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正義と善行は違う

フィクションで正義を描くという場合、それは善い行いを繰り返すことなのだろうか。
お婆さんを背負って歩いたり、環境問題に取り組んだり。
(環境問題に取り組んでいる人が本当に立派な人なのかというのは置いておきます)。
ともかく普通の意味での善行とか立派な行いをするのを描くことだろうか。

フィクションの正義はそういうことではない。
結論から言えば、「屈辱を晴らす」ということだ。

特に漫画だとそうだ。

屈辱を受ける→屈辱を晴らす

の反復だけで物語を動かしている作品が多い。

漫画の主人公は毎週毎週何かで屈辱を受けては、それを晴らす。この場合の屈辱は自分自身のものとは限らず、仲間その他も含みます。あるいは赤の他人の屈辱を晴らす方が正義の味方っぽいかもしれない。
逆にラノベだと、「屈辱を晴らす」ことを動因にしている作品は少ない。「屈辱を晴らす」というのは、カタルシス構造を作るのに一番強力な方法なので、このあたりが漫画の面白さということかもしれない。

ラノベでは腕力コンプレックスや生徒間ヒエラルキーの話題は避けられることが多く、主人公が屈辱感を感じることも少ない。
ラノベの主人公も一応は正義のために行動したりするが、漫画に比べると、メリハリが弱いかもしれない。
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