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「ガンダム00 セカンドシーズン」最終話は、劇場版のせいで台無し

劇場版の予告があったので、少し感想が書きづらい。

ともかく群像劇としては失敗作。
刹那を中心とした主人公の物語としては、前回の第24話で焦点が絞れたと思ったのだが、最終回はちょっと拍子抜け。
劇場版に繋げるためなのか、やや曖昧な感じになった。
カタルシスが低い最終回になってしまったと思う。
終盤の緊迫感は第一期の方が断然よかった。

劇場版のためにキャラを温存したという印象。
本来は、くっきりと衝撃が残るようなラストも可能だったはず。
結末らしい結末ではなかった。
人気のあるラノベを無理矢理引き延ばすような感じか?
商業上の都合でこういう最終回になった。
まあ「ガンダム00」は大人気というわけでもないけど……。

失敗作だと結論付けたい。
群像劇の失敗を死亡退場連続で整理して、第二十四話で主人公中心の王道展開に出来たので、劇場版さえなければ、カタルシスを得られる結末は充分可能だったはずだ。

引き絞られた弓が、劇場版のために緩められた最終回だった。
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「ガンダム00」は群像劇ではない。1人のテロリストの物語だ。

「ガンダム00」の第一期を見た。三度目。
セカンドシーズンはまだ放映中で、残り数話というところだが、この作品に関しての認識が改まったので論評を書いておく。

最初に「ガンダム00」を見ていた頃は、とても印象が悪かった。
焦点が定まらない中途半端な群像劇。
理由もわからず、戦闘だけが繰り返される中途半端なアニメ。
失敗作だと思っていた。

だが、三度目を見て、印象が変わってきた。
これは群像劇ではない。
(セカンドシーズン終盤の死亡退場の多さを見たから言えることでもあるが)。
あくまで主人公・刹那の物語なのだ。

<世界の歪み>という単語が「ガンダム00」には何度も出てくる。
今まではこれがわからなかった。
だって、日本はことさら平和に描かれるし、世界大戦だって起こってない。
地域紛争程度で世界の歪みとか言われても話のスケールが小さいと思っていた。
いろいろ登場人物が出てくるが、別に世界大戦やってるわけではないから、横並びでキャラが立ってないという印象もあった。

これは刹那の自閉的な内面から見た物語なのである。
テロリストの物語なのだ。
平和だからこそテロルは望まれる部分もある。
平和だから疎外される者がいる。
テロとは平和への憤怒なのだ。

簡単に言うなら、テロリストの心境になると「ガンダム00」は楽しめる。
(破壊による再生、というが、要するに<平和な世の中>を破壊するということだ)。
そしてこの作品は、自閉的な少年が世界全体と戦うという、アニメの王道でもあるのだ。
登場人物が中途半端に羅列されているのも、自閉傾向のある主人公視点から見ているからだ。
他人の物語はまともに描かれない。
死亡退場で掃除するべきもの。

「ガンダム00」のセカンドシーズンは残り三話くらい残っているが、どんな決着になるかわからない。
ただ、どんな結末であれ、自閉傾向のある少年が世界と戦う王道アニメとして纏まるはずである。

「ガンダム00」と平和な日本

「ガンダム00」の第一期の前半部を見ているところ。
これが三度目の視聴なのだが、ようやくこの作品が面白いと思えてきた。

初見でなぜこの作品がつまらなかったかというと、「解決するべき問題」がないからだ。
世界がわりと平和なのに、ガンダムが出てくる必然性がわからなかった。
感情移入するポイントが難しかった。

日本がやたらと平和に描かれているのは、意図的であるはずだ。
平和な日本と、紛争が多発している小国という対比。
そして大国同士は、別に世界大戦などはやっていない。
(要するに今の世界状況と似せているわけだ)。

つまり「外国」が舞台なのである。
外国が舞台の作品なんかたくさんあるんだけど、普通の意味で外国が舞台なのとは違うのだ。
平和な日本と対比させた上で、外国が出てくるわけである。
真の意味での外国なのである。
どうでもいい遠い国という意味での外国。
だから、感情移入しづらいのだ。

では、なぜ私がこの作品を楽しめるようになったのか?
まず世界全体への漠然とした不安がテーマなのだと捉えることにした。
そうやって見ると、この作品は理解出来るのである。
「解決するべき問題」があるわけではない。
実際世界はわりと平和なのだから。
しかし表層的に平和でも、「世界の歪み」はあるのである。
そういう漠然とした歪みを思いつつこの作品を見ると、結構理解できる。
ソレスタルビーイングは、抽象的で象徴的な意味での世界全体と戦っているのである。

この作品の主人公は、平凡とはほど遠いわけだ。
疎外され、自閉した内面世界から世界を見て、対峙する。
平和な日本の風景が対比的に描かれるからこそ、自閉的で疎外的な世界観が出てくる。
その自閉的な拠点がソレスタルビーイングなのである。

