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ラノベのヒロインは高嶺の花が基本だけど、エロゲーでは必ずしもそうではない

ラノベでは、ヒロインは高嶺の花と設定されることが多いかと思います。
ラノベに限らず、フィクションの多くではヒロインは高嶺の花と設定される。
雑に言えば、学校中で人気があるアイドル的な存在とか。
主人公から見て普通なら手が届かないけど、妙な縁が生じて、行動を共にしたりするわけです。

でもエロゲーだと少し違うかな、という気がします。
ヒロインが高嶺の花でない構図は、エロゲーでは多々見られます。

よく言われるようにエロゲーだと、「主人公=プレイヤー」なので、主人公のスペックが高くても大丈夫なのかも。
ラノベだと、ヒロインの魅力が100で男性主人公の魅力が60という程度のバランスになったりしますが、エロゲーではそうしなくてもいい。
男性主人公がモテる設定でも許される。
ヒロインは別に人気者でなくてもいい。

「主人公=プレイヤー」という問題だけでなく、物語の性質が違うかもしれません。
エロゲーだと、主人公とヒロインが最後には結ばれるけど、ラノベではそういう話は少ないです。
高嶺の花とのドタバタが延々と続くのが基本だったり。

ヲタクに美男美女のラブストーリーを受け入れさせるには、エロゲー的な手法しかないのかという話にもなりますが。。。
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フィクションだとヤンキーはモテない

現実だと、ヤンキーはモテるという側面があります。
恐ろしいほどモテるというわけではないが、中高生くらいだとモテるのは確か。
女の子がキャーキャー言うようなモテとは別で、あっさりセックスに至るような……。

男向けの作品だと、ヤンキーはモテないのがお約束。
まず、モテるヤンキーというのが単純に言って不愉快だから出てこないというのがあるでしょう。
それに、ヤンキー云々別として、主人公はモテないとするのが基本。
(ラノベやアニメのハーレム系の作品でも、モテないはずの男がモテるわけです。ハーレム系はあくまで非モテの話)。

女の子向けの作品はそれほど読まないので、はっきりとは言えないけど、やっぱり粗暴なヤンキーは好まれないんじゃないかな。
王子様属性の不良というのは女の子向けの作品で多用されるじゃないですか?
私が(このエントリーで)イメージしているヤンキーというのは、王子様みたいな不良のことではなく、肉体的な粗暴さを持っていて、決して美形ではないし、また教育程度も低いという感じ。
一言で言えばドキュン系。

モテるドキュンは現実に確実に存在しているのだが、フィクションだと物語になりづらい気がします。
前述したように、男子向けの作品ならモテないヤンキーが基本だし、女の子向けでも王子様属性のヤンキーが中心でしょう。

もし肉体系ドキュンが少女漫画で大人気だったりしたら、このエントリーかなり怪しくなるんですが。。。
女の子の求める物語って、王子様と出会う構造か、その変形だと思うのです。
王子様属性ゼロの肉体系ドキュンは(現実で)モテるとしても、フィクションの物語にはなりづらいだろうなと。

現実に行われることと、物語として好まれる構造は違うこともあるのです。
たとえば器用に世渡りするのは(現実世界で)出来たらいいけど、フィクションでは好まれないわけです。(不器用に壁を乗り越えるみたいな話がフィクションでは好まれるわけです)。

肉体的にタフなドキュンは中高生くらいだとある種の権力者でもあるので、(現実では)モテるんだけど、その種のモテは物語としては好まれないと思うのです。

「ゼロの使い魔」で主人公がお母さんを恋しがるのに違和感(第14巻の感想)



今までに読んだラノベの中で一番面白かったのは何かと聞かれたら、「ゼロの使い魔」の第八巻までであると私は答えるでしょう。第八巻までゼロの使い魔は素晴らしかった。

第九巻~第十二巻は酷い有様。
人気のあるラノベでは流し気味の軽い話が描かれることがよくあります。
本格的に進めて破綻すると困るから「息抜き」みたいな巻を入れるんですよ。
「ゼロの使い魔」は息抜きが9-12巻まで続いたので酷いなと。

で、第十三巻から物語が動き出したんですが……。
私は才人の日本への郷愁が描かれることに大きな違和感があります。
こんなのを軸に話を進めるなよ。
こういうのは無視するのがお約束だろ。
エロゲーだって、親とかは海外に転勤していて不在だったりするんだよ。
親は不在で、親には無関心でいいんだよ。
だいたいルイズみたいな可愛い女の子といい関係になっている状態で、何でママが恋しくなるんだよ。

