まぼろしのつくりもの
フィクションのルール

雑記運動会から考える「活躍」とか「成功」の物語

主人公とは漫画の中だけの話ではありません。現実の我々も主人公であることを求められたり、求められなかったり。。。

我々は現実でも、「物語」を求め、求められる。子供の頃に、運動会に出るとなると、親から「活躍」を求められたりするじゃないですか?
(あるいは男子なら女の子にかっこいいところを見せたいとか)。
でも実際は運動が得意でないと活躍出来ないわけで。。。

脇役でもすんなり生きていける人もいれば、脇役に違和感持つ人もいる。能力高ければ、そのあたりの問題には直面しない。運動会の事例で言えば、仮に運動が得意なら「脇役としてどう生きるか」という問題には直面しない。(運動が得意なら)運動会で主役になればいいだけです。スペックが高ければ、主役にこだわるタイプの性格でも問題とはならない。

漫画の主人公的な性格というのは、推奨されたりするのだけど、実は好ましくないのではないかと。。。
脇役として運動会を無難に流して終えるという発想は主人公にはないわけで。
主人公は活躍しなくてはならないという縛り。

運動会という舞台は、「活躍」という物語に縛られています。運動会で「活躍しなければならない」と思うのは、個人の狂った観念ではなく、運動会という場が要求するもの。でもみんなが活躍出来るはずもないわけで。活躍する人間の裏には対極の人間が存在します。

親が子供の運動会を見に来て「活躍」を期待するのは本当に罪のない行為なのかどうか?
実は罪深い行為なのではないかと。

普通に漫画とか見ていて、主人公が活躍するのは、ごく自然に受け取るのだけど、運動会は何か妙な立ち位置だなと思ったり。たとえば主人公が世界のために戦うとかなら、主人公と観客に分かれるけど、運動会は主役と脇役だからな。脇役というよりは、噛ませ犬と言った方がいいか?

このあたりは個人の受け取り方が大きくて、活躍出来なくても何とも思わないタイプの人も結構います。主人公願望(ヒーロー願望)が濃いか薄いかは個人差がある。また程度問題でもあるでしょう。


【2008/07/22】 | 雑記 | トラックバック(0)



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