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ちよちゃんが「飛び級」する意味



「あずまんが大王」でちよちゃんが飛び級する理由。
小学生の女の子が高校生の厳しい環境に入って……、ということではない。

その逆である。

ちよちゃんが「飛び級」することで、小学生のような人間関係を作るのが目的なのだ。
ちよちゃんの精神レベルに合わせるわけである。
要するに高校生に背伸びするのではなく、まったくその逆。
幼児退行なのである。

他のあずまんが大王系の作品も、基本的には幼児退行である。
小学校の人間関係へのノスタルジーなのだ。
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「けいおん!」の精神年齢



精神年齢とは何か?
道徳の教科書的には、一年一年成熟して立派な人間になるという意味だろう。
だが現実には、精神年齢はあくまで立ち位置の問題であり、人格者である度合いのことではない。

アニメのヒロインの魅力というか萌えを考える場合、精神年齢は重要だ。
たとえば「けいおん!」を事例に挙げてみよう。
彼女たちは精神年齢が低い。あれをあのまま女子小学生のストーリーにしても成立する。
この場合の精神年齢とは(前述したように)人格者である度合いとか、そういう話ではない。
サンタクロースをいつまで信じているか、という類のこと。

多くのオタクが「けいおん!」に熱狂し、CDがオリコンの上位に入るような現象も、やはり実質女子小学生の可愛さに萌えたということなのだ。

小学校のような人間関係の空間を女子高生で作ると萌える。
これは人格が劣っているという意味ではない。
(実際は年を取れば人間は醜くなるものだ)。
「あずまんが大王」から始まった女子高生同士の仲良しグループ的な話は、基本的に精神年齢が小学生ということの魅力なのだと思う。

一般小説に女子高生が出てきても萌えない

萌えとは何か?
女子高生が出てくればいいのか?
断じて違う。
一般小説に女子高生が出てきても萌えない。
あれは「萌え」ではないのだ。

では、萌えとは何なのだろう?
非常にわかりやすく言うとロリ属性ということになる。
「咲-Saki-」の天江衣などが典型である。
女子高生でありながら、圧倒的な幼児性を持っていること。
天江衣こそが萌えなのだ。

誰でも知ってるような作品で言えば、ハルヒの朝比奈みくるみたいな女子高生は一般的な小説には出てこないということだ。

こういう構造を可能にしているのは、アニメ絵の役割も大きい。
だが、イラストがなければ絶対に成り立たないわけではない。
(イラスト無しでも)台詞回し、物語構造、世界観の問題として、みくるちゃんは作れるのである。
イラストが萌えを何倍何十倍にするのは確かだが、元の文章レベルで萌え構造が必要なのである。
原作のみくるちゃんが普通の女子高生みたいだったら、いとうのいぢが絵を付けても駄目です。

久々に「カウボーイビバップ」を見たら萎えた



10年ぶりくらいに「カウボーイビバップ」を見た。当時は、かなりエキサイティングで斬新な作品だったはずである。名作と誉れ高い作品だったはずだ。

しかし、かなり久々に見直してみたら、どうもよくないのである。この作品はドタバタ劇が多いわけだが、これが致命的に悪い。最近のアニメはCG多用したり、デジタル放送だったり、映像が綺麗である。「カウボーイビバップ」は1990年代のアニメとしては作画のよい作品だと言えるが、デジタル放送で流麗な映像に慣れている現在では、かなり古く映ってしまう。古臭い作画でドタバタされても萎えるだけ。基本的に宇宙でメカが出てきてアクションシーンが多いから、これは厳しい。

シリアスな場面に関しては、ハードボイルドとしてよく出来ているという気もしたが、本当の意味でストーリーが練られていることは少なく、雰囲気ハードボイルドみたいな印象。

古いアニメはみんな見るに値しないというわけではない。「少女革命ウテナ」なら、絵が古くても見られる。ウテナはストーリーの芯がしっかりしていて、メッセージ性があるからだ。「カウボーイビバップ」は雰囲気アニメなので、映像が綺麗なのが大前提となる。

「よくわかる現代魔法」アニメ版



放映中の作品のレビューです。
(現在第七話まで視聴)。

この作品は、元々はスーパーダッシュ小説新人賞の最終選考落ちの拾い上げで出版され、2005年に第五巻を持って完結した。そのあと、今さらになって再開することになり、今は第六巻も発売されているらしい。

このレビューを書くにあたって、第一巻だけ読み直してみたのだが、構成はかなり変わっている。原作はサスペンス仕立てというか、謎な出来事を発生させて、その謎を解決するという、まあオーソドックスなパターンなわけだが、アニメ版では、こよみを主人公に据えたキャラクター作品となっている。
(第二巻以降は、女の子が普通に魔法で戦う話だったと思うが)。

アニメの出来は及第点だと思うが、特筆するべきものではない。
2009年の段階でこの作品はやや陳腐な印象もある。
「パンツはいてない」というネタに食いついてくれる人がどれだけいるか?
ラノベ市場で苦戦しているスーパーダッシュ(集英社)の迷走という部分も伺える。

