まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

レビュー物語の構造をリセットしたコードギアス第二期の失敗(第四話まで見て)

まだ第四話までしか進んでいないので、結論は出せないけど……。
もう少し話が進んでから、また書くと思うけど、まあ暫定的に。

まず基本的に、「仕切り直し」のやり方が中途半端。
第一期を楽しく見ていた人にとっては、物語構図が変わった続編にされた感じ。
第二期から見始めた人にも、やっぱり映画の途中から見せられてる感じで違和感あるでしょう。
つまり流れを切ったことが、マイナスにしかなっていない問題。

第一期は以下のような王道的構図でした。
主人公は母親を奪われたことでエディプス的な復讐心を抱き、仇討ちのために戦う。
主人公は本当は王子様だが、正体を隠しつつ戦う。
これが第二期ではかなり薄れています。


(1)ナナリーが人質にされているのに緊迫感がない
第一期は「仇討ち」という王道的な部分があったわけです。
第二期でも、一応、奪い去られたナナリーを奪還するという構図がある。
でも、視聴者として見ていて、どうせ安全なのだろうと思うのです。
ナナリーが奪い去られているというのが、戦う理由の設定として失敗している。
(というか、ナナリー奪還に向けてプロットを組むべきなのに、人質の黒の騎士団を助けるかどうかの話にしてしまっているのがおかしすぎる。ナナリー奪還に集中するべき話が散漫になっている)。

(2)主人公の世界への不満
「デスノート」や「コードギアス」の主人公がイケメンでも許されているのは、不満を抱えているからだと思うのです。つまりイケメンだからリア充でハッピーというのではなく、「不満」という部分で視聴者のシンパシーを得ているわけです。「コードギアス第二期」ではその部分が今ひとつではないかと。主人公が世界に「反逆」する理由は?

(3)正体を隠して学園生活を送るという構図
第一期では「正体を隠して学園生活を送る」という構図が面白かったわけです。
雑に言えば魔法少女的な面白さ。
(正体がバレバレなのに周りが気付かない面白さですね)。
第二期ではこの構図が今ひとつではないかと。
正体を隠す面白さがないと、学園パートの部分の面白さもないと思う。

(4)エディプスコンプレックス
この作品ってエディプスコンプレックスが根底にあるから、王道的に強いのです。
でも、第二期でちょっと今ひとつのような。
第一期は母親が殺されたことへの復讐ということで、エディプス的関係がありました。
母親が奪われたことへの恨みという構造です。
これが第二期では無くなっているような?

(5)貴種流離譚
貴種流離譚(ボクは本当は王子様なんだ)の要素が第一期の面白さの根底にあったと思うのだが、第二期では薄れているような気がします。
【2008/04/30】 | レビュー | トラックバック(0)



雑記悪人も他人の悪事には腹が立つ(フィクションにおける共感の問題)

フィクションで正義を描くと、なぜ共感されやすいのか?
やはり誰でも他人には善き行いを求めるから。

あなたが悪人だとしますよ。
そうだとしても、赤の他人の悪事には腹が立つと思うのです。
自分や仲間の悪事にはゲラゲラ笑えても、まったくの赤の他人の悪事に対しては反感を持つ。

悪人としてもブイブイ言わせていても、別に不死身ではないですから、他人には道徳を要求するわけです。
誰でも被害者にはなりうるから、ヤクザでも道徳で身を守る必要があります。

悪人が他人には道徳を要求することを「矛盾」と呼ぶかどうかは、「人間は対等」を前提にするかどうかです。
”すべての人間は対等で平等”という前提があるなら、「それは矛盾だ!」と言える。
(逆に言えば、人間は対等ではないとするなら、「俺がやるのはいいけど、他人がやるのは許せん」というのは別に矛盾ではないと思うんですよね)。