物語に「障害」を設けるのはよくあるわけです。
「ゼロの使い魔」はラブコメだけど、スムーズに恋愛が成就する話はつまらないわけです。
だから何らかの阻害要因を用意するのはわかります。
でも何で「ママが恋しい」なんだよ?
いや、もし(現実において)突然異国で暮らす羽目になったらママが恋しくなっても不思議はないですよ。
でもフィクションでは親は無視でいいんですよ。
変な部分でのリアリティーはいらないのです。
(つまりお母さんを恋しがるのが不自然だと言っているのではなく、フィクションでは割愛するべきだと言いたいのです)。

あと、ママが恋しいことでの問題は、これによってルイズの住む世界の出来事が相対化されているように感じることなのです。「所詮は異世界での出来事」ということにもなるじゃないですか?
まあ「自分に関わりがなくても、ルイズのためにこっちに残る」という話にしてあるんだけど、お母さんとルイズのどちらを選ぶか悩ませる必要あるのか?
こういう選択肢は無駄なだけだと私は思う。
ルイズのいる世界に巻き込まれて、そこで生きるしか選択肢はないとした方が面白い話になっていたはず。

第八巻まで素晴らしい出来なだけに、第九巻以降の支離滅裂ぶりが……。

貴族社会でも主人公は民主主義者だったりする

異世界ファンタジーで、王族や貴族が出てくるような作品において。
主人公は結構「民主主義的」な発想を持っていたりすることが多いかと思う。
これは封建社会が舞台なのにヒロインに妙な自立心があったりするのと似てるのだが。。。

貴族制度の中で貴族が民主主義的な考えを持っていたり、封建社会で女が進歩的な考えを持つというのは、冷静に考えると変な気がするが、かなり好まれる構造かと思う。

定番として、貴族である主人公が貴族の在り方に反発したりする構造はよくある。主人公以外の貴族の堕落が描かれるような。「この国の貴族は腐っている」みたいな感じで。

古臭い制度が出てきて、それがそのままという話はあんまり好まれないかも。
その一方、封建社会が舞台で、主君に忠義を尽くすという話は(特に古典的な作品として)好まれる。
身分制度の中で主人公が君主に忠誠を誓ったり、腐敗に革命を起こしたりするのは、対極であるように見えながら通底している部分があるかと思う。根っこには美化する志向があって、成り立てば美化するし、成り立たなければ反逆する話になるような。端的に言えば、理想主義をどちらで達成するかの問題。身分制度は理想主義の両面を描きやすい道具立てだと思う。

スポーツ漫画で先輩後輩の上下関係が描かれないのは、先輩に忠誠を尽くすという物語が成り立たないからかな。武家社会で立派な主君に忠誠を誓うのは物語としてありだけど、運動部の先輩が相手だとちょっと難しい。
体育会系の上下関係は感動に繋がらないから描かれないという単純な問題。

男は勝ち負けにこだわるので……

フィクションから現実までを通じた雑談です。

男女の比較論は一概に言えるモノではないが、勝負事へのこだわりでは明らかな差があるように思います。
(ちなみに私は男です)。

男と女を比較すると、男の方が勝ち負けにこだわる。
あるいは勝負自体にこだわると言った方がいいか。

たとえばゲームをやって、勝ったら賞品が貰える構造があるとする。
その場合、女が欲しいのは賞品である。
途中経過の勝負自体に女は興味を持たない。
逆に男は勝ち負けのプロセスが好きなので、その部分のこだわりがあるかなと。

少女漫画はそれほど読んでないのではっきりと言えないけど、やっぱり少年漫画の方が勝負自体にこだわるわけです。勝ち負けの先にある賞品はともかく、「勝ち負けを決める勝負」自体に男はこだわる。もちろん少年漫画でも「賞品」の設定は重要ですが、それとは別に勝負自体へのこだわりが強いと思う。

あるいは(内面的性質の問題ではなく)社会の仕組みとして、男が負けるとカッコワルイということかもしれない。男が他人に負かされると男性的尊厳を傷つけられるけど、女の子が争いごとで負けても女の子としての価値は減らないですよね。

男性向けラノベは(漫画と比較した場合)勝ち負けに重点を置いた作品が少なめです。漫画だと「負けず嫌い」の感情を煽ってくる作品が多いのに対して、ラノベではそういう構造が薄いことが多かったりする。このあたりは男の中でも個人差があるでしょう。
もっともラノベは視点役の主人公が男性でも、本当の意味での中心はヒロインだから、勝ち負けの原理が薄いという説明でもいいか。(つまりヒロインが本当の主役なので、勝ち負けにはこだわらない。負けても女の子としての価値は減らないから)。

