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「けいおん!」第四話の感想(アニメオリジナル部分はドタバタだよね)



「けいおん!」第四話を先ほど見たので、軽くレビューでも書いておこう。
第二期の問題は、原作ストックの少なさに対する懸念である。
第二期は当分先かと予想していたら、急転直下で2010年4月からの放映開始となったわけだ。
もちろん原作者が「監修」という立場で入るんだけど、要はシナリオライターが書いた原稿を原作者がチェックするだけだろう。
しかも2クールやることが予想されるため、たぶん原作にない要素をシナリオライターが書くことで話が付いたのだろうと思う。

今回の修学旅行の話はコミックスの第三巻にあるネタだから、一応は原作準拠なのだけど、原作のネタだけで二十数分を埋めるのも無理があるから、オリジナル要素を入れるわけだ。
たとえば第二話でさわちゃん先生のギターを売ったら50万円になって、それで一騒動みたいなのは原作ネタだけど、原作では(四コマだから当然だが)シンプルになっている。
アニメにするとなると、二十数分の放映時間を維持するため、50万円の扱いの話を原作よりもしつこく描くことになるわけだ。
今回の修学旅行編も、オリジナルの部分がドタバタで切れ味を感じなかった。
四コマ原作のアニメというのは、四コマごとにオチがあるから、ダラダラ展開になりづらくて、短いシークエンスで軽いオチが来るというテンポの良さがいいのだけど、どうもオリジナル部分で間延びしているとも思える。

原作ストックの少なさからすると、今後はさらにオリジナルの割合が増えると思う。
アニメオリジナルでも面白いネタをやってくれればいいのだが、どうもドタバタやダラダラが目に付く。
2クールだとすると、残り20話前後あるわけで、果たしてどうなるのか。
ここまでの四話からすると、「やっぱり原作の部分が面白いよね」というのが感想。
アニメオリジナルの話が増えれば増えるほどつまんなくなるんじゃないかな。
(もちろんこの作品の魅力は京都アニメーションの映像表現の出来の良さにもあるから、シナリオ面がドタバタでつまらないという点だけを強調するのもなんだが)。
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「しゅごキャラ!」って最初の頃はオタクに人気あったよな



最初は面白いと思っていても、何となく脱落する作品というのがある。私にとって、それは「しゅごキャラ!」だった。脱落した作品について書くとなると、どうしても視てない部分を想像で適当に書くことになってしまうが、乱筆乱文はご容赦いただきたい。

少女向けに作られた作品だと、ヒロインの女の子は男子に恋をしている。あむちゃんだって王子様に恋をする。「カードキャプターさくら」だって、そんな感じだ。まあ小学生の範囲内ならいいでしょう。だが、「しゅごキャラ!」は、ある意味リアルの小学生というか、ませた部分に踏み込みすぎた。牧歌的な小学校の世界観ではないわけだ。

アニメ・ラノベでは、主人公やヒロインの性に対する感覚が第二次成長期の前段階に抑えられることが普通だが、「しゅごキャラ!」のあむちゃんは、小学生設定なのに、第二次成長期以降の感覚に踏み込んでいる。このあたりが、男子オタクには辛いというか、対象外なので、オタク人気がなくなったのだと思う。

逆に『魔法少女リリカルなのは StrikerS』(第三期)は、ババアと形容したいくらいの雰囲気のなのはちゃんが、オタク幻想を守ってくれる。あむちゃんみたいなビッチぶりにはげんなりするけど、かといって、なのはちゃんも逆の意味で痛々しい。「男を好きにならない」というアニメヒロインの在り方を守ってくれているけど、ちょっと無理があるという気もした。フェイトちゃんのように、年齢が19歳になっても少女性が保たれていればいいのだが、なのはちゃんはStrikerSで指導的なポジションになったので、ある意味主役から外れたというか、アイドルグループの最年長で妙におばさん臭いような、そんな感じになってしまった。とはいえ、それで「魔法少女リリカルなのは」シリーズの人気が落ちたわけではない。少し年を食ってもアニメの基本を守り続けたことを、(たぶん)オタクは評価した。だから(たぶん)脱落者も少ないのである。もっともかなりの部分はフェイトちゃんの清廉な可愛さによるだろう。金髪美少女が劣化しないで大人になったらという男の理想をフェイトちゃんは体現しているのである。

アニメやラノベのヒロインは男を好きにならない

絶対に描かれないというわけではないのだが、アニメやラノベのヒロインは基本的に男に憧れない。
「背が高くてかっこよくてスポーツが出来る○○君に憧れる」みたいな話とは無縁である。
こういう不自然さが、アニメオタクにとっては、感情移入しやすいということになるのだ。
ヒロインが「サッカー部のイケメンの○○君」に憧れていたりしたら、感情移入はしづらい。
仮に「けいおん!」で、ヒロイン達が男の話で盛り上がっていたら、”幻滅”するだろう。

処女性というのがよく問題になるが、実際は男への憧れの制御の問題かもしれない。
<男に興味はない>ということだ。
それがハルヒのように変人として描かれることもあるし、「あずまんが大王」系の作品のように女の子同士の友情によってすり替えられることもある。