ともかく「俺がやるのはいいけど、他人がやるのは許せん」というのはあります。
(仮に人間は対等で平等だという前提から考えるなら矛盾です)。

フィクションで正義を描いておくのが無難なのは、視聴者(読者)は誰でも「正義感」があるから。
あなたがふざけてヘラヘラした悪人でも他人には道徳を求めるからですよ。
別に視聴者や読者が立派な人だらけだから正義を描くというわけではないのです。

【2008/04/29】 | 雑記 | トラックバック(0)



レビュー「仮面のメイドガイ」アニメ感想



第一話
原作未読。月刊ドラゴンエイジで連載されている作品ということである。
いわゆるドタバタコメディー。
単純に言うと、マッチョで変わったメイドがやって来て……。
それを楽しめるかどうかという作品。
う〜ん。
こういうタイプの作品って、好みがわかれるかも。
変人キャラ系のコメディーはその変わったところを楽しめるかどうかに依存するので……。
(普通にオチのあるギャグだと、わりと評価は安定するけど)。
自分は第一話を見た限りでは今ひとつかも。

第二話。
印象は前回とそれほど変わらず。
変人キャラ系のコメディー。
前回がドタバタだけだったのに比べると、多少はオチみたいなものがある。
第一話よりは少し面白かった。

第三話。
印象は変わらず。
ドタバタ系ですね。多少はオチもあり。
普通に面白いかも。
気が向けば見るという程度かも。
(こういうドタバタ系の場合、要は好みの問題だと思うけど)。

第四話。
今回はドタバタだけ。
オチで笑わせるような場面はほとんど無し。
ううむ。
この作品はお色気部分も含めて、好みの問題かな。
自分はそろそろ脱落しそう。

第五話。
脱落することにした。
基本的に第一話のドタバタの繰り返しなので、第一話で判断すればいいかと。
【2008/04/27】 | レビュー | トラックバック(0)



雑記勧善懲悪って、根底に人間嫌いがあるような気がする

人類全般が嫌いというのは、発想としてあり得ますよね。人間嫌いという場合、むしろその方が普通なのではないか。この世の中って、何となく責任が分散していて、悪人が分かりづらい。それが人間です。

で、世界が嫌いだから滅ぼすみたいな話はわりとあるのだけど、たいていは失敗に終わる。
あるいは、そういうテロリストと主人公が戦って勝つみたいな構図が普通。

主人公が世界を嫌っていて普通に滅ぼす話もあり得るだろうが、それは「王道外し」的作品。
(「王道外し」と言ったのは、王道的に好まれないストーリーを敢えてやること。王道的なストーリーがたくさんあれば、「王道外し」も例外として必ずあるわけです)。

勧善懲悪を批判する人がいるけど、たぶん勧善懲悪にしないとまずいんでしょうね。
「コードギアス」だって、侵略されているから戦うわけですよ。
(もし仮に普通の今の日本で、革命を起こすとか言ったら、あんまりしっくり来ない)。

実際は私たちは人間に対して反感を持っており、それをどうやって正当化するかの問題。
倒す相手を極悪人にするのが一番単純。
「ガンダム00」がうまくいかなかったのは、主人公側が人間嫌いの集まりでありながらも、「わかりやすい敵」が存在しなかったからだと思うのです。

勧善懲悪って、根底に人間嫌いがあるような気がするんですよ。
世界を滅ぼす魔王がいたとして、実はそれが作者の一番の願望だったり。

人間が嫌いだから滅ぼしたいという動機で書かれている作品は結構あるはず。
でもダイレクトに書けないから、いろいろ工夫するのだろうなと。
(工夫無しに漠然と描くとガンダム00みたいになる)。
【2008/04/24】 | 雑記 | トラックバック(0)



物語の在り方萌えと、主人公の召使い属性

ライトノベルその他で。
「萌え」のためには、男性主人公が召使いであることが必要。

ヒロインがいるとして、男性主人公がその召使い的キャラであるという構図が萌えの基本です。
逆に言うと、男性主人公がヒロインと対等だったりすると、「萌え」が難しいかもしれない。

