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固定キャラと汎用キャラ(コードギアスとガンダム00の違い)

人間って、(社会的に見れば)交換可能な存在なわけです。街を歩いている人がたくさんいるとして、その中の誰かが消えても社会は微動だにしないのです。単純に言えば、私たちは「汎用キャラ」なのです。みんな同じ顔した一般人ですよ。

でも、私たちは固定キャラの側面を持っています。私もあなたも自我を持っていて、それは唯一無二のものです。
(究極的に見れば、「自分自身」というのも汎用的な仕組みですけどね)。
ともかく、私やあなたは固定キャラとしての側面を持っている。
あなたの友人は、あなたにとって固定キャラでしょう。仮にその友人の名前を山田君とします。山田君は街を歩いている群衆の一人だと汎用キャラだけど、あなたの友人であるときは唯一無二の固定キャラです。

さて、以上が前置き。
フィクションの話に繋げると、主人公の周囲に個性の強い「固定キャラ」がいるのは極めて重要なのです。
主人公に対立するライバルとかをよく出すのもそういう理由。
ライバルがいないで漠然と生きていると、世界が「汎用キャラ」の群れになってしまう。よくわからない汎用キャラの群れの社会と向き合って生きていく……のでは面白くないのです。固定キャラであるライバルを主人公にぶつけて、対立させたりすると、汎用性の中に埋没していくことが避けられるのです。

今ひとつ面白くない作品の原因が、「固定キャラの存在感が薄くて汎用キャラみたいになってしまっている」ということもあります。一応固定キャラとして名前をもっているんだけど、どうも薄いから、なんか汎用キャラっぽくなってしまっていたり……。
もちろんどうでもいいキャラを意図的に配置することもあるでしょう。主人公にとっての無難な友人が必要な場合もあるし、そういう時は、実質的に汎用キャラに近い友人が出てくるわけです。名前が付いていても、主人公の友人Aとか友人Bの扱いですよ。
そうではなく、明確にキャラを立てないといけないのに、どうもキャラが薄くて、この作品失敗だなと思ったりすることがあるのです。

「ガンダム00」の刹那とロックオンの問題でも、この二人が敵として徹底的に憎み合う構図にしていれば、もっと面白い作品になったはず。刹那とロックオンは限りなく対立させないと駄目ですよ。仲間として何となく容認してしまう展開は非常にまずかった。
刹那とマリナ・イスマイールの関係も同じこと。この二人を徹底的に対立させていたら、お互いのキャラが立っていたはず。対立させずに妙な禅問答をやっただけなのが黒田脚本。

逆に「コードギアス」では、主人公に対するキャラがいろんな意味で立っています。主人公の存在は、強力な固定キャラで囲まれていないといけないのです。「コードギアス」ってかなり雑なんだけど、人物の対立関係に緊張感があるから、それでエキサイティングに話を引っ張れていると思うのです。

あるいは、「ガンダム00」の場合、"登場人物の対立関係"を作らないのが意図的な可能性もありますけどね。だって製作者はベテランなのだから、普通なら「とりあえずライバル出して対立させておけ」とか考えるでしょう。
それをやらないのは、「世界」について描きたかったのかなと……。
とても薄味で汎用キャラ的な世界でしたけど。
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