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「咲-Saki-」最終回



この作品は、原作を使い切ってもアニメが続くということになったので、最後の方は、ちょっと話がゆるくて、面白みに欠けたかもしれない。

だが、県大会決勝までの戦いは、とても萌えたし、燃えた。
女の子が麻雀部で戦うという話なわけだが、適度に萌えがあり、ちゃんと熱血漫画であり、結構な成功を収めたと言っていいだろう。

気になるのはこの後。アニメが人気を博したからには二期が考えられるのが普通。しかしこのアニメの場合、原作を追い抜いているから、全国大会は(原作漫画では)これから描かれるものなのだ。はっきり言えば、かなり時間が掛かるだろう。そして一話完結的な話ではなく、ストーリー物であることを考えると、「咲」程度の小規模なヒットでは続きは作りづらい。たとえば今から三年後に「咲」の二期で全国大会をやりますよ、となった場合、誰が見るのか? いや、私は見ると思うが、この作品はブランクが長いと駄目だろう。そういう意味ではアニメの続きは期待できない。しかし彼女たちの活躍は原作の方で続いていくだろう。
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phantom~requiem for the phantom~最終回



エロゲーというのは、クリアするのに50時間以上掛かるのが普通だったりするので、アニメ化してくれるのは有り難いことである。エロゲーを何度もプレーするのは、さすがに難儀だ。かつてプレーしたゲームをアニメで見られるのは素晴らしい。

もっとも「Fate/stay night」や「月姫」のように最初のルートしかやらなくて消化不良ということもある。
作品の一部分しかアニメ化しない、というのはいただけない。

この「phantom~requiem for the phantom~」は、原作の内容を満遍なくアニメにしていたと思う。
わりと過不足無く、ちゃんと話には出来ていた。
(ゲームをプレーしたのが五年以上前だから、記憶は少し怪しい)。

最後のエンディングは、やや拍子抜けに感じた。
悪人の主人公が「ペナルティー」を受けるのは物語の原則であり、そのお約束を、一番粗雑な形でやっただけ、という印象。
やっつけ仕事と言ってもいいだろうか。
最終回は見ていて、ちょっとダレた。
(原作のゲームをプレーしたのは五年以上前なので、このラストがどうだったか記憶が判然としないのだが……)。

ともかく、全体として見れば、かなり再現出来ていた良作と言えるのではないか、と思う。
及第点は充分に付けられるだろう。

「化物語」のあくの弱さ、それがゆえの人気

私が西尾維新を好きでない理由は、「利口」だからだ。
それも、強い者同士が戦うような利口さではなく、馬鹿を見つけ出して血祭りに上げるような利口さなのだ。
こういうのは、読んでいて不愉快なんだよね。
出来るだけ馬鹿を探すようなベクトルが。
スネ夫が小説家になったような感じ。

でも、そんな私でも、「化物語」は楽しむことが出来た。
主人公が馬鹿という物語の基本が守られているからだ。
ある意味、無骨な少年漫画らしい作品なのだな。
「主人公は馬鹿」というのが一番安心して読むことが出来る。

掛け合い漫才は誰でもいいわけではなく



現在「化物語」の原作を読んでいるのだが、掛け合い漫才の本質について考えさせられる。
漫才は相手によって、テイストが変わるわけだ。
ボケるポイントが違ったり、あるいはボケとツッコミが入れ替わったり……。

ともかくメインヒロインの戦場ヶ原ひたぎとの掛け合いは面白い。
(というか、これが面白いから人気があるのだろう)。

ちょっと噛み合ってないなと思うのは、神原駿河。バスケが得意なレズの女の子。レズというのが笑いのポイントになるわけだが、これがあんまり面白くなかった。
(面白いと感じる人もいるかもしれないが)。

余談として言えば、人間の会話のパターンは同じなのだ。
AさんとBさんが話すパターンは同じ。
ダウンタウンは毎回ダウンダウンだし、ナイナイは毎回ナイナイだし、爆笑問題は毎回爆笑問題ということだ。
そういう決まり切ったパターンが面白いかどうか、ということ。

相手が誰でもいいというのではなく、絡みやすい相手、絡みづらい相手がいるのだ。

大正野球娘。



現在放映中のアニメ。
普通に感想でも書いておこう。

最近は、女の子が集まってバンドを組むアニメや、女の子が集まって麻雀をやるアニメが多いわけだが、この「大正野球娘。」も、そういう、女の子が集まって目標に向かって努力する作品。

まず作画はかなりよい。
大正時代とはいいながら、それなりに現代風の萌えるキャラデザになっている。
ストーリーはオーソドックスで、大正時代の保守的な空気の良さを、うまく汲み取っている。
サクラ大戦的な良さと言えばいいのか……。

こういう女の子の部活話は、ある種の友情ファンタジーである。
現実の女の子が集まったら、もっと殺伐としている、と思われる。
「あずまんが大王」はファンタジー的な女の子の関係を描いたわけだが、そのブレイクスルーで、それに続く作品群が生まれたわけだ。

「けいおん!」には劣るとしても、この「大正野球娘。」と、あと現在放映中の「咲」も結構な成功作となると思うので、女の子の部活アニメは今後も増えそうな予感。

人気者は主人公になりづらい

みんなから受け入れられている人気者は、物語の主人公にはなりづらい。
コメディならありだが、シリアスなストーリーでは厳しい。

マージナルマン(境界人)という言葉があるが、そういうのが漫画的な主人公の基本なのである。
世界の中に溶け込めてないが、実力がある人物。
たぶん、最初から溶け込んでいると、主人公としてやることがないのである。
世界にうまく適応していたら、そこから何をやる必要がある?

