと。
正体を隠す面白さがないと、学園パートの部分の面白さもないと思う。

(4)エディプスコンプレックス
この作品ってエディプスコンプレックスが根底にあるから、王道的に強いのです。
でも、第二期でちょっと今ひとつのような。
第一期は母親が殺されたことへの復讐ということで、エディプス的関係がありました。
母親が奪われたことへの恨みという構造です。
これが第二期では無くなっているような?

(5)貴種流離譚
貴種流離譚(ボクは本当は王子様なんだ)の要素が第一期の面白さの根底にあったと思うのだが、第二期では薄れているような気がします。
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悪人も他人の悪事には腹が立つ(フィクションにおける共感の問題)

フィクションで正義を描くと、なぜ共感されやすいのか?
やはり誰でも他人には善き行いを求めるから。

あなたが悪人だとしますよ。
そうだとしても、赤の他人の悪事には腹が立つと思うのです。
自分や仲間の悪事にはゲラゲラ笑えても、まったくの赤の他人の悪事に対しては反感を持つ。

悪人としてもブイブイ言わせていても、別に不死身ではないですから、他人には道徳を要求するわけです。
誰でも被害者にはなりうるから、ヤクザでも道徳で身を守る必要があります。

悪人が他人には道徳を要求することを「矛盾」と呼ぶかどうかは、「人間は対等」を前提にするかどうかです。
”すべての人間は対等で平等”という前提があるなら、「それは矛盾だ!」と言える。
(逆に言えば、人間は対等ではないとするなら、「俺がやるのはいいけど、他人がやるのは許せん」というのは別に矛盾ではないと思うんですよね)。

ともかく「俺がやるのはいいけど、他人がやるのは許せん」というのはあります。
(仮に人間は対等で平等だという前提から考えるなら矛盾です)。

フィクションで正義を描いておくのが無難なのは、視聴者(読者)は誰でも「正義感」があるから。
あなたがふざけてヘラヘラした悪人でも他人には道徳を求めるからですよ。
別に視聴者や読者が立派な人だらけだから正義を描くというわけではないのです。

「仮面のメイドガイ」アニメ感想



第一話
原作未読。月刊ドラゴンエイジで連載されている作品ということである。
いわゆるドタバタコメディー。
単純に言うと、マッチョで変わったメイドがやって来て……。
それを楽しめるかどうかという作品。
う~ん。
こういうタイプの作品って、好みがわかれるかも。
変人キャラ系のコメディーはその変わったところを楽しめるかどうかに依存するので……。
(普通にオチのあるギャグだと、わりと評価は安定するけど)。
自分は第一話を見た限りでは今ひとつかも。

第二話。
印象は前回とそれほど変わらず。
変人キャラ系のコメディー。
前回がドタバタだけだったのに比べると、多少はオチみたいなものがある。
第一話よりは少し面白かった。

第三話。
印象は変わらず。
ドタバタ系ですね。多少はオチもあり。
普通に面白いかも。
気が向けば見るという程度かも。
(こういうドタバタ系の場合、要は好みの問題だと思うけど)。

第四話。
今回はドタバタだけ。
オチで笑わせるような場面はほとんど無し。
ううむ。
この作品はお色気部分も含めて、好みの問題かな。
自分はそろそろ脱落しそう。

第五話。
脱落することにした。
基本的に第一話のドタバタの繰り返しなので、第一話で判断すればいいかと。

勧善懲悪って、根底に人間嫌いがあるような気がする

人類全般が嫌いというのは、発想としてあり得ますよね。人間嫌いという場合、むしろその方が普通なのではないか。この世の中って、何となく責任が分散していて、悪人が分かりづらい。それが人間です。

で、世界が嫌いだから滅ぼすみたいな話はわりとあるのだけど、たいていは失敗に終わる。
あるいは、そういうテロリストと主人公が戦って勝つみたいな構図が普通。

主人公が世界を嫌っていて普通に滅ぼす話もあり得るだろうが、それは「王道外し」的作品。
(「王道外し」と言ったのは、王道的に好まれないストーリーを敢えてやること。王道的なストーリーがたくさんあれば、「王道外し」も例外として必ずあるわけです)。