異世界ファンタジーと身分制度

異世界ファンタジーの定義として「剣と魔法の世界」とか言われる。
でも実際は「身分制度のある世界」だと思う。
身分制度が存在しない異世界ファンタジーも時たまあるが、基本的に「異世界ファンタジー=身分制度社会」である。
身分制度を書きたい場合に、異世界を選択すると。

出版社が異世界ファンタジーを売る場合に、「身分制度のある社会!」とかキャッチコピーには出来ない。
かなり差し障りがある。
だから「剣と魔法!」とか言うわけだが、本当は身分制度フェチの人のために異世界ファンタジーはある。

「コードギアス」なんかは、現代に身分制度があるという亜現実的な設定である。
第二期苦戦中とはいえ人気は出た。
「コードギアス第一期」の成功例からすると、現代日本に身分制度があるという亜現実設定もいけると思うのだけど、"身分制度なら異世界"というのが無難なのでしょう。
(「コードギアス」の影響で、現代日本に身分制度があるという亜現実設定が増えると私は予想してますが)。

我々は、みんな身分制度とか否定するわけだ。
身分制度のある社会にしたいという人はいない。
でも、それは現代社会の常識としての問題であって、やはり身分制度の物語が好きだったりするのである。

王様とか貴族とかはヒエラルキーに箔を付ける装置である。
物語の多くはヒエラルキーに肯定的なのだが、身分制度社会が好まれるのもそういう理由。
ヒエラルキーがくっきりしている方が物語として面白くなりやすい。

(現実において)身分制度社会が否定されるのは、実際には貧乏な人が大半になるからです。
限られた人が貴族になるだけで、それ以外の大半は貧乏な平民だから(現実にそうなると)やってられるか、ということだ。でも、そういう我々でも、フィクションでは身分制度を好む。
物語としては貴族とか好きなのだ。
王様とかお姫様とか貴族が出てくる作品は、我々の物語の原型に訴えかけるものがある。

異世界ファンタジーは下火とか言われるが、ヒエラルキー装置の使い方だと思う。
身分制度を漠然と出すだけでは退屈。
「コードギアス」みたいに"本当は王子様"である主人公が王である父と戦うとか、身分制度を道具として上手く使った構図が欲しい。
(漠然と身分制度が出てきて、剣と魔法で戦うというのでは飽きられて当然)。

容姿の美醜を変える話は極端に少ない

容姿の美醜が変わるという設定は、簡単に思いつくはずだ。
美少女が不細工に突然変異するとか。
不細工が美少女に突然変異するとか。

かなり思いつきそうな設定のはずなんだけど、容姿の変異の作品は少ない。
(あることはあるけど、思いつきそうな設定のわりには、少ないなと思う)

たとえば醜男だった主人公が突然美青年に変わって……みたいなストーリーは、誰でも思いつきそうだけど、そういう作品は少ないはずだ。

容姿の変化の話は受け入れられないということかな。。。
昔の童話とかで、王子様が醜い姿に変えられるみたいなのはあるけど、あれも「本当は王子様」というのが大前提だ。
醜いアヒルの子でも、「本当は美しい白鳥」というのが前提。

容姿変貌の話で受け入れられるのは、「本当は美しいんだけど、何らかの事情で醜く変えられている」という設定であり、最後は美しく戻るみたいな感じである。
「本当は美しい」という構図無しに容姿変貌をやるのは、物語として取っ掛かりが悪い。

容姿はある種の本性(ほんせい)として扱わないといけない。
美しい人間は本質的に美しいと。
だから容姿変貌で醜くする場合には、「本当は美しい」という構図が必要で、最後は美しい「本来の姿」に戻してあげないといけない。
容姿に「本来の姿」も糞もあるのか、という気もするが、物語において容姿というのは、そういう形でとらえないといけないんでしょう。
(もちろん現実でも、私たちの容姿の美醜は「本来の姿」である)。

