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勝利によるカタルシスと悲劇によるカタルシス

たとえばKeyの作品とかは、古典的な物語によくある構造だと言われたりする。
お伽噺とか昔話的な。。
まあ説明するまでもなく、不幸な女の子がヒロインって、昔の作品によくあるわけだ。

Keyの作品が少年ジャンプに連載可能かというと、たぶん無理でしょう。
媒体による制約というのはあると思う。
少年漫画だと基本的に勝利のカタルシスなわけだ。
不幸な女の子のお伽噺とかって、少年漫画で絶対にあり得ないというわけではないけど、媒体的にやりづらいと言っていいだろう。
もしこの世の中に少年漫画しかなかったらKey作品は世に出られなかったかもしれません。
(One、Kanon、Air、CLANNAD的な作品が新鮮なのは、古典的なお伽噺が少年漫画から排除されていたというのもあるかと思う)。

たとえば人魚姫はかわいそうだけど、ヒロインとしてはキャラが立っているわけだ。
悲劇的にキャラを立たせるのは、古典的な作品では基本である。

男性向けの作品で悲劇があり得ないわけではない。
日本だとサムライ的な敗者の美学はよくある。
それこそ映画で言えば「ラストサムライ」的な。
少年漫画でも、サムライ的な文脈での敗北はわりと描かれたりするかと思う。

実際の我々の人生だと敗北は単なる物語の破綻だと思うのだが、フィクションの主人公的にはいいわけです。
(現実において)ネガティブな人間に対して「おまえは悲劇の主人公のつもりか?」なんて言ったりしますけど、まさにそういうことです。
現実では敗北はなかなか物語性を持たない。
現実において自分が敗者であることを物語として語ろうとすると、「悲劇の主人公気取り」ということになります。

ラノベでも、悲劇によるカタルシス系の作品はあり得る。
一昨年の電撃大賞の「ミミズクと夜の王」なんかは(古典的な)お伽噺的な文脈で、不幸な女の子ヒロインの素晴らしい作品である。
でも、プロが売れ線を狙ったらああいう悲劇的作品は出ないのかも。
悲劇的構造は物語の基本ですが、続編続編続編とやりづらいと思う。
勝利していく構造の方が続編を出しやすい。
(「ミミズクと夜の王」は電撃大賞作品で評価が高いのに続編が出ないのは、そういう理由だと思う)。
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