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ガンダム00の世界観と責任の分散(フィクションでは問題の元凶となる人物の設定が必要)

(擬人化という言葉を使い間違えていたので、書き直しました)。

「ガンダム00」がつまらないのは何故だろうと考えると、世界の問題を「人物の問題」として描けていないからではないかと。
”世界の歪み”と戦うと言われても何のことだかわからない。

ガンダム00は現在の我々の世の中に近い状態をイメージして描かれています。
世界は大国は平和で、しかし小国の地域紛争はあり、深刻な問題を抱えている国もあったりする。でもそれは「構造的な問題」であって、特定の人物の責任だと言えないかもしれない。

フィクションにおいて、問題というのは具体的に誰かが元凶になっていると描かなくてはならない。現実の世の中ではみんなが何となく構造を作っていたりするものだが、(フィクションでは)特定の誰かが元凶である必要がある。

実際の世の中は責任の分散なのです。たとえば天下りとかでも特定の誰かがその構造を守っているのではなく、公務員全体がそれを分散的に守っていたりするわけです。特定の誰かを叩き潰せば天下りがなくなるわけではないです。

フィクションでは、そういう分散的な責任を描いてはいけない……のではないかと。
天下りと戦うなら、「元凶」がいて、そいつを叩き潰すみたいな。
(実際は責任の分散で社会は成り立っているので元凶はいないんだけど)。

「ガンダム00」に関して言えば、主人公が戦うべき対象がわからないのです。
アリー・アル・サーシェスが元凶なのかというと、今ひとつ弱い。アリー・アル・サーシェスだって、構造の中のひとつの駒としか思えない。分散された責任のうちのひとつでしかないです。
(サーシェスをもっと巨大な悪として描いていればガンダム00はそれなりに上手く収まったのかもしれないです)。
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