「コードギアス」をもう一度第一期から見てみた

以下は第一期のネタバレ多数なので、見ていない人は注意。
なお、第二期は現在第五話まで進んでいる。


コードギアスの第二期がわかりづらいので、第一期をもう一度見てみた。
ギアスって、要するに昔の漫画によくある「暗示」をギアスと呼んでいるだけだけど、ギアスをいろいろ掛けているうちに話が錯綜している印象があります。
シャーリーなんか第一期14話でギアス操作されて、でも自分が書いたメモを見て第一期終盤でゼロの正体に気づきかけるも、また第二期リセットで再び記憶操作されたり……。シャーリーの頭の中どうなってるんだ?
(まあ第一期の冒頭に戻ったという御都合主義なのだろうが、それをこの後の展開で修正しようとしたら、またややこしくなる)。

第一期第二十五話でゼロ(ルルーシュ)の正体がバレているので、リセットするなら、ああするしかなかったのか。
あるいは逆に言うと、第一期の第二十五話で正体バレをやったのは、第二期のリセットが前提だったということかもしれない。(この作品の性質からして、正体バレの後はエンディングに向かうだけになるだろう。正体バレの後、さらに25話やるのは厳しい)。

別にリセットする必要は無かったと思う。
第25話で正体バレをやらないで第二期に繋いでもよかった。
第一期の最後で正体バレをやったことで、物語の構造が壊れてしまったのが第二期の惨状。
(「デスノート」はライバルを死なせて話を続けたけど、やはり「コードギアス」でスザクを死なせるのは無理か)。



さて、以下は第一期の見直しメモ。

第一話
CCとルルーシュの出会い方があまりにも都合よすぎて。。。
このあたりの都合のよさは、第二期の第五話現在、説明されていない。
CCについて説明不足なのは、物語の面白さを削ぐものではないので必ずしも欠陥ではないと思うが、でもどこかで一応説明が必要な気がする。
(単なる偶然で片付けるかもしれないけど、必然性を匂わせるエピソードもあるので)。

第二話
スザクがランスロットのパイロットに選ばれた理由が今ひとつわからなかったり。まあこれはどうでもいいか。

第三話
カレンとルルーシュが偶然同級生というのは……。これはちょっと疑問。

第四話
スザクを救う話。
ギアスは他人を操れるという能力だから、どうしても戦略が大味になってしまう。
これは仕方がないか。

第五話
この作品の場合、偶然はいくらあってもいい。
つまり普通は偶然のように思えても「実は必然性があった」ということにしたりするものだが、この作品は本当に偶然の固まりなのである。別の言葉で言えば御都合主義ということになるけど。

第六話
今さらだが、ルルーシュって偽名ではないのがすごい。(名字は偽名だけど)。このあたりバレバレなのはお約束としていいんだろうけど。今回の正体がばれそうになるドタバタもお約束で。

第七話
父親の暴君的な性格付けはよい、と思う。人によってはナンセンスに感じるかもしれないが、「コードギアス」は芝居がかった作品だから、父親が絵に描いたような暴君なのは作風に合っている。

第八話
生徒会のメンバーやユフィーが人質になるのって、単なる偶然だよね。この作品偶然が多すぎ。いや、そういう作風なんだからいいけど。

第九話
この作品、わりとカレンのお色気シーンがあるんだけど。たぶんマイナスにしかなってない気がする。
カレンが薬の工場で母親と会うのも、また偶然すぎる。

第十話
フィクションで背水の陣は高確率で成功する。これもお約束で。
(リアルだとほとんど失敗する)。

第十一話
ここでの「CCの本当の名前」のエピソードって、意味があるのだろうか?
一応マオ編で少し出てくるけど。
(CCの本当の名前をルルーシュが聞いても何も思い当たるところが無いというのが変。だって他のエピソードからして、ルルーシュとCCは何らかの因縁があるはずだから)。

第十二話
知り合いその他を死なせるというのも基本的な手法のひとつで。これはこれでいいのかな。

第十三話
シャーリーがルルの正体を探ろうとする回。こういうのは定期的に必要なんでしょうね。正体がバレそうになるということを繰り返さないと。

第十四話
この回でギアスを使ってシャーリーの記憶を消すんだけど、これで後の展開がややこしくなった。
特に第二期でシャーリーは使いづらいキャラになってしまった。
この段階では第二期のことなど考えていなかったか。
十三話でシャーリーに正体バレて、十四話で(ルルーシュに関する)記憶をギアスで消すんだけど、「今日のことは忘れろ」とでも命令しておけばよかったのでは?
物語の叙情としては、「俺のことを忘れろ」としたことでセンチメンタルになったけど、今後シャーリーが使いづらくなってしまった。