まあ異能力を持ったヒロインが登場して、男性主人公がある種の召使いとして同行する作品が多いというだけの話なんですが……。こういう召使い構造がないと、今ひとつ萌えづらい気がするのです。

召使いと言っても、軽く扱われているわけではなく、ヒロインにとって必要な人物としてある意味尊重されているわけです。
ラノベでは主人公とヒロインが恋愛(男女交際)すること(ラブストーリー)が好まれないが、恋愛しない状態で距離が近いとなると召使いが手っ取り早いのかなと。

あと、(ラノベ読者が)”恋愛をするヒロイン”を好まないというのもあります。
「サッカー部の○○君に憧れる」みたいな少女の部分を持っていてはヒロインにふさわしくない。
少女がカッコイイ男に憧れるという基本的な部分がラノベでは否定されているのです。
サッカー部の○○君にキャーキャー言っていたら、ラノベヒロイン失格です。
ヒロインにとって、男とは見下す対象でなければならない。
つまり男全般が見下されており、それと比べると、男性主人公は召使いとして特別扱いされていると。
ヒロインがカッコイイ青年にキャーキャー憧れてはいけないのだから、ラノベはずいぶん奇形的です。
【2008/04/21】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「マクロスFRONTIER」感想

一応ネタバレ控え目のつもりですが。。。

第一話
作画はかなりよい。戦闘シーンもかなりよい。
キャラデザは好みがわかれるかも。私はあんまり好きではない。というより、女の子を可愛く描くためのキャラデザではないと言った方がいいかな。萌え系美少女みたいなのは出さないつもりの作品ということかもしれない。
ストーリーに関しては何とも言えず。人物紹介程度かな。つかみとしては、あんまりよくないと思った。

第二話
作画や戦闘シーンは相変わらずかなりよい。
キャラデザは最初は違和感あったが、世界観にあっているのかも。
(この作品は萌えキャラの女の子がたくさん出てくるような話ではないから)。
ストーリーは主人公がはっきりして、何となく人間関係の構図が面白くなってきたような?

第三話
今回のは、本格的にストーリーが始まる前の準備という感じか。
ここまでで人物紹介は終わりで、第四話から始まる具合かと。
ストーリーには惹かれないのだが、作画がかなりよいので視聴継続。

第四話
第三話までは作画の素晴らしさに感心しながら見ていたけど、この回はちょっとよくなかった。
アクションシーンが少なかったのと、萌えみたいなのを描くのにはキャラデザが合ってないかな。
ストーリーはあんまり印象に残らなかった。

第五話
アクションシーン無し。
歌姫的なストーリーはマクロスのお約束なのかもしれないけど、退屈。
ストーリーの焦点が定まっていない。
平凡な女の子が歌姫になるという話がうまく出来ていない。
マクロスのお約束パーツを出しているだけ。

第六話
今回ようやく話が戦闘パートに向けて動き出す。
作画もかなりよかった。
この作品の場合、ストーリーがちょっと陳腐な青春群像だと思うので、アクションシーンで頑張ってくれないと。
今回みたいな感じで続いてくれるといいけど。。。

第七話
まあ普通。
メカと歌の組み合わせという点ではマクロスらしくてよい。

第八話
メカが見たくて、この作品を見ているのに。
安っぽい青春群像とかドタバタ劇は……。
まあ毎回フルにメカ戦闘やっていたら大変なのだろうけど、この作品の場合、それが売りだからな。

第九話
この作品って、登場人物のそれぞれに物語があって、それが並列的に並んでる感じなのかな。
あまり好きな手法ではない。
大きなプロットがちゃんとあった方が……。
ストーリーに関しては散漫。

第十話
今更ながら、この作品は芸能界ファンタジーなのだな。
(芸能界というと、枕営業とか連想してしまう自分には今ひとつ合わないかも)。
あと、この作品は、「恥ずかしい作品」なのだな。
意図的なものだけど。
独特の恥ずかしさに付き合えるかという問題も。
(戦闘シーン目当てに見ている自分としては芸能パート受け付けないのだけど、でもこれがマクロスなのだな)。

