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漫画で威張っている人物というとジャイアンが思い浮かぶのは

漫画で威張っている人物というと、なぜかジャイアンが思い浮かびます。
「ジャイアンのような」という形容の仕方は結構使います。
何でなのかな、と思うと、ジャイアンのようなキャラが意外といないからではないかと。。。

フィクションにおいて威張っている人物がいると、たいていは引きずり降ろされます。
威張ったキャラが登場した段階で、そいつが一泡吹かされる展開が予想出来ます。
あるいは読者もそれを期待する感じです。
(水戸黄門などは、毎回そのパターンです。水戸黄門はワンパターンで極端だけど、威張っていた人物が謝罪させられる展開はフィクションでかなり頻繁にあります)。

私たちの現実社会において立場の逆転はほとんど起こりません。立場は逆転しないと前提して行動しても問題なし。
この世の中は恨まれても大丈夫なように出来ています。
(推理小説だと、恨まれている人物が殺されたりするけど、普通のフィクションではあんまりないですね)。

恨みを晴らすには、立場の逆転が原則なのです。
(立場の逆転無しに反撃するのは、物理的には簡単ですが、刑務所に入ることになります)。
ルサンチマン云々の問題も、このあたりの仕組みと切り離しては考えられません。私たちの社会の仕組みとして、立場の認識の仕方は本質的にルサンチマン的なのです。「ルサンチマンはよくない」というのは、メッセージの縛りです。
恨みを与えておいた上で、「恨んではいけない」と縛るわけです。
私たちが他人から与えられるメッセージの多くは問題の解決に向かうものではなく、問題の未解決のためなのです。(問題解決に向かうよいメッセージを他人から貰うのは稀なのです)。

さて、フィクションの話に戻します。
威張っている人間が登場すると、たいていは「立場の逆転」が起こる。

「威張る」と「強者」では違います。
「北斗の拳」のラオウを「威張っている」とは形容出来ないでしょう。
漫画においてヒーローの部類の強者が登場すると、「威張っている」という具合には描かれません。
仮に周りに威張り散らしている様子が描写されたら、引きずり降ろされるフラグが立ったと言えばいいのか。

そういう意味でジャイアンは特異なのです。
普通なら引きずり降ろされるフラグがたくさん立っているのに、それでも延々と威張っていられる。
(そして、これはリアルに近いのです)。
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