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能力スペックと内面(あるいは性格)

私たちは、内面とか性格についての話を好みます。
別に内面の素晴らしさを求めているわけではなく、あるいは、根本的にそれを探究しているわけでもなく、しかし語りたがる。なんで語りたがるのだろうかと考えると、「性格」という概念から理解しないと物語れないからです。

性格という概念は「的」なんですよ。
感情の射撃のターゲット。
あなたが他人に対して批判的になる場合、「性格」という単語を使うはずですよ。
愛したり恋したりする場合も、そういう感情を相手の「性格」に思い入れるのです。
(あなたが誰かに恋するとして、顔だけに恋するのは難しいはずです)。

フィクションでも内面から語らないと話にならないのですよ。
この子は性格的にこうだから……。
主人公は性格的にこうだから……。
内面とか性格とか動機とかそういう部分から物語るのです。

実際はスペックの力学で(この世界の法則に従い)駒として動いているだけでも、そういう観点から語ったら、物語にならないのです。

他人の意見を引用すると、
http://red.ribbon.to/~kiriko/rule3.htm
さて、ここでひとつゲームの話をしよう。題材は『スーパーマリオ・ブラザーズ』。
このゲームは、誰もが一度はプレイしたことがあると思う。あのゲームは、マリオが幽閉されたピーチを助けに行くという「物語」が設定されている。「囚われの君を助けに」というのは、宮崎駿が『カリオストロの城』や『天空の城ラピュタ』で書いたお話である。この二作は掛け値なしに傑作であり、私も見るたびに感動して、「シータよかったね」、「クラリスよかったね……」と思ってしまう。
それでは聞くが、貴方は『スーパーマリオ・ブラザーズ』の結末で感動しただろうか? 「ピーチ姫よかったね、マリオよかったね……」と思っただろうか?


つまりですね。
能力スペックだけで動いているのが実状でも、それだけだとマリオブラザーズになってしまうのです。
容姿とか、運動能力とか、身長とか、知的能力とか、(そういうステータス依存の)駒として動いているのが実状でも、別の説明をしないと物語にはならないのです。内面力学で動いていると説明しないと物語にならないということです。飛車は飛車としての意思で動く。角は角としての意思で動く。そう説明した場合に「物語」になるのです。
(そう説明しないなら、コンピューター同士が将棋を挿しているようなものです)。

でも物語でスペックが無視されているかというと、全然そんなことはないのです。
スペックのヒエラルキーは重視される。
これからは逸脱しないように描かれます。
飛車は飛車の能力として。角は角の能力として。
でも物語の展開は内的な動因によるものとして説明されるのです。
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