物語では、不自然な制御がよく行われる。
たとえば古典的な少年漫画の主人公を考えて貰いたい。
彼らは<欲>を持っていない。
女とか金には興味がないと設定されているわけだ。

つまりオタクが特に畸形的な自我を持っていて、その奇形性に合わせたフリークスな作品が作られているという理解は、あんまり正しくはないだろう。
<欲>は見たくないので、不自然に描かれないというのは、物語の基本と言えば基本だ。

「Angel Beats!」第四話の感想

前回の第三話までで、「成仏アニメ」という方向性は見えていた。
それをポッキリ折ったのが今回の第四話。

今回は野球大会。
その中で、日向というキャラが、かつて甲子園の予選の決勝か何かで最後のセカンドフライを落球してチームが負けてしまったという回想がなされる。
この「回想」は予想通りだった。
野球で成仏するんだから、フライの落球とかだろうなと予想してたらドンピシャ。
で、野球大会で天使ちゃんのチームと対戦し、最終回までリード。
最後は一打逆転のピンチ。
2アウトからその日向のところにセカンドフライ。
ああ、これを捕球して思いを遂げて成仏するんだな、完全に予想通り……と思ったら、女キャラが脈絡もなく日向に飛び掛かって落球。
日向は成仏せず。
つまり、本来なら日向がセカンドフライを捕球して「成仏」するはずだったのが、それをギャグ的に回避したわけだ。
どうなんだこりゃ?
しかも、日向というキャラの印象とか、前回までほとんどないよ。
1クールだから仕方ないのだけど、キャラの印象が残らない段階で、成仏するとかしないとか、されても……。

ともかく整理しよう。
毎週誰かが成仏するアニメだと思われた。
今回も日向というキャラが、セカンドフライを落球せずに捕球することで成仏するのだろうという話の流れだった。
そういう流れを意図的にギャグで断ち切ったわけだ。
フラグを立てて、それを引っ繰り返す展開にしたのだ。
コメディなら別にいいのだけど、これで話を成立させる目算はあるのだろうか。
フラグを立てて、それをポッキリ折るなんて、楽屋オチみたいなものだ。

原作のないアニメオリジナル企画なので、今後はわからないが、果たしてどうなるのか。
今のところ作品の世界観も不明である。
作品の軸であるはずの「成仏」をギャグにしたのだから、収拾がつかなくなるかも。

美少女に萌えるのではなく、少女に萌えるのがラノベだ

ヒロインを美少女と規定する場合もあれば、単なる少女として設定する場合もある。

たとえば涼宮ハルヒであれば、美少女として評判、と説明される。
これは周囲からの評価による美少女設定である。
作者の主観(キョンの主観)による設定ではないところが重要だ。
顔の造型がどれだけ美しいかを延々と書いたりはせず、周りがハルヒを美少女認定しているという事実からキャラを規定しているわけだ。

やや語弊があるが、ラノベに出てくる女の子は必ずしも美少女ではない。
それでも萌えられるものは萌えられる。
たとえば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」において、黒猫に萌えるとして、たぶん黒猫を美少女と見なして萌えている人は少ないだろう。
あくまで斜に構えたオタク少女(年齢が十代半ば)という設定に萌えているわけだ。
つまり<少女性>に萌えているわけで、必ずしも「美少女」ではない。
黒猫のアスペルガーっぽい立ち位置は、世間慣れした女連中とは違って、心に響くわけである。

少女と美少女の間にたいして差はないのだ。
「俺の妹」でも沙織(長身のぐるぐる眼鏡のキャラ)だと、さすがに<少女>のカテゴリーから外れてしまうわけだが、これは意図的に外しているのだろう。

基本的には<少女>としてのイノセントさがあればいいだけで、<美>は必ずしも必要ないのだ。
(もちろん美少女なら美少女でも構わないのだけど)。
萌え四コマでも「らき☆すた」とか「けいおん!」はあくまで<少女性>に対しての萌えだ。
オタクが興味を持つのはイノセントさであり、<美>ではないのだ。
美人と少女のどちらが好きなのかと言えば、確実に少女なのである。

お金持ちのお嬢様が出て来ないラノベは少ない

やや極端なことを書いてみよう。ラノベにおいては、お金持ちのお嬢様が出てくるのがデフォである。出て来ない事例は少ない。
……こう書くと、「お金持ちが出て来ない作品たくさんあるぞ」という反論を受けかねないが、それでも敢えて続けよう。

少なくとも主人公の幼馴染みの出現率より、お金持ちのお嬢様の出現率の方が高い。
(これも調べたわけではないので、データ出されたらひっくり返るかもしれないが)。

ともかく私が言いたいのは、お金持ちのお嬢様を登場させるのが、とても基本的な設定だということだ。

理由のひとつとして、オタクにとって安心できる世界観というのがあると思う。たとえば偏差値が高い学校というのは設定としてよく出てくる。ゆるゆるな作品でも、「うちは進学校だからなあ」みたいなのがラノベでは多い。