第十一話
陳腐に言えば、青春の甘酸っぱい云々という作品なのか。
自分はこういうの苦手なので。。。
作画がよくなければ脱落してると思う。
作画が素晴らしいから、この作品はみんな見ているけど、内容は実は人を選ぶかも。

第十二話
たぶん出来はいいのだと思う。
自分は惰性で見ているので、今ひとつ感情移入しづらいのだけど。

第十三話
今回は恋愛とかアイドルとか無し。
SFアクション。
設定がわかりづいらのは意図的だと思うけど、果たしてどうなのか。
わかりづらいことが効果的には思えなかった。
(繰り返し見ればわかるのかも。自分はこの作品適当に見てるので、ちょっと付いていけず)。

第十四話
戦闘シーンの作画が素晴らしすぎる。
ストーリーに興味なくなってるのだけど、作画だけで充分に楽しめる作品。







【2008/04/21】 | レビュー | トラックバック(0)



ネット社会初音ミクを取り巻く好意と善意

初音ミクが興味深いと思うのは、ミクに対する圧倒的な好意と善意です。
とにかく褒めるベクトル。
手放し賞賛と言っても過言ではないくらいです。

これってブログの世界だとあり得ないことです。
たとえば大手ブログとかは、常にマイナス反応を受けているはずです。「中堅の頃は褒められていたのに、大手になってから反感ばかり……」みたいなのはよくあるでしょう。
ある一定以上の「知名度」を得てしまうと、叩かれモードに入る。

この違いは何故なのか。
まず単純に言って、ブログはオピニオンだから。そしてそれに対する反感もオピニオンだと思うんです。噛み付くことが自己表現。初音ミクはオピニオンではないから、噛み付き型の人がターゲットにする対象ではない。

あと、初音ミクは楽曲の作者が今ひとつわからない感じなのも、有利な点です。もちろん作者を調べればわかるのですが、前面には出てこない仕組みです。あと、楽曲の作者や絵師がたくさんいるから、分散されているというのもあります。
あくまで初音ミクという萌え記号だけが立っていて、中の人は叩かれない。このあたりはビスケたんとかOSたんも、そうだったかもしれないけど。萌えキャラを立てることの効果は大きい。

初音ミクは参加型のムーブメントだけど、あんまり競い合う構造がない。
ブログ同士がアクセス数を競うような構造がない。
いや、そもそもブログってアクセス数競い合っているのか?という根本的な問題があります。
どこかのブログがアクセス数を伸ばすと、自分のところが減るのか?
ブログの世界は根強いゼロサムゲーム信仰があると思うんですよ。
他が増えたら自分は減るみたいな。

ブログが悪い意味での競争原理(椅子取りゲーム)なのに対して、初音ミクは競争原理がないのですね。
みんなが「よくできました」のマークを貰える感覚。

ブログは実は椅子取りゲームではないよ、と誰かが証明してくれれば、ブログの文化も変わるかもね。
【2008/04/21】 | ネット社会 | トラックバック(0)



物語の在り方貴種流離譚と受難者

貴種流離譚とは何か?
正確な説明をする自信はないので、それは割愛。

通俗的に言えば、「貴族とか王族とかが、何らかの理由で流浪して……」みたいな話。
たぶん水戸黄門は違います。
身分が高いけれど、ある種の受難者の立場であるのが貴種流離譚だと思います。
(もちろんこのあたりは定義の問題なので、別の定義もあり得るでしょう)。

最近の作品だと「コードギアス」なんかが典型かと思います。
「コードギアス」はエディプスコンプレックスも加わっているので、貴種流離譚の面白さを最大限に生かしています。貴種流離譚は「ボクは高貴なのに迫害されている」みたいな構造で優越感を刺激するものですから、エディプスコンプレックスとの親和性は高いです。(受難者の王子様という構造にエディプスコンプレックスは合う)。
本当の自分が失われていて、それを回復するみたいな構造になるから、物語も展開しやすいですよね。

