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「パラノーマル・アクティビティ」



たとえばゲームをプレイしていて、高いところを登る場面があるとする。たかがゲームだ。しかし恐い。落下すれば「死ぬ」としても、ゲームの中でのことだ。そうわかっていても震えが来るのは、高い場所にプリミティブな恐怖が刺激されるからだろう。フィクションだとわかっていても、われわれが人間である限り、恐いものは恐いのだ。

さて、「パラノーマル・アクティビティ」という作品。2007年のアメリカ映画。ホラー映画である。ドキュメンタリー風に架空の映像を作るのはモキュメンタリーというそうで、この映画はそのモキュメンタリーの手法で作られている。主人公がカメラを持って行動することが多く、そのカメラから映している映像(演出)が多いから、カメラの手ブレが結構ある。意図的に手ブレを入れているわけだ。酔いやすい人は酔う。車やバスで酔うような人は見ない方がいいかもしれない。
この「パラノーマル・アクティビティ」は、ポルターガイスト現象のシークエンスの連続で成り立つ映画である。まともなストーリーは無く、ポルターガイスト現象が続くだけ。つまり、「恐くないけど、話は面白い」ということはあり得ない。ストーリーは淡泊なので、ポルターガイスト現象を恐がれるかどうかだ。ポルターガイスト現象とはwikipediaの説明を借用すれば、「誰一人として手を触れていないのに、物体の移動、物をたたく音の発生、発光、発火などが繰り返し起こるとされる、通常では説明のつかない現象」のことである。私はこれが全然恐くない。恐怖イメージが持てないのである。心霊写真が恐くない人に心霊写真を怒濤のように見せても恐がらせることは出来ない。人間にはある程度共通した恐怖対象というものがあるが、多少の個人差はある。私の場合、ポルターガイスト現象がピンと来ない。だから、そういう現象のシークエンスを次々と見せられてもまったく恐くないし、楽しめなかった。恐くなくてもストーリーが楽しめる作品ならいいのだが、これは純然たるホラーなので厳しい。評価が賛否分かれるのも、「ポルターガイスト現象の恐さ」が作品のすべてだからだろう。
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「ディスガイア4」-主人公の漫画的な信念は話を面白くする-



「ディスガイア4」という発売されたばかりのゲームをやってます。まだクリアしてないが、ストーリーが素晴らしく面白い。キャラが<漫画的>なのがよいです。フィクションは、そこらの有象無象の人間を描くものではなく、フィクションならではの人物造型があるからよいのです。「ディスガイア4」も、まだプレイし始めたばかりなので粗筋は書けませんが、主人公のキャラがとても<漫画的>でよいです。「ディスガイア4」の主人公は信念を持っています。現実のわれわれだと信念は持ってないか、もしくは持ってるとしても中和してしまいます。漫画的主人公の場合そうではない。主人公が信念を持ってるからこそ、われわれは感動できるのです。ストーリーにも引き込まれる。「芝居がかった」という表現がありますが、楽しいフィクションはそういうものなのです。普通の人間をダラダラ描くのではなく、「芝居がかった」状態でキャラが存在したり動いたりする。「ディスガイア4」のストーリーは、ゲームで久々に楽しいストーリーを読ませて貰ったが、かなり古典的な作りに感銘を受けました。(漫画的手法というよりは、劇画的手法と言った方がいいかもしれません。生き方が大袈裟なのが面白いという)。

通報する楽しさと2ちゃんねる

2ちゃんねるから犯罪者が今まで何人生まれたかわかりません。そのわりには警察は2ちゃんねる自体を閉鎖に追い込もうとしません。ユーザーが次々と逮捕されるのに、なぜ2ちゃんねる本体が無事なのか。

大きな理由として、2ちゃんねるが極めて警察に協力的だというのがあります。運営側も協力的だし、何しろユーザーの方に通報文化が染みこんでます。警察に通報するのが楽しい。そういう風土を作り出した。これが2ちゃんねるの寿命を長くしました。警察憎悪の反体制みたいな左翼的風土が10年前のネットだったのですが、2ちゃんねるの出現で右寄りに塗り替わりました。(もちろん社会的に左側勢力が退潮したことも大きな要因です)。ひろゆき氏(西村博之)も2000年頃は左寄りのイベントに出たりしてましたが、深くコミットはしておらず、むしろ懐疑的なコメントを残していました。仮に反体制色が強ければ、かなり短期間で潰れていたかもしれません。このあたりの警察への姿勢というのが、寿命の長さを説明するにおいてかなり大きなウェイトを占めるでしょう。

