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「罰が欲しいだけの甘えん坊」というマオのスザク評の正しさ

コードギアス第一期第十六話「囚われのナナリー」にて。
マオがスザクに言う台詞。

「この死にたがりが。人を救いたいって。救われたいのは自分の心だろ。それに殉じて死にたいんだよね。だからいつも自分を死に追い込む。おまえの善意はただの自己満足なんだよ。罰が欲しいだけの甘えん坊め」

これは神経症的な自己処罰感情を非常に上手く言い表していると思う。自己処罰ってある種の「甘えん坊」なのである。問題に向き合えないから、自分を自滅させる方向に追い込む。それで心のバランスを取ろうとする。でも実際はそんなものでバランスは取れない。何度何度何度何度何度何度やってもバランスは取れない。反復強迫とはそういうことである。

罪を犯したとして、それに向き合えないから自己処罰。
恥があるとして、それに向き合えないから自己処罰。
他人に傷つけられたとして、自分の傷に向き合えないから自己処罰。

自己処罰感情って、複雑で。自分が加害者であることもあれば、被害者であることもある。罪悪感というよりは、どちらかと言えば羞恥心に近いかもしれない。傷つけたり傷つけられたりの羞恥。それに向き合えないから、自己処罰の反復強迫が起こる。

自己処罰感情は、別に責任を取っているわけではない。現実の自分を鞭打つことで、理想の自分を守ろうとしている部分もある。だから甘えん坊なのである。

スザクはその問題をうまく解決できたのか?
それは何とも言えない。
ユーフェミアから「私を好きになりなさい。その代わり、私があなたを大好きになります」と言ってもらったことで、解決に向かったのかもしれないが、その後にユフィが……。

まあユフィが死んでないと、ずいぶん都合良く自己肯定感をくれる人物が現れて問題解決されることになってしまうので、殺されることにしたのは自然だけど。
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ルルーシュの去勢不安とナナリーの身体障害

人間という生物はある種のネオテニー状態で生まれてくるので、成熟するまでに時間が掛かる。
そしてそういう存在だからこそ、未成熟性に関する葛藤が生じやすいとも言える。
(つまり他の生き物みたいに、さっさと大人になるわけではないので)。


第一期第七話でのシャルルの発言。
「死んでおる。おまえは生まれた時から死んでおるのだ。身にまとったその服は誰が与えた。家も食事も命すらも、すべてワシが与えたものだ。つまりおまえは生きたことは一度もないのだ」

これは古典的な父親と子供の関係をうまく言い表しているでしょう。シャルルの発言は、日本風に言えば「飯を食わせてやっている」とか「嫌なら出て行け」という具合。俺が面倒を見てやってるからおまえは生きてられるんだ、ということ。

あるいは教育の問題でも、人間はネオテニー生物だから、かなり面倒でお金も掛かります。(このあたりはコードギアスと無関係なので長々とは述べません)。

ともかくネオテニーなので、育てるのにコストが掛かるから大変なのです。親子の葛藤というのも、このあたりの未成熟性の問題です。依存が必要であるがゆえの葛藤関係。

ともかくシャルルの発言は、ルルーシュの去勢不安を煽っているわけです。父親からこういう態度を取られうるのも、ネオテニー生物として仕方ないのでしょう。

そして古典的で暴君的な父親の衝動によりルルーシュは追放される。とはいえルルーシュが本当に去勢されてしまうとダメなので、片割れのナナリーが代役として身体障害者になったのです。基本的に「コードギアス」において、ナナリーはルルーシュの分身です。父親に「去勢」されたピュアな自分がナナリーなのです。男性主人公が「かわいそうな僕」という感じだと痛いですから、「かわいそうな妹」という構造にしたのでしょう。

「とらドラ」は恋愛強迫に訴えてくるのでオタクには厳しい

「とらドラ」って、昔原作読んだ時にかなり違和感あったので、アニメもたぶん生理的に合わないだろうなと思って見てみた。

見事に合わない。

告白という力学で引っ張り回すのが嫌なんですよ。アニメでは告白の話が出ると、「告白しちゃいなよ」みたいに積極性を求めるのがお約束です。ぐいぐい背中を押すんです。普通はその後コメディで流したり、あるいは感傷的なオチを付けて回収して終わりだったりする。