「ガンダム00」セカンドシーズン第二十二話

今回は戦闘シーンが満載。
戦闘場面を見たい人にはよかった回かも。

あんまり物語は動かなかった。
前回まででかなり死亡退場させているので、残したテーマは少ないからね。

沙慈クロスロードとルイスの物語がまだ未消化なので、それを次でやって……。

イノベイターに関しては、人類を進化させるための計画という陳腐な話だと思うので、これは最終話で曖昧にやるか?
陳腐な設定を如何に思わせぶりに演出するかということなので。
(あっと驚くトリックが出てくるような話ではないはずだから)。

マリナ姫の扱いも気になるところ。
ネタ的に話題となっている「ごろごろしたい」(正式な曲名はTOMORROW)がクライマックスで流れるのは勘弁して欲しいかなと。


黒神 The Animation

普通のアニメレビュー。
現在第九話まで放映。

原作はたぶん韓国の人が描いている漫画。
「ヤングガンガン」で連載中らしいが、未読。

主人公が異能者ヒロインと契約して異能者バトルをやる、という極めてテンプレ的な話。
バンダイビジュアルのサイトによれば、おそらく全24話の模様。

異能者バトルの話はさすがに食傷気味なので、4月になったら自然と見なくなるかもしれない。
全部のアニメは見切れないので、こういうテンプレ作品は脱落でいいかなと。


ヒロインの世間知らず

男子と女子を比べると、普通は女子の方が世知に長けているものである。

しかし「萌え」となると違う。
ヒロインは妙に世間知らずである。
世間知らずのヒロインが色々やらかす、というのは萌え作品のコメディパートの定番。

余談として言えば、世間知らずとか世知に長けているとか、そういうのは心のポジショニングの問題である。
女で言うと、むしろ若い子の方が世知に長けていて、おばさんになると心理的に退行してきて幼児的になる傾向が見受けられたりする。

要領の良さも同じ問題であり、意外とこれは経験と関係がない。要領がいい奴は、かなり小さい頃から要領がいい。要領の悪い人間が、要領を身につけるには「気づく」しかない。「気づく」までは何度やっても同じであり、進歩はない。

話を戻すと、萌え作品のヒロインは、かなり幼児的である。
高校生くらいの格好をしていても、幼稚園児並の世間知らずだったりする。
この場合の「世間知らず」は、要領の悪さとは別種のものである。
むしろ要領はよい。
そして利発であったりもする。
だが、世間知らずなのだ。
要は可愛がられる子供の条件を満たしているのかもしれない。

アニメは途中で脱落することが重要

アニメは無理して最後まで見るべきものではない。
アニメ、ラノベ、漫画、ゲームと色々あるのだから、つまらないと感じたアニメに拘泥するべきではないのである。
つまらないアニメを最後まで見るということは、他の作品に使う時間を削ったということである。
素晴らしい別の作品に出会う機会を逸したということだ。

アニメの見切り時はあるのか?
まず、どんな作品でも、序盤で人間関係のパターンは示されている。
後半で面白いストーリーになるとしても、パターン自体は変わらないのだ。
最初の数話を見て、人間関係のパターンがあんまり好きではないと思ったら、そこで見切ってもよい。
物語の面白さって、その作品の人間関係が好きになれるか、が重要だったりするから。

「ガンダム00」セカンドシーズンは死亡退場連続でまとめそうだな

第二十一話視聴。
残りあと僅かという段階になってきた。

予感はあったが、やはり死亡退場が多くなりそう。
ある種の群像劇だったわけだが、それぞれの物語のラインがバラバラという問題があって。

生かしておくとなれば、そのキャラの「人生」に落としどころが必要である。
落としどころを作れないので死亡退場しかない、ということだろう。

たぶん主人公の刹那の人生というテーマで、まとめると思う。
それに関わりのないキャラは枝葉として切られ、死亡退場になる可能性が高い。

人生を描ききれないから死亡退場というのは、安直すぎると思う。
群像劇が破綻したから、消化不良のキャラを消してるだけだ。
とはいえ、死亡退場が便利なのも間違いないので、話としては面白く纏まるかもしれない。


信念としての動機と巻き込まれ型の動機

物語の根幹を成すものが「動機」である。
動機によって、物語は決まる。

さて、動機と言っても、いくつかに分類できるだろう。

とりあえず、
(1)信念として動機を持っている
(2)巻き込まれて動機を持たされる

この二つに分けてみよう。

(1)は主人公やヒロインが特別な信念を持っていて、それが動機となる。
(2)は、どちらかと言えば巻き込まれて、動機を持たされる。

(1)と(2)を明確に区分することは出来ないし、複合的な場合もあるが、雑には(2)のパターンの方が多数派だろう。

巻き込まれるパターンは、基本的には「受動的」だが、あくまでそれは掴みの段階のことである。
話が進むにつれて、能動的に変化することもある。

あるいは巻き込まれつつも、主人公やヒロインが動機を掴みかねることもある。
「私はどうしたらいいんだろう……」とか言いながら戦ったり。
こういうのは自分探し系とでも言えばいいのだろうか?
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