そして、ユーザーが自主的に警察に楽しく通報することが重要です。仮に2ちゃんねる運営が「悪事を見掛けたら警察に通報しろ。これは義務だ」とユーザー側に課していたら、こうはうまくいかなかったでしょう。ユーザーそれぞれが「面白いから」という動機で動けることが重要です。警察に通報して誰かが捕まると本当に楽しいという、そんな感情が2ちゃんねるで作りあげられたのです。
その根底には、匿名が実名に対して持つ優位さの感情が2ちゃんねるにはあるからでしょう。それは2ちゃんねるユーザー同士でも存在します。誰かが犯行予告をすれば、そいつを通報して匿名から実名に祭り上げる。そういう行為を娯楽にしたのは、2ちゃんねる運営が反体制でなかったというのもありますが、必ずしも計算したわけではなく、楽しければいいという思考回路に「警察への通報」もたまたまうまく組み込まれたのだと思います。

Twitterのブロック機能は他人の悪口を言う手段

有名人と一般人がTwitterで言葉を交わすようになって、インタラクティブ性を感じることがある。だが、実際は、大いなる認知度のギャップがある。
単純に言うなら、
・一般人は有名人を知っている
・有名人は一般人を知らない
ということだ。
知られている人間と知られてない人間が言葉を交わす。これは本当のコミュニケーションでしょうか?

Twitterにブロック機能というものがある。これは相手のツイートを読まない機能ではない。なぜなら、ツイートを読みたくなければアンフォローすればいいからだ。ブロック機能とは相手からのリプライをブロックする機能である。

有名人と一般人の場合、認知度のギャップの問題から、有名人側がブロックを多用することになる。前述した通り、ブロックとはリプライをブロックする機能だ。一般人は有名人のリプライをブロックしようとは思わない。有名人側から積極的にリプライが来ることはないからだ。アンフォローすればツイートは見えないし、それだけだからだ。来るはずもないリプライをブロックする必要がないわけである。

一般人と一般人の場合、お互いを認知していることが多い。有名人と一般人のような、認知度の非対称性がないのである。
一般人と一般人だと、お互いを知っているから、ブロックの使い方は異なってくる。リプライをブロックするためというのは変わらないが、相手の悪口を書くためにブロックするということもある。
実際、ブロックされる時に捨て台詞を吐かれるくらいは普通ではないですかね。

説明的すぎる「スイートプリキュア」、説明を後出しにする「魔法少女まどか☆マギカ」

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「スイートプリキュア」第三話を見た。
前作のハートキャッチプリキュアが素晴らしすぎたので、どうしてもスイートの方は見劣りがするのだが、何にせよ、今回はそれほど説明臭くなかった気がする。
第一話・第二話の説明の多さは何だったのだろう。

プリキュアとは関係ないけど、これが興味深かった。
Togetter - 「ストーリーの「お約束」と「ご都合主義」と「情報不足」で作られる悲劇」
ウチはまぁABの情報の少なさにドライブ感を感じて普通に観てたから、まどかマギカの情報の少なさにドライブを感じる人達もいるんだろうな。うーんしかし、これも脚本術破りの問題…なのかなあ?

ABの場合、手持ちの情報が乏しいのを頑張ってあがいて、分からない事と戦っていた印象があるんですよねー。すでに分かったことはブリーフィングで逐一共有してたし。

確かにまどかマギカはAngel Beats!と構造が似てるね。
説明不足のまま話が進んでいくから、視聴者も気になる。
まどかマギカは今のところはかなり面白いので、ラストが糞でなければ名作たりうる作品だが、ラストが糞の可能性もあるわけだ。
前半部は「情報不足」で引っ張ってきただけとも言える。
説明が足りない状態で話が進んでいくから、「次回で確認しよう」となる。
Angel Beats!戦法、、、というか、王道の一つではあります。
まどかマギカは終盤で情報を出して、まどかが魔法少女になることと引き替えにどんな願いを叶えるのか、そのあたりを全部描いた時に真の価値はわかるだろう。
ちなみに浦澤直樹が「風呂敷をたためない」と言われるのも、作品の前半部を説明不足・情報不足で引っ張るからだと思う。

さて、スイートプリキュアの第一回・第二回の説明セリフが酷すぎたのは、説明不足で話を引っ張るのが許されなかったのかもしれない。
最初でフォーマットを決めて、それ以降は一話完結風の繰り返しになるだろうからね。
説明は最初に片付けておく必要がある。
とはいえ、あれだけ説明セリフが気になるのは、脚本家の技量の問題もあったかも。



最近五年くらいのネットのトレンドは無断転載だった

ここ数年のネットのトレンドの一番大きなものは「無断転載」だ。
ここで言う「無断転載」とは何か?
たとえば、アニメのそのものをアップロードという話ではなく、アニメをキャプして画像を貼るとか、そういうことである。
アニメキャプ、テレビ番組のキャプ、雑誌のキャプ、そういう類のものである。
(雑誌のキャプは、コンテンツそのものだから、これは完全な黒という気もするが)。
そういう無断転載を躊躇いなくやったところが伸びた。
要は、2ちゃんねるまとめブログである。
ニャー速の事件があった2006年から、一時は「痛いニュース」が更新を止めるくらいの騒動にはなったものの、その後なぜか是認されて、ネットの大手サイトのほとんどがまとめブログになっている。
まとめブログは「レスをまとめる」という説明をされがちだが、実際は無断転載が本質である。