Phantom ~Requiem for the Phantom~

現在放映中のアニメだが、簡単に感想を書いておく。
(今のところ第21話まで視聴)。

私が原作のエロゲーである「Phantom -PHANTOM OF INFERNO-」をプレーしたのは5年以上前なので、おぼろげな記憶しかない。
だから原作との緻密な比較は出来ないのだが、たぶんストーリーを忠実に再現しながら、綺麗な作画で出来ていると言っていいだろう。
少なくとも原作の絵は、2002年当時の基準でも明らかにヘボだったからだ。

問題なのは……、エロゲーの視点の問題。
エロゲーでは主人公=プレイヤーだ。
アニメ化するとなると、それがなくなる。
私たちは普通の観客として作品を見るわけだ。
そうした場合、このアニメの序盤の出来は極めて悪い。
最初の数話で見るのを止めようと思ったくらいである。
アニメ版を観客として見ると、主人公の存在が蛇足だとさえ思えてくる。
本当につまらないのだ。
(主人公になりきってゲームをプレーすると面白いのだが……)。

ただ、中盤でヒロインのアインが消えて、主人公が本当の主人公になると、アニメとしても面白くなる。
主人公がファントムとして活動するパートは、まさに主人公として映画的に動くので、極めてエキサイティングである。

要するに、主人公とアインの関係が典型的なエロゲー文法なのだ。
この二人の絡みがアニメ版としては、視点に問題がある。
アインと主人公が絡むと、どういう視点から見ればいいのか……と。
主人公=視聴者ではないのに、エロゲーの文法を引きずって、そういうやり方になってしまっている部分がある。
この問題点を除けば、かなり出来のよいアニメだと言っていいだろう。


麻雀漫画は大袈裟に

麻雀漫画(アニメ)は大袈裟でなければならない。
普通に麻雀を打っているのを、そのまま描いても面白いわけがない。
大袈裟にすることで「大きな物語」になるわけです。

現在放映中の「咲-Saki-」もそうである。
決して特別な大金を賭けるわけではないが、スポーツでインターハイを目指すようなノリで、適度に話を大きくしている。
このあたり、麻雀漫画特有の工夫なのだと思う。
野球で甲子園に行くというのなら、現実と同じ価値観だから、独自の世界観を練る必要がない。
麻雀漫画は野球漫画と違って、架空の世界観が必要。

これは麻雀漫画に限ったものではない。
たとえば素人の兄ちゃんが山道で自動車レースするだけの話でも「頭文字D」のような名作になるわけである。
大袈裟、本気、真剣さ。
そのようなもので、普通に描いたらたわいもない話を、熱くすることが出来るのだ。


「王様の仕立て屋~サルト・フィニート~」

つまんなさそうな作品だと思っていたので読んでなかったのだが、読んでみたら極めて面白い。系統としては「美味しんぼ」のパターンだろう。仕立て屋が服を仕立てることでトラブルを解決するような具合。

魔法や超能力が無くても、物語は作れるということだ。「美味しんぼ」においては、食にこだわりのある人達の心を料理で変える。「王様の仕立て屋」においては、ファッションにこだわりのある人達の心を仕立てで変える。

料理とかスーツの仕立てなんて、どうでもいいと言えばどうでもいいことだ。(特に安物ばかりの庶民としては)。でも、それにこだわりを持たせることで、たとえば仕立て屋が魔法使いのようになるのだ。

なお、この作品の面白さは第一巻に凝縮されている。(基本的には第一巻の面白さがずっと続く)。第一巻を読んでつまらないと思ったら、第二巻以降は読まない方がいい。


「ムダヅモ無き改革」

なんかアニメ化されるというので、簡単なレビューを。
この作品がアニメ化に向いているかというと、明らかに向いていない。
この作品は劇画的な表現の面白さが肝だから、アニメにすると、肝要な部分をそぎ落とすことになる。
そもそもストーリーが面白いわけではない。
劇画というのは一歩間違えるとギャグ漫画のように見えるわけだが、「ムダヅモ無き改革」はそういう部分を強めて完全なギャグにしたものである。派手な劇画で小泉純一郎や麻生太郎が海外首脳と麻雀を繰り広げる構造が笑えるわけである。ある種の一発ネタだ。
せっかく人気が出たのだから、身の程をわきまえた方が……。

「フラグを立てる」の意味は?

「フラグを立てる」の意味を明確にするのは難しい。

よくあるのが戦争アニメで「この戦争が終わったら結婚するんだ」というものだろう。
その後で戦死するわけだ。
発言とは逆のことが起こるわけである。
スポーツ漫画で相手が「こんな奴たいしたことねーぜ」と言ったら、そいつが負けるパターンとか。
(もちろん大口を叩いてそのまま勝つ場合もあるが、基本的には負けフラグなのだ)。

発言と逆のことが起こるというのは、フィクションではありがちだろう。
物事が順当に進んだら面白くないわけで。
発言を修正させようという力学もあるだろう。

こういうのとは別の意味で「フラグが立つ」と言うこともある。
たとえばエロゲーなど。
主人公とヒロインがくっつくというか、そういうルートに入ることを言う。
エロゲーの選択肢は、真の意味での分岐点になってないことが多いので、物語的な意味でのフラグとは言い難いかもしれない。
(単にルート分岐のための便宜的なものでしかないことが多いわけだ)。
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