この作品って、そういう告白力学を引っ張り回すのですよ。オタク的にスルーしたい部類の話を延々とやってるのが「トラどら」。押されたくもない背中を押されているような、妙な強迫性。アニメで人を好きなったら告白へと急き立てられ、恋愛への積極性が促される。積極性というより、切迫感と言った方がいいか。「とらドラ」はそういう恋愛強迫に強く訴えてくるので、オタク的には受け付けない。

これを楽しめる人は、青春とか恋愛に抵抗感無いのですかね?
私は青春とか恋愛とか、そういう要素が入っているだけで嫌なので、この作品は極めて嫌いです。
とはいいつつ、「おねがい☆ティーチャー」とかの類は好きなんですけど。
「とらドラ」はやはり恋愛への切迫感がある。

しかもツンデレ構造でないのに、ツンデレのような顔をして商売してるので腹が立ちますね。
(声優の選択などが典型ですが)。
ツンデレ詐欺という点でも悪質ですね、この作品は。

スザクの父殺しの(制作者側の)意図は?

「コードギアス」について色々考えてきて、今ひとつわからないのがスザクの父親殺しです。

制作者はなぜ父親殺しのエピソードを設けたのか?
もちろん父親殺しは心理学の基本ではあります。
あまり深く考えずに、単純に受け取ればいいのかもしれません。

ただ父親殺しというのは、基本的に「願望」とか架空の原罪の問題だと思うので、「実行」は必要ないと思うのです。実行されないからこそ原罪であり、タブーなのです。スザクに「実行」させる必要があったのか?
もちろん願望とか、(ありもしない)原罪だと描きづらいので実行させてみたのかもしれません。

「原罪」に関して言うと、やってもないことに罪悪感を憶えるのはわりと自然かと思います。
現実の自分自身や他人を見てみれば、わりとわかるでしょう。

人間は実際に悪事を成せば結構居直れます。
悪事を自慢話や武勇伝にする人はよくいるでしょう。

逆に真面目にやっていて責められると人間は弱い。
道徳的であるというのは、やってもいない罪に対して罪悪感を持つ状態とも言えます。

少なくとも私はスザクの父親殺しは、この作品の中でのファンタジー的原罪として見てしまうんですが……。
物語の中で、スザクが父親殺人事件をやらかしたというよりは、ある種の(タブーの)ファンタジーとして受け取ってしまうのです。作品内でもスザクが父親を殺す場面はわりと幻想的に描かれている気もします。
(コードギアスは人を殺す場面がたくさんあるアニメであるにも関わらず)。

このあたりはいずれ、もう少し考えてみようと思います。

ヒロインは「説明おばさん」になってはいけない

「説明おばさん」というのは機動戦艦ナデシコに出てくる擁護だが、まあいろんな作品にそういうキャラが出てくるわけだ。25歳くらいの女性が、作品世界の説明役を引き受けるような感じ。別に必須ではないですけどね。

基本的に「少女」は非論理的で感情的に成り立つ存在だと思う。特にフィクションでヒロインとして立てるには、そうしないといけない。どこかしら不思議少女的な属性がないと。

論理的な話が出来て状況を理解していている「説明おばさん」的なヒロインもいなくはない。
ただ基本的に「説明おばさん」的なキャラは人気ヒロインにはなりづらい。

「ものわかり」がよくないから、少女の不思議性が出る。
「ものわかり」がいいのは「説明おばさん」なんです。
設定年齢が15歳でもおばさん。

余談として書くけど。
たとえば「リリカルなのは」。
第一期の「リリカルなのは」と第二期の「リリカルなのはA's」でヒロインのなのはちゃんは小学三年生でした。
で、第三期の「Strikers」になると19歳になるのです。

この設定には不満の声も多々あったと思うのだが、理由は二つあるでしょう。
(1)視聴者がキモヲタなので19歳という年齢自体を受け付けない。
(2)キャラデザの問題。日本人で19歳なら見た目がかなり若くても不自然ではないので、もっと若く描いてもよかった。

それ以外の点で言うと、Strikersのなのはちゃんは「説明おばさん」なんですよね。
これがちょっと……。

なのはちゃんを「説明おばさん」にしたのがStrikersの失敗。
(おばさんだからダメなのではなく、説明おばさんだからダメなのです)。
もっともStrikersはなのはちゃんが主人公ではない、と見ることも出来るけど。

