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成長物語についての試論(社会経験による成長と内面的成長の違い)

成長物語という場合、「成長」の中身が問題になるかもしれない。
あるいは、現実世界で言う成長と、フィクションの中で言う成長の違い。

これは定義の問題になるが、
・社会経験による成長
・内面的成長(内面的課題の克服による成長)
は別個に考えた方がいいかもしれない。

青年漫画誌だと、社会経験による成長という作品がわりとあるかと思う。何らかの職業に新人として就いて、そこで経験を積んでいくみたいな。新人から見ると、そこで行われる出来事が新鮮であり、それに驚きを憶えつつも馴れていくような感じである。
(もちろん漫画だと極端に描かるし非現実的なエピソードが多々出てきますが、ベクトルとしてはリアルでの成長に近いでしょう。経験による馴れという意味では)。

あくまで言葉の使われ方の問題だが、「社会経験による成長」は今ひとつ成長物語とは呼ばれない気がする。(別に使いたければ使っても構わないが)。ある種の内面バトルが行われる作品の方が、「成長物語」と言われることが多い。登場人物が内面的課題を抱えていて、内界と外界のバトルが行われるような作品。主人公が内面に壁を築いていて、それと戦う作品。
今さら「エヴァンゲリオン」を事例に挙げたくないのだが、誰も知らない作品を事例に挙げても仕方ないので、エヴァンゲリオンが典型例と言っておこう。社会経験が「新人→ベテラン」という流れ(経験により馴染んで適応するプロセス)だとすると、エヴァ的な作品では常に新人なのだ。
ある意味「内面的成長」というのは成長の拒否なのである。多くの作品では最後の方で漫画的解決を与えてしまうので、そこが誤魔化されるが、エヴァ的な堂々巡りこそが、成長物語の基本構造かもしれない。(ある種の自己啓発セミナー的なノリと言えばいいか。永遠に自分探しをするために「成熟」が留保されているような)。馴染んで受け入れて適応するのが社会経験プロセスだとすれば、それとは別の非現実的アプローチをするということになる。

ポジティブに問題が解決されるタイプの話としては、(誰でも読んでいるような漫画で挙げれば)「ワンピース」のチョッパー編は漫画的成長としてよく描けていると思う。チョッパーは自分が抱えている内面的課題を漫画的に克服するわけである。チョッパーみたいに問題を解決出来ることは現実には無いと思うのだが、漫画としてはとても素晴らしく感動的なのである。

まとめ的に言うと、馴れたり馴染んだりするのが現実の社会経験だが、それは今ひとつフィクションとして面白くないかも、ということである。(「馴れて馴染んで適応しました」とは全く別のアプローチの方がフィクションとしては評価が高い)。
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