Headline


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヒロインは我が強くなければならない

平凡な人間には物語がない。
バランス感覚があり、適度に調節して妥協して、落としどころを見つけ及第点の結果を出してしまうからだ。
この不安定な時代を渡るスキルとしては結構だが、物語としては薄い。

まあそれはどうでもいい。
あくまでフィクションの物語の面白さの問題。
<物語>には濃さが必要だ。

ヒロインは妥協してはならない。
及第点の結果を求めてはならない。
我が強く、自分を取り巻く状況と対決してこそヒロインたる資格がある。

たとえば、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のような作品でさえそうだ。
ヒロインは女子中学生なのにエロゲーが好きという設定なわけだが、厳格な親はこれを否定する。
もしここでヒロインが「そうだね。まだ中学生だから18禁ゲームはやめておこう」とか妥協したら、<物語>は不成立に終わる。
あくまでヒロインの我が強く18禁ゲームにこだわるから、この作品は成立するわけだ。

我が強いというのは、必ずしも生意気という文脈でなくてもよい。
「Fate/stay night」のセイバーのように生真面目な我の強さでもいいわけだ。

物語で試合とかバトルが使われがちなのは、我の強さを演出しやすい装置だからだ。
男性主人公であれ、ヒロインであれ、<試合>に引っ張り出されれば、そこで意地を張ることになる。
たとえば「咲-saki-」の登場人物達は普段は温厚な少女達だが、麻雀卓を囲む限りは譲れないというか、我の強さで立ち向かうわけである。

現実の私たちは、戦う前から落としどころを探ったりする。
相手をなだめたり、譲歩したり、そんな具合だ。
それは正常ではあるのだが、そういうアプローチは<物語>ではないのだ。
我の強さのぶつかりあいがなくては<物語>とは言えない。
スポンサーサイト

「ロウきゅーぶ!」第四巻は持ち直す



文化とは、新しいものが勃興しては、劣化コピーの濫造で朽ちていく。
それをまた別の新しい角度から再興していくのだ。

「ロウきゅーぶ!」第一巻は、ある種の閉塞を打ち破る作品だった。
五人の少女達がバスケに取り組むという少年漫画的な王道展開をしながら、萌え要素がほどよくミックスされている。
イラストはロリ過剰だが、これもパッケージ的にはよかっただろう。
ジャンプ漫画と萌えラノベを融合したような、とても洗練された仕上がりで、特別な新しさを持っていたのだ。

しかし第二巻は、書き急いだのか、かなり中途半端な失敗作。
第三巻は、程度の低いロリ萌え作品で、かなりの糞ラノベと言っていいだろう。
第一巻で築き上げたはずの新しさが、第二巻以降に継承されていない。
ロリイラストの添え物のような作品に堕してしまっていた。
独自性を失い、数多の糞ラノベの閉塞の中に埋もれたのである。

こういう朽ち果てた作品は見捨てるべきだと思っていたのだが、本屋で「ロウきゅーぶ」の第四巻を見掛けて、何となく買ってしまった。
買ったからには読もう……。
で、読んでみた。
結構持ち直していて、出来映えはよい。
なかなか小気味のいいコメディに仕上がっている。
ただし、第一巻とはかなり別の作品になってしまったのも確かだ。
一言で言うなら少年サンデーの漫画のような作品。
第一巻が「スラムダンク」だったのに、第四巻が「ハヤテのごとく!」になってしまった感じだ。

人気のあるライトノベルは、「書き殴ったようなつまらない巻」というのが結構あるので、「ロウきゅーぶ!」の第二巻と第三巻は、そういう扱いでスルーするべきなのかもしれない。
第二巻・第三巻がつまらんという理由で作品全体の評価を下げるなら、他の人気作品の評価も下げなくてはならないだろう。

ともかくいずれ第五巻が出たら、一応は読んでみようかな、という感じだ。
第二巻・第三巻の惨状が繰り返されないという保証はないのだが、第四巻はラストの方が熱血少年漫画っぽかったので、期待持てるかもしれない。
物語は0から誰も考えないものを作る必要はないが、新しい息吹を感じたいものである。
そういう芽吹きの予感を失ったら、こちらも読む気が失せるのだから。

「わいどにょ」の世界



アリス2010に収録されている「わいどにょ」。前作「ままにょにょ」とだいたい同じシステムで、少し洗練されたという程度。「戦国ランス」や「大番長」など、新しいキャラクターは加わっている。

このゲームに明確な目的はない。ただひたすら行進する。それだけだ。RPGの経験値稼ぎの部分だけ、と言ってもよい。それなのに中毒性があるのは、アリスソフトの作品の登場人物を召喚してメンバーに加えていく作業が楽しいからだ。初期のキャラ六人からスタートし、そこからモンスターを倒し、経験値を稼ぎ、キャラクターを召喚しつつ、メンバーを再編し、そしてまた先に進むという繰り返しが、アリスソフトのファンにとっては、とても楽しいシステムなのだ。

初期の頃は、電波進行というのが流行っていた。細かく説明するのはややこしいので割愛するが、「電波ちゃん」というキャラを使用すると、爆弾などのカウントを止めることが出来る。それを利用して、かなり高速で突破するように進軍していくのだ。少数精鋭チームでどれだけ進めたか、というのがある種のステータスともなった。もちろんオンラインゲームではなくオフゲーだから、”強さ自慢”もかわいげのあるものだ。

