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ヒーロー願望の罠(フィクションの主人公には才能限界がないけど)

人間にはそれぞれ才能の限界というのがあります。
凡人がどんなに頑張ってもプロ野球選手にはなれない。
努力努力と気軽に言うけど、人間にはある程度器というものがあります。

漫画だと違います。

たとえば「はじめの一歩」みたいなタイプの作品。
漫画の主人公にはありがちですが、才能限界がないのです。
「隠れた才能」があり、努力した分だけ強くなる。
(主人公以外には才能限界が設定されたりします)。

「はじめの一歩」は、ある意味弱者の否定なわけです。
ボクシングの才能で強くなって、はじめて弱さを克服できるというのだから……。
弱いままだと存在出来ないのか?
弱いなりに生きるというノウハウはあり得ないのか?
「ボクシングの隠れた才能」を開花させて強くならないといけないのか?

フィクションだと主人公の才能に限界がないので"強くなる"のは簡単なんですよ。
ヒーロー願望を最大限満たせる。

努力して勝利するというのは、ヒーロー構造の基本です。
これってある程度ポテンシャルの高い人だから可能なこと。

ヒーロー願望って"才能や力が人一倍ある"のが前提だから、限界が見えてしまう現実では苦しい。
「勝つ」とか「一番になる」ことが絶対的価値だとしてしまうと、それが成り立たなくなったときは諦めるだけ。

ある意味ヒーロー願望って、「なれない自分」を抱えていることです。
正義の味方が弱者を救う話とかでも、弱者は無力で自己解決能力がないわけですよ。
弱者と正義の味方の構図って、ヒーロー願望の自我構造なのかなと。
(現実の弱い自分と、ヒーローであるべき理想の自分の二重構造)。

もちろん明らかにポテンシャルの高い人なら大きく求めてもいいですよ。
そうでない人だと逆に跳ね返ってくるかも。
「漫画の主人公みたいな性格」は現実にはよくないなと。
主人公にならないようなタイプの方が現実にはいいのです。
たとえばスネ夫とか。
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