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ワーキングメモリーと小説の理解力

個人的に感じていることを単に書くだけなので、なんら学術的な裏付けはないです。

小説の理解力にはワーキングメモリーがかなり関わっていると思う。
wikipediaからワーキングメモリーの引用をしておきます。
ワーキングメモリ(Working Memory)とは認知心理学において、情報を一時的に保ちながら操作するための構造や過程を指す構成概念である。作業記憶、作動記憶とも呼ばれる。

これは知能指数とか、長期的な記憶能力とは別で、一時的に、どれだけのことを頭に入れておけるかという問題。
さほど勉強が出来なくても、物事を要領よく器用にやれる人はワーキングメモリーの能力が高いかもしれないです。

小説を読む場合、頭の中のメモリーに流れを保持しておくことが必要です。
小説が300ページあるとして、今現在180ページ目を読んでいるとする。
その時、25ページ目で起こった出来事を完全に忘れていたら、小説をまともに読めていない、ということになる。

あるいは、「流れのわかりすい小説」と「流れがわかりづらい小説」という問題もある。
流れがわかりづらいのは以下のようなもの。
・たとえば回想が多い小説。回想が長かったりするとわかりづらい。元の流れをメモリーにキープしながら過去回想を読むわけだから、メモリーが足りない人だと厳しい。
・登場人物が多くて、それぞれの視点から描かれる場合。登場人物がたくさんいても、主人公と一緒に行動しているのならまだいいが、主人公とは別のところで、あれこれ行動してると、メモリーにキープしておくのが難儀になる。

小説の難易度は一定ではない。
似たような表紙のライトノベルでも、ワーキングメモリーの観点から、読みやすさの格差があります。
序盤で細かい伏線が張られて終盤でそれが回収される作品があるとして、ワーキングメモリーが足りない人だと序盤を忘れているから、終盤の展開のダイナミズムがわからなかったり。

小説を読むのは暗記ではないんですよね。
ハードディスクに書き込んでいく行為ではない。
これまでの流れをメモリーに置きながら読んでいく行為なのです。
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今さら「まおゆう」で論争?

まおゆう魔王勇者
maoyuuuu.jpg

Togetter - 「『まおゆう魔王勇者』編集方針への疑問」
今さら「まおゆう」で論争になってるようです。
少しは耳目を引くでしょうかね。
ただ、書籍化に際して今さら論争して注目を集めたところで、たかが知れている。
半年前のムーブメントを逃して、今さら再燃させようというのは無理。
実際、この話題への食い付きはあまりよくないです。

2010年5月頃、はてな界隈の大手サイトで「まおゆうは凄い」と絶賛されていた。
私も読んでみて面白いと思いました。
ゲームクリエイターの桝田省治さんが書籍化に乗り出すということになった。
そこにkagamiさんが水を差したわけです。
ねこねこブログ : 巷で話題の「まおゆう」読了。長すぎ、面白くない上に、これはひどい「冷酷さを正当化する物語」…。 - livedoor Blog(ブログ)
確かにはてな界隈では絶賛されすぎていたので、突っ込まれるのはやむを得なかった。

桝田省治さんは、これに対してmixiでクローズドに書籍化を進めるという手段を選びました。
管理人が承認した人だけが入れて、また他言無用ということでした。
私のような外部の人間にはさっぱりわからない、ということになった。
ネットでの騒ぎを鎮火させようということです。
「まおゆう」は確かに鎮火しました。
騒動も人気も鎮火した。
私は「まおゆう」は面白い作品だと思うけど、それだけです。
面白い小説を読んでも、しばらくすれば忘れる。

桝田省治さんは「業界ゴロから守るため」云々と言ってるけど、そんなことはないでしょう。
kagamiさんが火を付けて「まおゆう」が思想的な論争に巻き込まれたから逃げただけ。
際限なく論争をやって盛り上げるのも宣伝としてはよかったと思うんだけど、前述したように、最初に絶賛しすぎたものだから、後から異を唱えたkagamiさんの方に分があった。

何にせよ、ブームに出来る機会があったのに、桝田省治さんがmixiをクローズドにして、それから逃れたわけです。
短期間でネットの盛り上がりを鎮火させたのに「ネットで話題騒然」とか言っても無理があります。