勧善懲悪を批判する人がいるけど、たぶん勧善懲悪にしないとまずいんでしょうね。
「コードギアス」だって、侵略されているから戦うわけですよ。
(もし仮に普通の今の日本で、革命を起こすとか言ったら、あんまりしっくり来ない)。

実際は私たちは人間に対して反感を持っており、それをどうやって正当化するかの問題。
倒す相手を極悪人にするのが一番単純。
「ガンダム00」がうまくいかなかったのは、主人公側が人間嫌いの集まりでありながらも、「わかりやすい敵」が存在しなかったからだと思うのです。

勧善懲悪って、根底に人間嫌いがあるような気がするんですよ。
世界を滅ぼす魔王がいたとして、実はそれが作者の一番の願望だったり。

人間が嫌いだから滅ぼしたいという動機で書かれている作品は結構あるはず。
でもダイレクトに書けないから、いろいろ工夫するのだろうなと。
(工夫無しに漠然と描くとガンダム00みたいになる)。

「マクロスFRONTIER」感想

一応ネタバレ控え目のつもりですが。。。

第一話
作画はかなりよい。戦闘シーンもかなりよい。
キャラデザは好みがわかれるかも。私はあんまり好きではない。というより、女の子を可愛く描くためのキャラデザではないと言った方がいいかな。萌え系美少女みたいなのは出さないつもりの作品ということかもしれない。
ストーリーに関しては何とも言えず。人物紹介程度かな。つかみとしては、あんまりよくないと思った。

第二話
作画や戦闘シーンは相変わらずかなりよい。
キャラデザは最初は違和感あったが、世界観にあっているのかも。
(この作品は萌えキャラの女の子がたくさん出てくるような話ではないから)。
ストーリーは主人公がはっきりして、何となく人間関係の構図が面白くなってきたような?

第三話
今回のは、本格的にストーリーが始まる前の準備という感じか。
ここまでで人物紹介は終わりで、第四話から始まる具合かと。
ストーリーには惹かれないのだが、作画がかなりよいので視聴継続。

第四話
第三話までは作画の素晴らしさに感心しながら見ていたけど、この回はちょっとよくなかった。
アクションシーンが少なかったのと、萌えみたいなのを描くのにはキャラデザが合ってないかな。
ストーリーはあんまり印象に残らなかった。

第五話
アクションシーン無し。
歌姫的なストーリーはマクロスのお約束なのかもしれないけど、退屈。
ストーリーの焦点が定まっていない。
平凡な女の子が歌姫になるという話がうまく出来ていない。
マクロスのお約束パーツを出しているだけ。

第六話
今回ようやく話が戦闘パートに向けて動き出す。
作画もかなりよかった。
この作品の場合、ストーリーがちょっと陳腐な青春群像だと思うので、アクションシーンで頑張ってくれないと。
今回みたいな感じで続いてくれるといいけど。。。

第七話
まあ普通。
メカと歌の組み合わせという点ではマクロスらしくてよい。

第八話
メカが見たくて、この作品を見ているのに。
安っぽい青春群像とかドタバタ劇は……。
まあ毎回フルにメカ戦闘やっていたら大変なのだろうけど、この作品の場合、それが売りだからな。

第九話
この作品って、登場人物のそれぞれに物語があって、それが並列的に並んでる感じなのかな。
あまり好きな手法ではない。
大きなプロットがちゃんとあった方が……。
ストーリーに関しては散漫。

第十話
今更ながら、この作品は芸能界ファンタジーなのだな。
(芸能界というと、枕営業とか連想してしまう自分には今ひとつ合わないかも)。
あと、この作品は、「恥ずかしい作品」なのだな。
意図的なものだけど。
独特の恥ずかしさに付き合えるかという問題も。
(戦闘シーン目当てに見ている自分としては芸能パート受け付けないのだけど、でもこれがマクロスなのだな)。

