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ヒロインの我が侭に対して主人公は不愉快にならなくてはならない(でも本当に不愉快であってはならない)

ライトノベルでツンデレという場合、必ずしもヒロインがツンデレというわけではない。
作者がツンデレなのだ。

作者がヒロインに対して、「この子はツンデレだから」と書くのは原則的によくない。
仮にそう書いたら、ツンデレが成立してないことになる。

あくまで「この女は性格が悪くて我が侭」と書き続ける。主人公の内面描写をする場合でも、主人公がヒロインに不快感を抱いていると書かなければならない。それでいて(記述されないにもかかわらず)ヒロインへの愛情が滲み出ていないといけない。

ツンとデレの二重構造は作者が抱えていなくてはならない。「この子は実は結構性格が優しいんだけど」とか書くのは禁止。そう書いてしまったらツンデレは不成立になる。作者はあくまで否定的にヒロインを描く。それにもかかわらず微笑ましくなるかどうかの問題なのだ。

主人公はヒロインに対して、一応は不愉快な感情を持たなくてはならない。
ヒロインのわがままに対して(主人公が)「この子はツンデレだから可愛いな」とか思ってはいけない。
あくまで主人公は不快感。
不快だ不快だと言いつつ、実は不快ではないという構造。

何が言いたいのかというと、作者が「いじり」をやっているわけだ。
「この女はどうしようもないわがまま」とか敢えて書くような感覚。
「ツンデレで可愛いよねえええ」というのでは駄目なのだ。
作者が、ある種の毒舌でヒロインを描いているとも言えるわけである。
ツンデレなのは作者だ、と私が言ってるのは、そういう意味。
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