一般サイトはなぜ無断転載をしないのか?
Tumblrが逆に足枷になってしまったのかもしれない。
仮にTumblrがなかったら、ああいうのは自分でブログを開設してそこに貼り付けていくしかない。
そうであれば、2ちゃんねるまとめブログとはまた別の、無断転載ブログ群が最大手を占めていただろう。

やはり気になるのは、2ちゃんねるまとめブログをライブドアやFC2が規約違反にしないところである。
逆に言うと、Tumblr的なことを一般ブログがやらないのは、規約違反が恐いからだろう。
不思議な話で「2ちゃんねるからの転載」という名目に限り、無断転載が許されるのである。
あるいは、実際のライブドア・FC2の対応は別として、「2ちゃんねるからの転載」ではなく、自分のブログでTumblrみたいなことをやったら規約違反と勝手に思い込んでいるのかもしれない。

果たして、普通のブログが2ちゃんねるまとめブログ並みの無断転載をやりまくったら、どうなるか。
それはこれから私が実験していこうと思う。
今まで四年以上キャプを一切使わずにやって来たのだが、最近使い始めている。
この無断転載の時代の息吹を感じるために、これからは無茶な無断転載をしていこうと思う。
それでFC2から削除されたなら、誰かにとっての教訓として役立つだろう。

願いを叶えるには代償が必要「魔法少女まどか☆マギカ」第七話。

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現在放送されているアニメの中で一番面白いと誰もが認める「魔法少女まどか☆マギカ」。第七話を見た。基本的にフィクションにおいてスペックを操作して変えるという話は好まれない。たとえば「ドラえもん」の道具でのび太を長身のイケメンにして知能を足せば問題は解決しそうだが、そういうことはしないわけである。ある意味「ドラえもん」は道具の使い方に失敗し続ける反復強迫である。登場人物の容姿を上げ下げするとか、知能の上げ下げ、身長の上げ下げ、……なんでもいいが、登場人物のスペックを変える話は好まれない。これは禁じ手なのである。実際、スペックが固定されているから物語があるのだ。たとえばそれぞれが自由に自分のスペックを変えられるのなら、他者との関係性が成り立たない。「スペック固定」が大原則なのである。「魔法少女まどか☆マギカ」で言えば、事故で指に障害を負ってしまった元天才バイオリン弾きの少年。基本的にこれを治してはいけない。健常者は健常者であり、障害者は障害者。そういう「スペック固定」が物語、あるいは人間の原則だ。世の中には最初からハイスペック過ぎる人がいるが、そういう人も「スペック固定」の原則の中にいる。全部恵まれていても、それはそれで、そういうスペックに固定されているからいいのだ。スペックを自由に操作して、ロースペックなあなたが今日からいきなり天才ピアニストになったり、天才サッカー選手になったりするのはまずいのだ。なるとすれば、それなりのプロセスが必要だ。修行してピアニストを目指すとか、修行してサッカー選手を目指すとか、そういうことだ。フィクションにおいて指の障害を治すとなれば「ブラックジャック」のような存在が必要になるでしょう。ブラックジャックだと許されるのは「天才外科医」というキャラに説得力があるからです。「ブラックジャック」を読んでもステータスを好き勝手に操作という印象は持たない。あと、あくまでブラックジャックが主体であり、治される側は脇役であるのが重要である。原則的に治された脇役は物語から退場していく。さて、「まどか☆マギカ」の元天才バイオリニストの少年。彼はブラックジャックの患者ではないので、彼の障害は治してはいけない。障害を負った瞬間から、その障害が彼のアイデンティティーとなるからだ。気軽に魔法で治すのは物語性の崩壊である。「まどか☆マギカ」では彼の障害を魔法で治してしまう。ここには当然、代償が必要である。「まどか☆マギカ」は物語の法則を極めて遵守している。障害を治した、つまり他人のスペックを変更したのだから、そういうルール違反への代償は必要である。さやかが今後不幸になるのは必定と言える。要は「願いを叶えてもらう」のは悪事なんです。だからその後には悲惨な末路が待っている。これは前払いと後払いの違いだとも言える。努力して修行するのは、苦しいことを前払いすること。「まどか☆マギカ」のように願いを最初に叶えると、後払いが待っている。