第十一話
陳腐に言えば、青春の甘酸っぱい云々という作品なのか。
自分はこういうの苦手なので。。。
作画がよくなければ脱落してると思う。
作画が素晴らしいから、この作品はみんな見ているけど、内容は実は人を選ぶかも。

第十二話
たぶん出来はいいのだと思う。
自分は惰性で見ているので、今ひとつ感情移入しづらいのだけど。

第十三話
今回は恋愛とかアイドルとか無し。
SFアクション。
設定がわかりづいらのは意図的だと思うけど、果たしてどうなのか。
わかりづらいことが効果的には思えなかった。
(繰り返し見ればわかるのかも。自分はこの作品適当に見てるので、ちょっと付いていけず)。

第十四話
戦闘シーンの作画が素晴らしすぎる。
ストーリーに興味なくなってるのだけど、作画だけで充分に楽しめる作品。

第十五話
ううむ。
この作品って全然ストーリーが動いてなかったのだけど、こういう方向で動かすのか……。
ちょっと陳腐な印象もあるけど。。。
もう少し見てみよう。

第十六話
アルトは主人公ではなく狂言回しという感じでいいのか。
歌姫対決みたいな感じでいくのかな。
マクロスは独特な作品なので、どうも先読みがしづらいけど。

第十七話
アルトはどうでもいい人物。
全体の流れからすると、主人公ぽかったアルトがだんだん脇役に。。。
ストーリーだけ見ると、あんまり評価出来ないかな。
まあ作画が素晴らしくて、音楽もいいので、楽しく見られますけどね。

第十八話
シェリルの人気を転落させたのはベタだけど展開的にいいのでは。
人気があって成功していくということだと、なんか空想みたいなので。
失敗させることで、フィクションのリアリティーが出せるのだと思う。
成功を描くのがフィクションではあるのだけど、これは芸能界の話だから、人気の転落も必要かなと。
挫折させることで視聴者が「立ち直り」を期待するモードになれば、フィクションとして巧く掴めたということ。

第十九話
何とも言えず。
たぶんこの作品は、本質的に話が進まないのかな、と思うのだけど。
平行線のまま続いていく。
それは欠陥ではなくて、これはこういう話なのだろう。

第二十話
この作品って戦うということに象徴性がないのだな。
というか、青春ですからね。
青春と恋のエピソードが並んでいるだけで、「人生」ではないなと。
人が死んだりしても。

第二十一話
とりあえずストーリーを大きく動かそうということかな。
これまでは、どうもRPGで汎用モンスターと戦い続けている感じで、あれだったんだけど。
戦いの中に人間関係が含まれる方向性というのか。

第二十二話
この作品って、ずっと平行線のまま話が進展しなくて、最終回が近づいたらクライマックスか。。。
まあ妥当な作りではあるのだけど、ストーリーは評価出来ない。
作画と楽曲だけのアニメということになるだろう。

第二十三話
クライマックスに入っている状態だが、今回は凪のような状態か。
特に感想無し。

第二十四話
何とも言えず。
クライマックスなのに、あまり進展しなかったような?
いや、このアニメはキャラ中心だから、これはこれでいいのだろうけど。

第二十五話
たぶんこの作品としては最高のラストなのか?
ストーリーを純然に見ると今ひとつなのだけど。
最高レベルの作画と楽曲で、映像作品として素晴らしい仕上がりだった。
このアニメは全体的に、物語が食い足りないのだが、これはこういう方向性なのだろう。
ストーリーがちょっと薄いのは、この作品にあっている。
作画と楽曲のノリを楽しめばいい。
(中盤あたりの日常パートが緩すぎて辟易とした作品でもあるけど)。