「機動戦士ガンダム」のシャアとかも、貴種流離譚ですけどね。でもジオン公国自体が軍隊階級的なイメージであり、貴族階級的なイメージではないので、あんまり貴種流離譚の印象が強いとは言えない。(ちなみに正確にはジオン公国はザビ家が作ったものであり、シャアの父親のジオン・ズム・ダイクンが作ったのはジオン共和国)。

少し脱線して言えば、身分制度を出さないと、人間の「高貴さ」を描けないのは問題です。普通の家庭だと高貴にはなり得ないのかという話。「高貴」という概念は、冷静に見れば特権階級に都合がいいイデオロギーです。

貧乏な暮らしをしているけど実は……というのは古典的な作品に多いから、王道なんでしょうけどね。
そうやって憧れるから身分制度(ヒエラルキー)に絡め取られるのです。

もちろんいろんな物語作品をトータルで見れば、成り上がり的な作品の方が多いですけどね。
【2008/04/18】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー「コードギアス第二期(R2)」第二話までの感想

「コードギアス」は最近のアニメの中では一番好きなのだが、視聴率低迷らしいですね。
視聴率を追う趣味はないのだが、ちょっと低すぎる。日曜の夕方なのに、第一話3.0で第二話2.6というのは……。これはファンの人が録画しているからかもしれない。録画してじっくり見たい作品ですからね。

ただ、「コードギアス」はハマれない人には面白くないという可能性も。
「コードギアス」は明らかに「デスノート」を意識して作られているわけだが、「デスノート」の戦略性の高さに比べると、「コードギアス」は戦略もどきアニメなのは否めない。「デスノート」はキャラが好きになれなくても戦略を楽しめるけど、「コードギアス」では無理。
「コードギアス」って、貴種流離譚とエディプスコンプレックスの組み合わせで物語の王道的に強いので、そこに惹かれる人はいいんだけど、そういう部分に惹かれない人にはさっぱり面白くないという問題。

以下は多少のネタバレがあるので一応注意。

第一期がクライマックスで終わったので、第二期はどうするのかと思っていたら、記憶が消されているということだった。そして第二期の第一話のラストで記憶が回復し、第二話で経緯が説明される。たぶん第三話から本格的にストーリーが展開すると期待。

この作品はストーリーの流れがあるので当然なのだが、第二期からいきなり見ても、あんまり面白くないだろう。というか、第一期を見ないと意味がない気がする。「第二期だけ見たら理解できない」とは言わないけど、話が連続しているのだから、第一期から見るのが自然。(そういう意味でも視聴率的に厳しい。途中から見ても大丈夫なタイプの作品ではないので)。

「コードギアス」の場合、DVDの売り上げなどは問題ないだろうから、低視聴率での打ち切りはないはず。テレビの放送時間帯の移動はありえるかも、、、とか適当な予想。

作品に関しての感想はまだあんまり無い。
第二話までは、第一期との繋ぎであり、第三話から本格的に始まるだろうから。


【2008/04/15】 | レビュー | トラックバック(0)



物語の在り方いじりとヒエラルキー

多くのコメディー作品において、面白さは「いじり」で作られています。まあ「いじり」と「いじめ」の違いはどこにあるのかというと難しいけど。
いじめられている側がそれを(バラエティー番組みたいな)ネタにしようとすると「いじり」であるのかもしれない。
逆に言えば、いじめられている側が、それをバラエティー番組的な関係として処理しないと、イジメなのかなと。

ともかく本題。
フィクションでは、誰がいじられるかでその作品の温度が違うと思うのです。
ヒエラルキー最下位の人間をいじると、ちょっとイジメ作品っぽいかな。
でもイジメを推奨している「ドラえもん」に人気があるから、いいのか。
「いじり」がヒエラルキーの反映だと、「ドラえもん」や「かってに改蔵」のような人気作品になる。

