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成功を想像するのが空想、失敗を描くのがフィクション

主人公が成功するのをイメージするのは空想である。それは作品として成り立っている意味でのフィクションではないのだ。

主人公が成功したり出世したりするのはフィクションとしては好ましくない。
フィクションとして描くのは好ましくないのだ。

主人公は可能性だけを持っており、成功は保留されている。
それがフィクションの在り方なのだ。

たとえば主人公が野球をやるとして、甲子園で優勝してプロで大活躍してメジャーで大活躍とか描くのはフィクションでは好ましくない。いや、実はそういう人気作品も意外とあるので反証は挙げられてしまうだろう。でも「主人公がかっこよく出世していく」みたいなのはフィクションでは邪道だ。

現実の人生の分岐点において失敗すれば、それは明らかにダメージである。不可逆的なマイナスである。でもフィクションの場合、主人公が失敗しても「可能性」は維持されている。よくある手法で言えば、主人公が挫折してもライバル(天才)が主人公を認めているとか。つまり物語の中で挫折しているんだけど、「可能性」は強く維持されている、ということだ。(挫折させることで、逆に可能性を強調したりする)。
読者として読んでいて、「この主人公は今は挫折しているけど、必ず復活する」と可能性を信じるわけだ。

ともかく可能性を持っている状態を維持させて、しかし勲章や地位は手にしない、みたいな……。
(成功して勲章を手にするような人気作品もあることはあるけどね)。
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