初音ミクを取り巻く好意と善意

初音ミクが興味深いと思うのは、ミクに対する圧倒的な好意と善意です。
とにかく褒めるベクトル。
手放し賞賛と言っても過言ではないくらいです。

これってブログの世界だとあり得ないことです。
たとえば大手ブログとかは、常にマイナス反応を受けているはずです。「中堅の頃は褒められていたのに、大手になってから反感ばかり……」みたいなのはよくあるでしょう。
ある一定以上の「知名度」を得てしまうと、叩かれモードに入る。

この違いは何故なのか。
まず単純に言って、ブログはオピニオンだから。そしてそれに対する反感もオピニオンだと思うんです。噛み付くことが自己表現。初音ミクはオピニオンではないから、噛み付き型の人がターゲットにする対象ではない。

あと、初音ミクは楽曲の作者が今ひとつわからない感じなのも、有利な点です。もちろん作者を調べればわかるのですが、前面には出てこない仕組みです。あと、楽曲の作者や絵師がたくさんいるから、分散されているというのもあります。
あくまで初音ミクという萌え記号だけが立っていて、中の人は叩かれない。このあたりはビスケたんとかOSたんも、そうだったかもしれないけど。萌えキャラを立てることの効果は大きい。

初音ミクは参加型のムーブメントだけど、あんまり競い合う構造がない。
ブログ同士がアクセス数を競うような構造がない。
いや、そもそもブログってアクセス数競い合っているのか?という根本的な問題があります。
どこかのブログがアクセス数を伸ばすと、自分のところが減るのか?
ブログの世界は根強いゼロサムゲーム信仰があると思うんですよ。
他が増えたら自分は減るみたいな。

ブログが悪い意味での競争原理(椅子取りゲーム)なのに対して、初音ミクは競争原理がないのですね。
みんなが「よくできました」のマークを貰える感覚。

ブログは実は椅子取りゲームではないよ、と誰かが証明してくれれば、ブログの文化も変わるかもね。

貴種流離譚と受難者

貴種流離譚とは何か?
「貴族とか王族とかが、何らかの不本意な理由で流浪して……」みたいな話。
たぶん水戸黄門は違う。
身分が高いけれど、ある種の受難者の立場であるのが貴種流離譚だと思う。
(もちろんこのあたりは定義の問題なので、別の定義もあり得るでしょう)。

最近の作品だと「コードギアス」なんかが典型かと思う。
「コードギアス」はエディプスコンプレックスも加わっているので、貴種流離譚の面白さを最大限に生かしている。貴種流離譚は「ボクは高貴なのに迫害されている」みたいな構造で優越感を刺激するものだから、エディプスコンプレックスとの親和性は高い。(受難の王子様という構造にエディプスコンプレックスは合う)。本当の自分が失われていて、それを回復するみたいな構造になるから、物語も展開しやすい。

「機動戦士ガンダム」のシャアとかも、貴種流離譚ではある。でもジオン自体が軍隊階級的なイメージであり、貴族階級的なイメージではないので、それほど貴種流離譚の印象が強いとは言えない。あと、主人公でもないしね。(ちなみにジオン公国はザビ家が作ったものであり、シャアの父親のジオン・ズム・ダイクンが作ったのはジオン共和国)。

身分制度を出さないと、人間の「高貴さ」を描けないのは問題だと思う。普通の家庭だと高貴にはなり得ないのかと。「高貴」という概念は、冷静に見れば特権階級に都合がいいイデオロギーである。

貧乏な暮らしをしているけど実は……というのは古典的な作品に多いから、王道なのだろうけどね。
そうやって憧れるから身分制度(ヒエラルキー)に絡め取られる。

もっとも、いろんな物語作品をトータルで見れば、成り上がり的な作品の方が圧倒的に多い。

「コードギアス第二期(R2)」第二話までの感想

「コードギアス」は最近のアニメの中では一番好きなのだが、視聴率低迷らしいですね。
視聴率を追う趣味はないのだが、ちょっと低すぎる。日曜の夕方なのに、第一話3.0で第二話2.6というのは……。これはファンの人が録画しているからかもしれない。録画してじっくり見たい作品ですからね。