でも、私はほのぼのとしたコメディーが見たい。
何というか、ヒエラルキーが高い人間がいじられると、ほのぼのとした作品になるような気がします。
フィクションでは、「ヒエラルキー最下位をいじる」という現実原則を破ってもいいので、人気者がいじられる方がいいかなと。(でも多くの人はイジメ漫画のドラえもんが好きなので何とも言えない)。

もちろん、根本的な問題として、そもそもヒエラルキーを作るかというのもありますけどね。
現実に人間を見ていて思うのですが、ヒエラルキーに敏感な人と、そうでない人の個人差は結構あります。
もちろん世の中はヒエラルキーで出来ているんだけど、それに対するこだわりが強い人とそうでない人は結構違いがあるなと。自分の知り合いとか見ても、「こいつはやたらと順位関係作りたがる」みたいなのはあるわけです。
【2008/04/14】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方フィクションではセキュリティーが甘くなければ……

これは基本的過ぎるので、書くまでもないと思ったのだが、一応。

フィクションにおいてセキュリティーとは破られるべきものです。
高度な暗号が掛かっていても、それはクラックされる。
セキュリティーが掛かっていて進めないというのでは物語になりづらい。

施設とかで対人警備が甘すぎるというのもお約束です。
軍事施設とかで見張りの兵士が欠伸をしていたり。
主人公側が銃を持っている警備兵を空手みたいなので倒したり。
(いつからそんなハイキックを修得したんだと言いたくなるような)。

まあそれだけで、特に結論はないんですけど。
セキュリティーの甘さや警備の甘さはお約束であって、それは許される。
軍事施設でこんなことはあり得ないとか怒られることはないのです。
【2008/04/11】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方力の差を見せれば決着が付く(悪あがきは格好悪く描かれる)

力の差を見せれば決着が付くというのがフィクションのルールです。
なんでそれで決着が付くのかというと、「ルール」だからですよ。
能力値100と能力値90が対決して、100が勝てばそれで「決着」なのです。
(現実でも私たちは基本的に力関係に従順なので、こういうストーリーが成り立つのです)。

時々悪あがきする人物がいます。負けて悪あがきというのは、まあ定番ですよね。で、悪あがきはたいてい見苦しく描かれます。そして悪あがきして失敗に終わるのがお約束です。

つまり悪あがきは勝敗の尊重のために描かれるのです。
悪あがきしても無駄だ!というのを描くのです。

悪あがきがゴネ得になることも時々あるんですが、それはたぶん物語の途中経過です。
(つまり、一時的にゴネ得したヤツは、最終的に倒されるフラグが立ったということです)。

深く考えると、ある意味不思議です。
なんで力の差を見せたら「決着」するの?
単なる「差」でしょ?
つまり90が100に悪あがきしたら、どうにか出来てしまうのではないか?
強者はそんなに無敵なのか?
負けた側がゴネたら、ひっくり返らないか?
これはルールだから、としか言いようがない。
「力の差」が明らかになったら決着なんですよ。
90と100は似たようなものだろ、とは捉えず、絶対的な位階秩序として解釈するのがルールです。
【2008/04/09】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方リア充していなければイケメン主人公も許される

「コードギアス」を見ていて思ったんだけど……。

基本的に男子向けの作品でイケメン主人公はNGとされているわけですよ。平均か、平均より少しマシくらいに設定されます。周囲からイケメンとして扱われるような容姿ではいけないのです。

でも「コードギアス」は主人公が美青年なのに人気ありますね。
なぜか?
結論から言うと、イケメンが悪いのではなく、リア充が悪いのです。

フィクションではリア充禁止です。
主人公は損をするのが基本です。
損得での選択を迫られたら、損をする方を選ぶのが主人公。
簡単な道と困難な道があったら、困難な方を選ぶのが主人公。
(もちろん現実に実行したら間抜けな結果になるだけです。こういうことを説教してくる馬鹿がいたら「俺は漫画の主人公じゃないんだ」と答えるべきです)。