繰り返すけど、「まおゆう」が話題騒然になりそうになったら、桝田省治さんが閉鎖的なmixiに移動して全然話題にならなくなったんです。

芸風が愛された「地獄のミサワ」の幸福

地獄のミサワの「女に惚れさす名言集」
jigokunomisawa.jpg
ギャグ漫画家というのは、たいてい才能を削り取るように描いていく。
ある程度描いてしまうと、あとは抜け殻になる。
オチを考えるというのは、かなり創作能力を使う作業であり、それは有限であり、必ず枯渇する。
ストーリーであれば、それなりに王道というものがあるが、ギャグは意外とオリジナリティーの固まりだ。
ストーリー漫画とギャグ漫画では、ギャグ漫画が格下に見られがちだが、毎回独自のネタを捻り出すという点ではギャグの方が難しい。

「地獄のミサワ」は普通のギャグ漫画ではない。
オチがあるようなギャグではない。
愛されるウザキャラを立てて、ウザいことを言わせる。
そういうパターンが受け入れられた。
地獄のミサワの口調を真似る人はネットで結構見掛ける。
ギャグ漫画としてヒットしたというよりは、「芸風」として愛されたのだ。
流行り言葉に似ているかもしれない。

こうやってキャラを築き上げ、そしてそれが人々から愛されているのは、とても幸せなのだろう。
ウザキャラがちょっと勘違いしたセリフを言うという「地獄のミサワ」の芸風は、少なくとも愛されている限りは続く。
才能の枯渇によって終焉を迎えることはないだろう。
「地獄のミサワ」は作者の才能もさることながら、その芸風を歓迎したファンによって成り立っている部分も大きい。

「イカ娘」は最高のアニメだけど、構造がコントだから飽きるよね



「イカ娘」最高でした。
本当に素晴らしいアニメ。

とはいえ、どうも飽きるんだよね。
見ていて面倒くさいという感情もありました。
こんなに最高すぎる作品なのに、飽きるのはなぜなのだろう。

「イカ娘」はコントだと思うんです。
イカ娘というピエロを演じるコントです。
「あずまんが大王」とか「らき☆すた」とは似て非なるもの。

「らき☆すた」ならゆるゆる何度でも見られるけど、「イカ娘」はコントだから。
コントって、そのテンションの高さに合わせないと楽しめない。
「イカ娘」はテンション合わせるのが意外と疲れる。
イカちゃんの可愛さをゆるゆる観賞するだけで楽しめそうな作品に思えながらも、実は、妙な集中力を要するのです。
これはもちろん批判ではないですけどね。
イカちゃん可愛かったですよ。

物語のラインの数の問題

小説の在り方として、一人称・三人称と区別したりする。
これはあくまで視点の問題でしかない。
物語の構造を区別できているわけではないだろう。

一冊の小説があるとする。
たとえば250ページくらいのイメージ。
その中で、物語のラインがひとつだったり複数だったりすると思うのです。

一人称の場合、ストーリーのラインは一つになるだろう。
三人称の場合は、いくつにでもなりうる。

たとえば主人公とヒロインが出会って、そのまま二人で行動するのが250ページの大半だったら、それは三人称であっても、ストーリーのラインが一つしかない。
物語的には一人称みたいなもの。

主人公とヒロインが出会う中、別のところで事件が発生していて、そこでのサブキャラのストーリーが描かれ、最後でピースが埋まるような具合なら、ストーリーのラインは二つ以上あるわけだ。
そうやって動く複数のラインが多ければ多いほど映画的な小説なのだと思う。

登場人物の数の問題ではない。
たとえば女の子が五人出てきても、主人公と一緒に行動してるならラインは一つだ。
女の子五人がそれぞれ別々に行動してるなら、ラインは5つになる。

小説を読んでいて途中で粗筋を忘れてしまうような人は、ラインが多い話が苦手だと思う。
映画なら映像で明示されるが、小説だと、同時進行してるラインを頭の中で把握する必要があるからだ。

あるいは作者の書き方の問題でもあるだろう。
主人公とは別のラインで物語が動いている時に、わかりやすく説明的に書いてくれると読みやすい。
(だが、説明的に書かない方が文章としては美しい)。
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