これを完全に変えたのが「バージョン1.02」のパッチだ。女の子モンスター36体をキャラとして使えるようになった。この作品はメインルートの「異空窟」とサブの「異世界マップ」があるのだが、「異世界マップ」は最初はスルー対象だった。キャラを集めるために一周する必要はあるのだが、二周以上する意味がないからだ。「バージョン1.02」は異世界マップで女の子モンスターを集めるという目的を与えた。加えて、キャラクターの”コスト”も大幅に下げられた。”コスト”を説明するのは面倒だが、大雑把に言うなら、マップに”コスト制限”があり、それによって出せるキャラの数が制限されるようなものだ。”コスト”が下がったことで、今までよりたくさんのキャラクターを展開出来るようになった。このような改定により、電波進行の少数精鋭チームは崩壊した。「異世界マップ」はメインの「異空窟」と同時進行で進める必要があるので、それなりの人数が必要だからだ。アリスソフトが”コスト”を下げたのは、そのあたりも考えたのだろう。電波進行であまりにも先まで進めてしまっていた連中は初期化して最初から始めたりすることになった。そこに不満はなかったようで、むしろ新しいプレイスタイルへの喜びが感じられた。

私は電波進行で先に進めることはせずに普通にやっていたが、「バージョン1.02」の改定で、プレーがかなり楽しくなった。固定された面子でメインのルートをやるよりは、「異世界マップ」も同時にやった方が、キャラをたくさん使うことになり、面白いからだ。

さらに続く「バージョン1.03」でかなり楽しくなった。”問題”が生じたのだ。経験値やゴールドを簡単に稼げる「裏技」が出てきたのである。1.03の追加マップで、そういうことが可能になってしまった。これはアリスソフトのミスだろうが、もしかすると、わざと抜け道を造ったという気がしないでもない。面子を増やして戦うためには、経験値やゴールドが必要だからだ。

「裏技」を使わないというストイックな人もいたようだが、私はふんだんに使った。そして今まで未使用だったキャラをどんどんパワーアップして次々と投入し、マップにたくさん展開してゲームを進めた。

そんな狂想曲に幕引きをするように「バージョン1.04」が現れた。裏技の封印である。要は経験値とゴールドを一気に稼ぐ方法が封じられたわけで、キャラを絞ってプレーすることが求められるということだ。もちろん余分に粘って経験値稼ぎをすれば多めのキャラを維持できないこともないが、かなり難儀なことである。「異空窟」と「異世界マップ」の同時進行に必要な最低限のキャラに絞りきってやるのが妥当になる。

アリスソフトがおかしいわけではない。少数精鋭で高速展開する電波進行を封じ、多人数でわらわらやる裏技も封じた。それなりに適度な数のキャラクターでプレーするように調整されただけだ。まともなゲームバランスに着地したとも言える。

オフゲーだから、バージョンアップは強制されない。いつまでも1.03にとどまりプレーしてもいいわけだ。私は少し困惑しながらも、このまま1.03でプレーを続けようかとも思う。1.04にすることは、キャプテンバニラや葉月などの微妙なキャラを切り捨てて先に進むことになるからだ。好きなキャラをふんだんに使用する1.03の楽しさを知った後で、まともに調整された1.04をやる気にはなれないのである。

冗長な掛け合い漫才とキャラ萌え

ここ10年くらいの傾向として、掛け合い漫才が多すぎるというのがある。

エロゲーをやるのが面倒になってきたのも、序盤の掛け合い漫才を読むのにウンザリしてきたからだ。
もちろん「家族計画」のように素晴らしい掛け合い漫才をやってくれる作品もあったが、お約束で掛け合い漫才を長々とやるのはウンザリである。

とはいえ、ウンザリしてない人の方が多いのだろう。
「生徒会の一存」は掛け合い漫才に居直ったような作品だが、原作はかなり売れている。
「化物語」も、その類の作品だろう。
「化物語」は原作は少し苦痛だった。アニメ版の方は、ストーリー展開と掛け合いのバランスが絶妙で、(あるいは演出が巧くて)漫才過剰とは感じなかったけど。

たぶんキャラ萌えと掛け合い漫才は相性がいいのだろう。
漫才やればキャラ萌え出来るというわけではないが、お手軽な方法ではある。

物語は死んだ、と言うと言い過ぎだろうが、まあ掛け合い漫才の流行が続いているので仕方がない。
ラノベならともかく、エロゲーはプレー時間長いんで、破滅への道を歩んでいる気がしないでもない。

世界征服の代わりとしての人類補完計画

人類補完計画的なテーマはなぜアニメで多用されるのか?
「エヴァのパクリだからだ」という説明がなされることが多い。
まあそれは否定しない。

だが、それ以上に、世界征服的な話が無くなってきたからというのがあるだろう。
世界征服をせずに、世界全体の問題を扱うとなれば、人類補完計画的なものが手っ取り早い。
古い物語で世界征服がお約束だったのと同じレベルで、人類補完計画もお約束なのだ。

もちろんドラゴンボールの悪役みたいに世界征服みたいな野望を持っていてもいいのだろう。
今からドラゴンボールを読み返してもやはり面白いからね。
とはいえ、古い物語であるのも確かだ。
「野望」というのがどうも、今の時代だと……。

人類補完計画は、大きな物語の解体であり、世界征服の対極にある。
世界の安楽死のような、そんな構造だ。
「野望」よりは「安楽死」の方が今の時代には合う。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
アクセスランキング