ともかく主人公は世俗的に満たされてはいけないのです。そのために容姿を控え目にする。容姿が普通なら、リア充にはなれないから主人公としてふさわしい。

逆に言えば、リア充でなければいいのです。
イケメンでもいいんですよ。
(リア充でなければ)すごい美青年でもいい。

コードギアスは言うまでもなくデスノートを意識した作品ですが、デスノートも同じこと。
主人公がリア充を求めていなければ、(男子向けの作品でも)美青年主人公はあり得るのです。

生まれつきイケメンで女にもてているヤツは、最初から双六で上がっているようなものですから、物語を生きていないのです。クリア後のRPGでレベルMAXを満喫しているのがイケメンです。

そういうリア充要素を排除すれば、というより、リア充を徹底して否定すれば、主人公がイケメンでも構わないのです。
【2008/04/08】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



物語の在り方正体がバレバレなのに周囲が気付かないのを(読者として)楽しむ

登場人物の正体が秘密だということがあります。
読者は知っているけど、登場人物の友人とかが知らないという意味です。

まず緻密なサスペンスがあり得るでしょう。
読者は分かっているけど、物語の中の人達が正体に気付いていないからハラハラするサスペンス。

それとは逆にバレバレなのに気付かないのを(読者が)楽しむ作品も定番です。
たとえばヒロインが魔法少女。クラスのマリちゃんが本当は魔法少女なんだけど、みんな気付かない。ヒントが意図的にたくさん与えられていても、クラスのみんなは気付かない。「あの魔法少女は誰なんだろうね」とかマリちゃんも会話に参加したりする。
こういう鈍感さは許されるのです。常識的に推察すれば正体はマリちゃんなんだけど、周囲が鈍感すぎて「正体は誰なんだろう」とか言ったりしている。これはいいのです。ヒントをばらまいても、なぜかみんな気付かないからこそ楽しいのです。
仮にマリちゃんが正体だとわかるヒントが無く、誰も気付く余地が無かったら面白くないわけです。これ以上ないくらいにヒントをばらまいて、それにもかかわらず周りが気付かない。読者としては、「いい加減気付けよ」と思いながら、引き込まれていくわけです。

もちろん魔法少女ものに限りません。「名探偵コナン」とかでもそうですよね。コナン君の正体を徹底して隠しているのではなく、ヒントをばらまいて、それでも周囲が鈍感なわけです。
(こういう種類の鈍感さは物語の在り方として推奨されるのです)。
【2008/04/05】 | 物語の在り方 | トラックバック(0)



レビュー固定キャラと汎用キャラ(コードギアスとガンダム00の違い)

人間って、(社会的に見れば)交換可能な存在なわけです。街を歩いている人がたくさんいるとして、その中の誰かが消えても社会は微動だにしないのです。単純に言えば、私たちは「汎用キャラ」なのです。みんな同じ顔した一般人ですよ。

でも、私たちは固定キャラの側面を持っています。私もあなたも自我を持っていて、それは唯一無二のものです。
(究極的に見れば、「自分自身」というのも汎用的な仕組みですけどね)。
ともかく、私やあなたは固定キャラとしての側面を持っている。
あなたの友人は、あなたにとって固定キャラでしょう。仮にその友人の名前を山田君とします。山田君は街を歩いている群衆の一人だと汎用キャラだけど、あなたの友人であるときは唯一無二の固定キャラです。

さて、以上が前置き。
フィクションの話に繋げると、主人公の周囲に個性の強い「固定キャラ」がいるのは極めて重要なのです。
主人公に対立するライバルとかをよく出すのもそういう理由。
ライバルがいないで漠然と生きていると、世界が「汎用キャラ」の群れになってしまう。よくわからない汎用キャラの群れの社会と向き合って生きていく……のでは面白くないのです。固定キャラであるライバルを主人公にぶつけて、対立させたりすると、汎用性の中に埋没していくことが避けられるのです。