つまり、多少アウトサイダーというか、マージナルマン的な人だからこそ、物語の主人公となって問題を解決するのにふさわしいのだ。
当たり前だが、最初から幸福で楽しく生きるのを描くのが物語ではないのだ。
トルストイは「幸福な家庭は互いに似通っているが、 不幸な家庭はどれもその不幸が違っている」という。
これはトルストイが小説家として見た場合、不幸な人生の方が物語になりやすいということだろう。
自我と世界の対立が「主人公」なのだ。
最初から人気者で幸せ満載だと、”自我と世界”という対立問題を内面に抱えないので、物語が展開されない。

要するに、我々の現実の主役っぽい人と、漫画の主人公では違うということである。

理屈っぽい女はヒロインに向かない

「化物語」は、理屈っぽく話す女の子をヒロインとしたシュールなコメディである。
これを見ていて逆に思ったのは、普通の作品のヒロインは論理的であってはならない、ということだ。
単純に言えば、感情の動物という話になるが、なんというか、理屈を越えているからこそ、ある種の神秘性があると言えるのである。

我々の日常で、まともな理屈が屁理屈と言われることがある。理屈は基本的には、人間の本性に反したものである。もちろん理屈できちんと説明しないといけない状況もあるが、多くの場合、理屈で正しさを説明するとウザイと言われる。
論理とか理屈を口にしてしまうと、そこには人間味がないし、物語的なものを失うのかもしれない。
心理学で言われる「防衛規制」のひとつに”知性化”というものがある。
物事を出来るだけ客観視して、論理と理屈で処理しようということだ。

ヒロインに限らず、主人公でもそうだと思うのだが、「知性化」によって目の前の状況を分析して遠ざけてしまっては、生き生きとした物語にならない。単なる空疎な粗筋だ。

魅力的なキャラクターは、その世界に没入して、最大限生きているのである。
知性化をすると、世界の意味が相対化されるので、それはよくないのだ。
仮に「知性化」するなら、「化物語」のようにシュールな扱いをしなければならない。

つまり「化物語」は理屈のパロディということだ。
本当の意味での理屈を展開するわけではなくて。

「BALDR SKY Dive1」



半年前の作品を今さらレビューするのも何だが、一応。

「BALDR SKY Dive1」は名作「BALDR FORCE」のシリーズ作品ではあるが、登場人物や世界観はまったく無関係。電脳空間でシュミクラムで戦いながら話が進むという部分は踏襲されている。

結論から言えば、非常に素晴らしい作品。
作画のレベルは高く、戦闘部分もかなり高度なアクションゲームだ。

だが、あえて難点を言っておこう。
この作品は、三周でクリアなのだが、三周目がちょっと蛇足。
二周目までで、世界観はだいたい描写されている。
これくらいで謎のまま終わった方が、フィクションとしては綺麗かと思う。
ナノマシンとか、人工生命体とか、そんな設定を練っても限度があるから。
また三周目は主人公のパートナーのレインと千夏が対立するような構図なのがまずい。
主人公とレインのパートナー関係が作品の軸であるため、この二人を決別させるようなのは、あまり共感出来なかった。

11月に発売予定の「Dive2」はあんまり期待できない。
同じ世界観で、ナノマシンの正体とか、そういう謎を解明する流れのようだからだ。
「Dive1」三周目の蛇足感が繰り返される予感もある。

「GA 芸術科アートデザインクラス」が地味な理由



現在放映中のアニメ。
原作は芳文社の四コマ漫画。

かなり出来がよい作品だが、埋没している印象が強い。空気アニメ状態である。間違いなくクオリティーが高く、90点は付けられるが、どうも入れ込めない。見ていて引き込まれない。オタクが好きなような、ほのぼの系四コマで女の子ばかり出てくるにもかかわらず、オタク的な感性に訴えないのだ。

「けいおん!」の圧倒的な面白さと「GA 芸術科アートデザインクラス」の物足りなさの違いを考えると、それはギャグのポイントだ。「けいおん!」のギャグは、それぞれのキャラクターの可愛さを表現するためのものである。「GA 芸術科アートデザインクラス」は、単なるギャグなのだ。キャラの可愛さを作り出すような面白さではない。
「GA 芸術科アートデザインクラス」はオーソドックスなギャグ漫画であり、「けいおん!」はキャラが楽しいのだ。「けいおん!」はギャグが面白いのではなく、キャラがほほえましいのだ。(たとえば澪が恥ずかしがる場面の楽しさは、キャラクターの可愛らしさに依存した面白さなわけだ)。
「GA 芸術科アートデザインクラス」は作画も素晴らしいし、褒めたいんだけど、なんか普通の四コマ漫画を読まされている感じで、どうも夢中にはなれない。

ラノベやアニメに生徒会長が出てくるのが多いのは

現実の学校生活で言えば、生徒会長とは、単なる形式的な役職であることも多いと思う。
生徒会長が特別な存在という学校は少ないはずだ。

ラノベとかアニメで、なんで生徒会長が特別な人物として登場するのか……というと。
単純に言えば、文化部的な世界観での主要人物として使いやすいから。

小学生くらいだと、みんなヒーローで、テストもみんな100点みたいな世界だ。
(だから小学生が主役の作品だと、必ずしも特別な人物でなくていい)。
中学になると、ヒエラルキーの圧力が強くなって、人間関係の序列にこだわるようになる。

中学とか高校では、何かが特別でなければいけないのだ。
そういう、特別っぽいものの象徴が生徒会長だったりする。
(もちろん現実の学校の生徒会長は違うだろうが)。
学校の中で主役であるというキーアイテムなのである。
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