美少年は美少女より立場が上なので、「コードギアス」の女性キャラに萌えるのは不可能

暗黙の前提として、イケメン最強というのがあると思うのです。リアルでもフィクションでも、ある程度共通しています。

「コードギアス」に萌えがあり得ないのは、ルルーシュが美少年だからという単純な問題。
ルルーシュは"謎の少女C.C."からギアスという能力を与えられて、ゼロの仮面を被り活動を始めるわけです。ラノベとかアニメにありがちな出だしです。

もし仮にルルーシュの容姿が普通レベルだったら、C.C.との出会いは美少女が降ってくるという構図であり、C.C.は萌え対象として設定されます。でも実際はルルーシュが美少年なので、C.C.に萌えるのは不可能です。「我が儘な少女に振り回される」という基本は押さえてますけど、決して萌えではない。

シャーリーの扱われ方に関しても、ヒロイン以外の誰かが主人公に惚れるという三角関係構造ではない。(たとえば「ゼロの使い魔」のシエスタ的な立ち位置ではない)。ルルーシュくらいの容姿なら、女に惚れられるのは当然なので、シャーリーから好かれるのも、別に普通のことです。

スザクとユフィの関係は、古典的なラブコメっぽい部分はあるけど。
ユフィはスザクの視点から描かれている部分があるので、辛うじて萌えは可能かな?
でも今風の萌え方をするのは難しいです。

二期から出てくるアーニャが空気なのも、「コードギアス」が萌えを許さない構造だからというのもあるでしょう。アーニャはキャラデザ的にはかなりよかっただけに、空気化してしまったのが残念。
(構造的にアーニャが空気化するのは自然なんですけど)。

もちろんアニメは萌えのためだけにやっているのではないので、「コードギアス」に萌えがないのはいいのです。萌えがあるというのは、主人公が美少女より格下であるということですからね。美少女より格下扱いの主人公では「男同士のライバル関係」をやるのは難しい。ルルーシュとスザクのライバル関係を描くのが「コードギアス」の根幹ですからね。

「ローゼンメイデン」の主人公みたいなのがルルーシュの立場にいて、美少女からギアス能力を与えられて、他の美少女たちを手下として使いながら戦うという話なら萌えはあった。
そういう構図でアーニャがいたら、かなり萌えると思うのです。

まあゼロの仮面の下が美少年でないなら、別の意味で拍子抜けだけど。
それに前述したように、主人公が美少女の格下扱いだと、スザクとのライバル関係が成り立ちづらい。

ルルーシュの運動が出来ないのはコメディなので

「コードギアス」において、ルルーシュは運動が出来ません。でもこれはコメディなわけです。容姿からするとスポーツが出来そうだけど、実は出来ないというギャップをコメディにしているわけです。

「エヴァンゲリオン」の場合、碇シンジの身体スペックを低く設定して、コンプレックスを前面に出したため、制作者が意図した以上に深読み出来る作品になりました。コミュニケーションの障害みたいな問題を(制作者が描いている以上に)深読み出来る。エヴァの批評って、エヴァという作品が提示した普遍的なテーマをダシにした自分語りである部分も多いですからね。

「コードギアス」はそういう深読みがしづらい作品かもしれません。もちろん普通のアニメに比べると、遙かに語るべき内容のある作品なのだけど、「深読み」がしづらい。このあたりはルルーシュが美形であることも理由の一つ。美形キャラでも物語の面白さ的にはいいのだけど、人間の普遍的な苦悩を描くというか、視聴者に深読みさせる対象としてはふさわしくないです。
「エヴァンゲリオン」は主人公の身体スペックが低いから、人間の普遍的な悩みを刺激しやすいのです。




ルルーシュが運動出来なくてもコメディにしかならないのは、外見が万能キャラみたいならそれでいいからです。
スポーツが出来るよりは、スポーツマンに見える外見の方がいいと言えばいいかな?

つまり、次の二つをあなたが選択出来るとして、

(1)外見はスポーツマンに見える好青年だが、実はさっぱり運動が出来ない
(2)外見は運動音痴で鈍くさく見えるが、実はかなり運動が出来る

このうちどちらかを選べるとしたら、ほとんどの人が(1)を選ぶのでは?