今ひとつ面白くない作品の原因が、「固定キャラの存在感が薄くて汎用キャラみたいになってしまっている」ということもあります。一応固定キャラとして名前をもっているんだけど、どうも薄いから、なんか汎用キャラっぽくなってしまっていたり……。
もちろんどうでもいいキャラを意図的に配置することもあるでしょう。主人公にとっての無難な友人が必要な場合もあるし、そういう時は、実質的に汎用キャラに近い友人が出てくるわけです。名前が付いていても、主人公の友人Aとか友人Bの扱いですよ。
そうではなく、明確にキャラを立てないといけないのに、どうもキャラが薄くて、この作品失敗だなと思ったりすることがあるのです。

「ガンダム00」の刹那とロックオンの問題でも、この二人が敵として徹底的に憎み合う構図にしていれば、もっと面白い作品になったはず。刹那とロックオンは限りなく対立させないと駄目ですよ。仲間として何となく容認してしまう展開は非常にまずかった。
刹那とマリナ・イスマイールの関係も同じこと。この二人を徹底的に対立させていたら、お互いのキャラが立っていたはず。対立させずに妙な禅問答をやっただけなのが黒田脚本。

逆に「コードギアス」では、主人公に対するキャラがいろんな意味で立っています。主人公の存在は、強力な固定キャラで囲まれていないといけないのです。「コードギアス」ってかなり雑なんだけど、人物の対立関係に緊張感があるから、それでエキサイティングに話を引っ張れていると思うのです。

あるいは、「ガンダム00」の場合、"登場人物の対立関係"を作らないのが意図的な可能性もありますけどね。だって製作者はベテランなのだから、普通なら「とりあえずライバル出して対立させておけ」とか考えるでしょう。
それをやらないのは、「世界」について描きたかったのかなと……。
とても薄味で汎用キャラ的な世界でしたけど。
【2008/04/03】 | レビュー | トラックバック(0)



レビューガンダム00の世界観と責任の分散(フィクションでは問題の元凶となる人物の設定が必要)

(擬人化という言葉を使い間違えていたので、書き直しました)。

「ガンダム00」がつまらないのは何故だろうと考えると、世界の問題を「人物の問題」として描けていないからではないかと。
”世界の歪み”と戦うと言われても何のことだかわからない。

ガンダム00は現在の我々の世の中に近い状態をイメージして描かれています。
世界は大国は平和で、しかし小国の地域紛争はあり、深刻な問題を抱えている国もあったりする。でもそれは「構造的な問題」であって、特定の人物の責任だと言えないかもしれない。

フィクションにおいて、問題というのは具体的に誰かが元凶になっていると描かなくてはならない。現実の世の中ではみんなが何となく構造を作っていたりするものだが、(フィクションでは)特定の誰かが元凶である必要がある。

実際の世の中は責任の分散なのです。たとえば天下りとかでも特定の誰かがその構造を守っているのではなく、公務員全体がそれを分散的に守っていたりするわけです。特定の誰かを叩き潰せば天下りがなくなるわけではないです。

フィクションでは、そういう分散的な責任を描いてはいけない……のではないかと。
天下りと戦うなら、「元凶」がいて、そいつを叩き潰すみたいな。
(実際は責任の分散で社会は成り立っているので元凶はいないんだけど)。

「ガンダム00」に関して言えば、主人公が戦うべき対象がわからないのです。
アリー・アル・サーシェスが元凶なのかというと、今ひとつ弱い。アリー・アル・サーシェスだって、構造の中のひとつの駒としか思えない。分散された責任のうちのひとつでしかないです。
(サーシェスをもっと巨大な悪として描いていればガンダム00はそれなりに上手く収まったのかもしれないです)。
【2008/04/01】 | レビュー | トラックバック(0)



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