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記憶の反芻と過去の克服

過去のイヤな出来事を憶えていると、「昔のことをいつまでも……」とか言われる。でも、イヤな出来事を全部憶えているのは普通だ。われわれが他人に対して「昔のことをいつまでも……」というのは、面倒くさいから「時効だろ」と切り捨てているだけだ。

「憶えている」とか「憶えていない」という言い方も、不正確である。
実際は反芻するかどうかだ。
イヤな記憶を憶えているという場合、それは「イヤな記憶を反芻している」というのが正しい。
単に憶えているだけなら、結構人間は憶えている。
小学校の頃に遠足に行って、それが無難なものだったとします。そうだとしたらわざわざ思い返さない。でも「小学校の頃あそこに遠足に行ったよね」とか言われれば、「そう言えば遠足で行ったことあるな」くらいには思い出すはず。つまり、忘れているというのは、反芻していないというだけ。決して記憶から抹消されているわけではなく、普段は回想したり反芻したりしないだけなのだ。

さて、フィクションでは過去のイヤな記憶(トラウマ)を反芻する場面が多々出てくる。過去の記憶を反芻しながら生きている主人公というのは結構いる。その過去の忌まわしい記憶が作品の中心軸であることも多々ある。主人公の(負の)アイデンティティーであり、物語の動機付けの起点になるわけである。

特にアニメだと過去の回想は多用される。
アニメの場合、「過去回想」をやると映像の使い回しが出来るので都合がいいからかもしれない。

ラノベだと、「過去の記憶の反芻」をやっても、それで尺が潰せるというメリットがない。
むしろ小説媒体で回想場面を多用すると時間の前後関係が不明確になり、逆効果になることもあるだろう。
だから「過去の記憶の反芻」はあんまり露骨にはやらないかもしれない。

でも、過去のネガティブな記憶を反芻しながら生きるのは人間の本質なので、多くのフィクションで、結構使うわけである。ポイントとなる重要場面で使われる。

フィクションでは、過去にとらわれている主人公は、その過去と向き合い克服する場面が与えられる。
初期設定で主人公に「過去の負の記憶」が設定されていれば、後半の方でそれと対決して克服する場面があるんだろうなと予想出来る。
そして過去を乗り越えて解決する。過去の課題の克服。過去の自分との対決。こうやって解決してしまうのがフィクションの特徴である。
(もっとも意図的に解決しないで、引きずらせる場合もあるだろう。そういうキャラ付けとして)。
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