人間が物語を持っているのは、与えられた属性が絶対的な役割だから

人間は物語を持っています。
フィクションでも現実でも、その世界において、人は何らかの属性を与えられる。
そういう属性・役割から、「物語」が展開するのです。
フィクションなら、王子様、お姫様などの属性がわかりやすいでしょう。
王子様であれば、王子様らしい物語が展開する。
お姫様なら、お姫様という属性・役割に応じた物語が展開するわけです。

現実だってそうです。
われわれはそれなりに属性・役割を与えられてます。
たとえば男性だとして、イケメンと不細工では物語性が違います。
イケメンならイケメンらしい物語(人生)を生きるし、不細工なら不細工らしい物語(人生)になる。

現実とフィクションはルールは共通しているが、フィクションの方が嘘が混ざる。
たとえば身長。
現実でもフィクションでも、身長は重要です。
身長が高い、身長が低いという属性は決定的な意味を持つし、その属性に応じた物語が展開する。
フィクションに嘘が混ざるというのは、身長が低いのは不利というルールは認めつつも、身長が低い主人公が活躍したりすることである。
大男が小男を倒したりしてもフィクションとしては盛り上がりに欠けます。
要はカタルシスがないです。
だからフィクションでは身長が低いキャラが強かったりする。
それによってカタルシスを得るわけです。

あるいは貧富の差。
フィクションだと、お金持ちのお嬢様とかがよく出てきて、大袈裟に描かれたりします。
これに関しても、大袈裟というだけであり、金持ち・貧乏という属性のルールは現実と同じです。

結論的に言うと、物語があるのは、属性が要求するルールが強力だからです。
絶対的な掟なのです。
大男でも小男でもたいして変わらないとか、イケメンでも不細工でもたいして変わらないとか、金持ちでも貧乏でもたいして変わらないとか……、そういうことであれば「物語」はないですよ。
属性によって展開は決まっている。それが物語性なのです。

「フラクタル」のつまらなさ、ファンタジー世界観への飽き

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フィクションの設定には、それなりの新奇性が必要である。根っことなる骨組みは既存のパターンであっても、表面的な部分は真新しい必要がある。
それが出来てない、あるいは意図的にやらなかったのが「フラクタル」である。この作品の欠陥は、表面的な包装の部分で既視感があることだ。完全に独創的な話なんて無い、あるいはあっても忌避されるが、それなりに真新しい要素は必要なのである。
「フラクタル」第五話まで進んだが、つまらなさは衆目の一致するところで、批判すらされない空気アニメになっている。王道のファンタジーなのだが、それがよくない。骨組みが王道であるのはいいことだが、表面的にどこかで見たような印象ばかり受ける。
さらに輪を掛けて悪い理由は、こういう冒険ファンタジー自体が飽きられていることだ。アニメでなくゲームのRPGでもこんなのばかりだ。ジブリなら、こういう王道でも見てるだけで呻るような作画や、話作りの素晴らしさで楽しめるけど、「フラクタル」は王道ファンタジーのつまらなさが目立つ。
RPGを最初にやる時は世界を「冒険」することにワクワクするが、だんだんRPGのフォーマットが見えてきてつまらなくなる。ドラクエの続編が今ひとつ楽しくないようなもので、最初の面白さは二度と体感できない。アニメ・ゲーム世代である視聴者はこういうのに飽きてるのだ。「フラクタル」がファンタジー的世界観を捻りもなく使ったのは王道を志向したのだろうが、それはかなり間違った行為だったと言える。王道は王道で素晴らしいけど、ファンタジー世界観だけは使ってはいけない。題材の選択が致命的な失敗だった。この世界観でやるなら、余程ストーリーが面白くないと見る価値がないが、全11話のうち第五話まで見て、ストーリーがつまらないのだから、救いがたい。

「シロクロネクロ」多宇部貞人



Twitter検索したら、最近は吸血鬼が飽きられて使えないから、<ゾンビ>になってるんじゃないかと言ってる人がいた。そういうことなのかもしれない。似たような構造の中で、表面のシールだけ貼り替えてバージョンを変えていく。それがライトノベルの世界なのかもしれない。

「電撃大賞」の大賞作品。これはかなり物足りない出来映え。
あまり独創的過ぎる作品だと他人が受け入れないので、どうしてもテンプレ化した作品が受け入れられがちだが、電撃大賞は伝統的にテンプレを避けていたと思う。今回は選ばなくてもいいテンプレ作品を選んでしまった、という印象がある。

下ネタを多用し面白おかしく語る文体。男子中高生の悶々とした性欲を軽い笑いで語るという感じで、悪い印象はないが、陳腐に感じるのも確かである。
もっとも私はISの原作第一巻を読んだ時も、テンプレ過ぎてつまらないから絶対流行らないと断じていたが、アニメの方は結構好評のようである。(私はアニメは二話までしか見て無くて録画を溜めている状態)。
この「シロクロネクロ」もテンプレでつまらないと断じておくが、こういう作品の方が人気が出たりするのかもしれない。
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