ルルーシュの場合、運動が出来なくても外見がスポーツできそうだから、これはコンプレックスにならないと思うんですよね。だからコメディーなんだけど。

あと、ルルーシュは基本的に長身キャラです。ブリタニア貴族の身長設定がやたらと高いので、ブリタニア貴族の中ではルルーシュの身長は低いのだけど、普通に見ている印象として、ルルーシュは長身です。
長身で美形で王子様なら、親から見捨てられても大丈夫なような?
いや、大丈夫ではないし、だから「コードギアス」の物語は成り立っているのだけど、視聴者がそこに自分を重ねて深読みするのは難しいかと。

「ウソのない世界」に深い意味はあったのか?

「コードギアス」における仮面とかウソの意味。この作品では仮面というテーマが結構出てきますが、今ひとつ消化不良という印象を受けます。
(もちろん私の見方が浅いだけで、実際は意味があるのかもしれません)。

単純にいうと、この作品は仮面を被って復讐劇をやるという構図が王道的に面白いわけです。そうやって仮面を被ることを、ペルソナ云々のテーマに結びつけるのは、ちょっと無理があった。

この作品では「仮面=ウソ」という感じになります。ルルーシュのゼロの仮面もそういうイメージ。ただ、ゼロという仮面の「ウソ」を、人間の関係性の普遍的問題にまで結びつけるのはかなり飛躍になるかと。

たとえば「ゴルゴ13」において、暗殺とか人を殺すというのを哲学的テーマにして、人が人を殺さない世界を作る人類補完計画とかやったら、変なのではないかと。
「コードギアス」のウソとか仮面の問題も、(ラグナレクの接続あたりに話が行くのは)無理な接着があるような気がします。

この作品の「ウソ」とか「仮面」とかは演劇上のガジェットなので、深く考えてもそれほど意味はないと思います。ゼロの仮面もガジェットでしかないので、人間性の普遍的な問題ではないです。

スザクは他人の裏表が見分けられない人間で、だから嘘つきルルーシュに不信感を持ち対立するようになります。人間の裏表を見分けられるかどうかはコミュニケーションにおいて重要なので、このあたりは興味深いんですが、「ラグナレクの接続」の話にまで持って行くには無理があるし、そもそもスザクはほとんど無関係ですからね。一応あの場面にはいるけど。
(スザクとルルーシュの関係にしても、ユーフェミアの件の怨恨が大きいわけで、裏と表のコミュニケーションのズレの問題を深く扱ってはいないです)。

C.C.はシャルルとマリアンヌに「すまない。気づいてしまったんだ。おまえたちは自分が好きなだけだと」という台詞を言うのですが、これは仮面とかウソの問題よりは、マリアンヌの母性の欠如の問題を言っているのでしょう。
というかR2第二十一話のやり取りは、(制作者側が)マリアンヌのエゴを強調して描いてます。
(つまり仮面やウソが素晴らしいという話ではない)。
あくまで「仮面」や「ウソ」はガジェットであり、実際は親子関係の問題ですね。一般的な自分と他人ということではなく、マリアンヌが実の息子のルルーシュに対して母性を持ててないという問題です。

シンクーが空気キャラなのは、R2前半部で物語が動かないようにしているからで

「コードギアス」が不幸なのは、第一期と第二期に分けたこと。そして第二期から視る視聴者のために、第一期でやったことを反復するという中途半端な形を取ったこと。

第二期(R2)の第十二話の最後でシャーリーが記憶を取り戻す場面がありますが、ここでようやく第二期が始まる感じです。そこまでは、基本的に第一期のパターンを反復するという中途半端なものです。あくまで物語の枠を崩さないように……ということ。
第二期の第十二話までは物語が凍結されているようなものです。

具体的に言えば、シンクーなどは、R2前半部の凍結された物語のためのキャラです。シンクーというキャラは、ルルーシュとスザクの物語に直接的な影響を与えないように配置されてます。あくまでR2前半部で、ルルーシュがゼロとして戦うだけの相手。ルルーシュの人生の物語として大きな意味はないので、ある種の模擬戦の相手とでも言った方がいいでしょうかね。