ただ、「コードギアス」はハマれない人には面白くないという可能性も。
「コードギアス」は明らかに「デスノート」を意識して作られているわけだが、「デスノート」の戦略性の高さに比べると、「コードギアス」は戦略もどきアニメなのは否めない。「デスノート」はキャラが好きになれなくても戦略を楽しめるけど、「コードギアス」では無理。
「コードギアス」って、貴種流離譚とエディプスコンプレックスの組み合わせで物語の王道的に強いので、そこに惹かれる人はいいんだけど、そういう部分に惹かれない人にはさっぱり面白くないという問題。

以下は多少のネタバレがあるので一応注意。

第一期がクライマックスで終わったので、第二期はどうするのかと思っていたら、記憶が消されているということだった。そして第二期の第一話のラストで記憶が回復し、第二話で経緯が説明される。たぶん第三話から本格的にストーリーが展開すると期待。

この作品はストーリーの流れがあるので当然なのだが、第二期からいきなり見ても、あんまり面白くないだろう。というか、第一期を見ないと意味がない気がする。「第二期だけ見たら理解できない」とは言わないけど、話が連続しているのだから、第一期から見るのが自然。(そういう意味でも視聴率的に厳しい。途中から見ても大丈夫なタイプの作品ではないので)。

「コードギアス」の場合、DVDの売り上げなどは問題ないだろうから、低視聴率での打ち切りはないはず。テレビの放送時間帯の移動はありえるかも、、、とか適当な予想。

作品に関しての感想はまだあんまり無い。
第二話までは、第一期との繋ぎであり、第三話から本格的に始まるだろうから。


フィクションではセキュリティーが甘くなければ……

フィクションにおいてセキュリティーとは破られるべきものだ。
高度な暗号が掛かっていても、それはクラックされる。
セキュリティーが掛かっていて進めないというのでは物語になりづらい。

施設とかで対人警備が甘すぎるというのもお約束。
軍事施設とかで見張りの兵士が欠伸をしていたり。
主人公側が、銃を持っている警備兵を空手みたいなので倒したり。
(いつからそんなハイキックを修得したんだと言いたくなるような)。

まあそれだけの話。
セキュリティーの甘さや警備の甘さはお約束であって、それは許される。
軍事施設でこんなことはあり得ないとか、視聴者が不満を述べることはない。
「ツッコミどころ」が口癖でアニメに難癖付けてばかりの人でも、セキュリティーが甘いことには寛容である。

力の差を見せれば決着が付く(悪あがきは格好悪く描かれる)

力の差を見せれば決着が付くというのがフィクションのルールである。なんでそれで決着が付くのかというと、「ルール」だからだ。
能力値100と能力値90が対決して、100が勝てばそれで「決着」なのだ。
(現実でも私たちは基本的に力関係に従順なので、こういうストーリーが成り立つ)。

時々悪あがきする人物がいる。負けて悪あがきというのは、まあ定番である。で、悪あがきはたいてい見苦しく描かれる。そして悪あがきして失敗に終わるのがお約束だ。

つまり悪あがきは勝敗の尊重のために描かれる。
悪あがきしても無駄だ!というのを描くわけだ。

悪あがきがゴネ得になることも時々あるんですが、それはたぶん物語の途中経過。
(つまり、一時的にゴネ得したヤツは、最終的に倒されるフラグが立ったということ)。

深く考えると、ある意味不思議である。
なんで力の差を見せたら「決着」するの?
単なる「差」だよね?
つまり90が100に悪あがきしたら、どうにか出来てしまうのではないか?
強者はそんなに無敵なのか?
これはルールだから、としか言いようがない。
「力の差」が明らかになったら決着。
90と100は似たようなものだろ、とは捉えず、絶対的な位階秩序として解釈するのがルールである。
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