お金持ちのお嬢様がいて、偏差値が高い学校というのがラノベでは求められているのだ。これはお受験に夢中なママとか、ああいうのとは対極だと思う。オタクは別に見栄っ張りではないのだ。

結論を言うと、偏差値が高くて育ちのよい女の子がいるような空間は「安心」出来るわけだ。単純に言えば、DQNの排除だ。偏差値へのこだわりとか、お金持ちへのこだわりがあるのではなくて、育ちのよい環境だとDQNがいなくていいな、という憧れだと思う。

主人公の活躍を知るのは主人公のクラスタにいる人だけ

主人公が活躍するとしよう。
この場合、彼の活躍を知っているのは一部の人である。
国民的ヒーローとか世界的ヒーローという扱いであることは少ないのである。
主人公が国民的英雄として敵を倒したりする作品が皆無というわけでもないだろうが、基本的には、情報は遮断されている。

「情報弱者」という言葉がある。
あれは、情報のクラスタという意味だと思うのである。
クラスタが違うと得ている情報が全然違う。
(ネットのヘビーユーザーとライトユーザーの断絶の問題)。

主人公の活躍を知るのは、主人公のクラスタにいる人だけなのである。
クラスタを越えてあまねく世界全土に活躍が伝わる、ということは、基本的にない。

クラスタを越えて主人公やヒロインが有名人であるという作品があるとしても、「一部の人しか知らない」という王道に敢えて反して描かれたものではないだろうか。

「Angel Beats!」第三話まで感想



Key作品の大御所麻枝准がアニメオリジナルシナリオを手がけるということで注目されている「Angel Beats!」。
今ひとつ期待はずれの評価もなされる中、とりあえず第三話まで来た。

さまよえる魂……。そういう話だ。
登場人物より、製作者が彷徨っているという気がしないでもないが、何となくこの作品の構造は見えてきた。
ある種の決定論なのだ。
ラプラスの魔だ。
たとえばあなたが明日交通事故で死ぬとして、それは最初から決まっていたという具合だ。
ヒロインのゆりっぺが率いるSSSが<抗う>と言っているのは、そういう定められた運命に対して、である。

これは原作のないオリジナルアニメなので、今後の展開に関しては、先読みするしかない。
<運命が決定されている>というロジックを守り続け、それに抗い、戦い、魂が救われるという話を反復するのか、それとも、決定論自体を覆して、自分なりに変えられるんだ、みたいなことにするのか。

記憶のない主人公が箱庭的な世界で生活しつつ、その意味を紐解いていくという構造は「灰羽連盟」的だが、「灰羽」が出た時も村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のパクリみたいなことを言われたし、あまりそういうポイントで騒ぐべきではないだろう。
記憶をデリートしてそこから物語が始まるというのは、それなりにテンプレートだ。

今後「Angel Beats!」がどのように展開するのか、ある意味、楽しみである。
たぶん毎回毎回不幸話をやると思われるので、安っぽいメロドラマという評価になりそう……。

第二次性徴と物語

普通のアニメやラノベでは、登場人物は性欲を持たない。
もう少し正確に言うなら、第二次性徴前の性的嗜好なのだ。

第二次性徴前の男子は性欲がないわけではない。
ただ、「セックスしてええ」という男子小学生はあまりいないだろう。
基本的に志向は「お色気」なのだ。
パンツにこだわることが多いのも、第二次性徴前の性的嗜好である。
もちろん第二次性徴以降も男はパンツを好むが、ともかくアニメやラノベは「小学生でも理解できるエッチな感情」に抑えられているわけだ。

アニメやラノベで、第二次性徴以降の感覚を描くこと……、つまり小学生に理解できない性的欲求を描くのは、基本的には禁止である。
ヒロインが処女でなければならないのも似たような話で、単なる処女信仰ではないのだ。
第二次性徴よりも前の段階に収めておきたいから<処女>という設定が前提になるのだ。
<非処女>であるとすれば、第二次性徴以降ということになり、そうであるなら、物語の根幹が違うものになるからだ。

もちろんこれはアニメやラノベの話であり、青年誌では「セックスしてええ」という願望が軸になる。

減点法の世の中だから「らき☆すた」や「けいおん!!」は得点が高い



日常萌え四コマ全盛の時代である。
近年の「らき☆すた」とか「けいおん!!」の評価の高さの理由は、この種の作品は<減点>されにくいというのがあると思う。
「らき☆すた」とか「けいおん!!」を見て、強烈なアンチになる人はいないだろう。
私だって、これらのほんわかとした作品は楽しく視ている。

だが、要は減点要素が少ないということだ。
ひとつひとつの要素はそれほどではなくても、減点要素がなければ高い点数が付いてしまうという風潮。

私は別に萌え四コマに難癖を付けたいわけではない。
あくまで評価方式の問題だ。
<減点法>で頑張るアニメファンがたくさんいて、その結果として、減点要素の少ない萌え四コマが上位に浮上してきていると言いたいだけなのだ。

こういう環境では、毒のある尖った作品は加点を貰えないだろう。
減点が少ない日常的な萌え四コマ路線をみんな狙うだけである。
野心的な作品は誰も作らない。
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