シンクーに物語があるとすれば、天子様との関係しかないわけです。シンクーと天子様の関係は「コードギアス外伝」とでも呼ぶべきもの。それが第二期の序盤に組み込まれているのは不幸です。
あるいは、物語の本編を動かさないように、外伝的なストーリーを組み込んだという言い方でもいいけど。

ナイトオブラウンズに関してもそうです。ジノは空気キャラにならざるを得ません。ジノのキャラが立つと、物語の構図が変わってしまう可能性があるので。脇役と言っても、いろんな意味があると思うんですが、ジノは物語に関わらない脇役なのです。
(単純に言えば、スザク最強でないと、構図が壊れるのです)。

アーニャに関してもそうですね。コードギアスの中では一番キャラデザインが可愛いので、本当はもっと使いたかったキャラでしたが、あくまでマリアンヌが憑依するための存在。それ以上の役割があると、物語が変動してしまうので、空気扱いです。

漫画とかで、一区切りついて、第二部とか第三部みたいな展開をすることがあります。
(ドラゴンボールなら、ピッコロ大魔王編、ベジータ編、フリーザ編のように)。
一区切りついて、新キャラを出して物語を新しい方向に展開させるわけです。

「コードギアス」の場合、物語の構図を変えるために第二期に展開したのではなく、大人の都合で分断したので、新キャラで物語が動かないようにと配慮されてます。これは不幸。

ルルーシュがクロヴィスを殺したのは、自分の家に放火する中学生みたいな発想

「コードギアス」を最初に見ていた頃は、序盤でルルーシュがクロヴィスを殺すのが自然に思えました。しかし、何度も見てると、変な気がします。

ルルーシュは勝手にブリタニア皇族が(マリアンヌ殺害の)犯人だと決めつけているだけです。物語開始時点でルルーシュは極めて不完全な情報しか持っていません。実際にマリアンヌを殺したのはV.V.だったわけです。
要するにクロヴィスは「冤罪」で殺されたのです。というか、ギアス能力でクロヴィスが犯人でないとわかったのにも関わらず、ルルーシュは殺したのです。

フィクションの「つかみ」として、序盤でクロヴィスを殺したのはかなりよいです。
ルルーシュはガンダムのシャアのイメージで作られてますが、序盤でクロヴィスを殺害するのも、ガンダムで言うと、シャアがガルマ・ザビを殺した構図をなぞっています。
王国から追われた王子様が復讐劇を始めるというアングルはフィクションとして面白いです。

しかしシャアとルルーシュは似ているとはいえ、違います。
シャアは自分の王国(ジオン共和国)を乗っ取ったザビ家への復讐であることです。つまり赤の他人への復讐です。
逆にルルーシュは自分を爪弾きにした家族を皆殺しということです。腹違いの兄妹を殺していくわけですからね。クロヴィス殺した時点だと「腹違い=他人」という風にも見えますが、その後の描写を見ると、ブリタニア皇族は腹違いでも結構仲がいいような……。それに第二期では実の両親に対して、「おまえたち親は俺とナナリーを見捨てたんだよ!消え失せろ!」と絶叫して殺してしまうし……。

皇族から爪弾きにされたルルーシュが皇族全体を恨むのは、まあ構造としては自然です。ルルーシュは兄妹で親の愛情を奪い合う争いに破れたという風にも捉えられます。たとえばルルーシュは過去にユフィと仲がよいわけですが、自分が追放されたからには、親に選ばれたユフィを憎悪すると。

クロヴィスを殺したのも、自分を追放した家族への怨みという風に考えればいいのかなと。ギアス能力でクロヴィスが犯人でないと確定したけど、「親に選ばれた兄」への憎悪として殺す理由はあった。要するに、親から見放されて、兄弟姉妹含めて皆殺しという発想。

「ナナリーのため」というわりにはナナリーは最初から幸せそうだし、「母さんを殺した犯人を……」というわりには、犯人ではないクロヴィス殺してるし……。

まあ「俺を追放したから、うちの家族全員殺してやる」だと率直すぎるので「ナナリーのため」と。
機能不全家族で自己愛を傷つけられた少年とかが、自分の家族皆殺しとかやりますけど。
ルルーシュはそれに似ている気もします。
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