第十五話
マオを射殺させるなら、普通に射殺させてもいいような。
頭脳バトルの芝居をやって、それで勝利して、その後で始末ということなんだろうけど。
芝居としてはよく出来ているということなのだろう。
(これがこの作品のテイストなのだろう。舞台劇というのか)。

第十六話
シャーリーの記憶を消したことで学園パートがやりづらくなった。

第十七話
ランスロットのパイロットがスザクであることが発覚するわけだけど、今まで気付いてないのが不思議という感じも。ルルーシュは天才戦略家なのに、鈍感すぎる。
(この作品はバレバレなのに気付かれないというお約束作品だけど)。

第十八話
ゼロ(ルルーシュ)とスザクの価値観の闘争。ガンダムSEEDっぽいけど、こういうノリは好き。好みは分かれるだろう。

第十九話
前回ゼロがスザクに掛けたギアスは「生きろ」だった。
このギアスは今後も有効なのだろうか?
第二期が難渋しているのは、第一期に掛けたギアスが第二期でも依然として有効なのか、という問題があるかと。
ともかくギアスをあれこれ掛けているうちに、ややこしくなっている。その弊害が第二期に。
(ただ、実はややこしくなくて、第一期のギアス効果はリセットという理解でいいのかもしれない)。

第二十話
第十四話でシャーリーに掛けたギアスの件のおかげで、ややこしい。

第二十一話
特に感想無し。

第二十二話
ゼロがユーフィに日本人虐殺を命ずる。これはギアスの暴走。
この作品はピカレスクロマンの雰囲気があるけど、実際は正義の味方ではあるし、ゼロが日本人を殺すわけにはいかないと。当然と言えば当然か。

第二十三話
それにしても、このあたりの終盤の盛り上がりが凄い。
第二期でリセットしたのが悔やまれる。

第二十四話
このあたりで伏線張ってるのに、第二期で何でリセットしたんだろう。
伏線と言ってもいろいろあるが、「如何にも伏線」という伏線なので、これは説明してくれないと。

第二十五話
ここまでボルテージを上げて……。
この第二十五話でスザクが「ゼロの正体に薄々気付いていた」という発言をするのが、ちょっとよくないかと思った。
正体がバレバレでも気付かないのがこの作品のお約束なので、まったく気付いていなかったという方がよかった。

コードギアス第二期(R2)は誰が誰の正体を知っているかの人物相関図がわかりづらい



第五話までの感想。

「コードギアス」第二期の低迷に対して、「第一期から見ないとわからない作品だから」という説明がなされたりする。でも実際は第一期から見ていても、人物相関図が掴みづらい。
この「コードギアス」は、正体を隠しているところが肝なわけである。
第一期の頃はまだ単純だったが、第二期になると、誰が誰の正体を知っているのかということが複雑化してきた。

第一期から見ている人でも、第二期は人物相関図が掴みづらい。
これは普通の意味での設定の複雑化というよりは、ギアスをいろいろ掛けているうちに、誰にどういうギアスが掛かってるのか、わかりづらくなっているという問題もある。

第二期の最初は、「ルルーシュの記憶が操作されている」ということで始まったわけだが、これは人物相関図をややこしくするというマイナスが明らかにあった。
普通に見ていたら、ちょっとわからないだろうな、という感じ。
物語の構図を崩した上に、人物相関図を複雑にする最悪のリセットだった。

第五話のラストでナナリーが出てきたが、何となくナナリーもギアスで操作されていそうな予感。
実際に第六話を見てみないとわからないが、ナナリーへのギアス設定次第では人物相関図がもう一段階わかりづらくなることになる。

生意気な新入生は漫画でよく出てくるけど

フィクションでも基本的にヒエラルキー(力関係)は尊重される。ヒエラルキーに反したことは描かれない。弱者が強者に復讐みたいな話は好まれない。

でも強い個人が現れて、組織を変えてしまうみたいな話は好まれる。生意気な新入生とか漫画では定番である。
「新入生だからおとなしく先輩に従って……」という主人公は漫画では少ない。漫画で新入生というと、生意気で力があって学校自体を変えてしまうような展開が基本。

要は「弱者」が好まれないという単純な話。
強力な個人が現れてヒエラルキーを覆すのは、かなり好まれる。
上下関係ぶち壊すのもかなり好まれる。

もちろん力の強い個人が下剋上的に壊すのが好まれるという意味である。
弱者が強者を後ろからナイフで刺したりする話はNG。

ヒエラルキーが尊重されるのと同時に、「強力な個人」がそれを覆すのが歓迎されるのがフィクションの世界ということだろうか。
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