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運動会から考える「活躍」とか「成功」の物語

主人公とは漫画の中だけの話ではない。現実の我々も主人公であることを求められたりする。

我々は現実でも、「物語」を求め、求められる。子供の頃に、運動会に出るとなると、親から「活躍」を求められたりするだろう。(あるいは男子なら女の子にかっこいいところを見せたいとか)。でも実際は運動が得意でないと活躍出来ないわけである。

脇役でもすんなり生きていける人もいれば、脇役に違和感持つ人もいる。能力高ければ、そのあたりの問題には直面しない。運動会の事例で言えば、仮に運動が得意なら「脇役としてどう生きるか」という問題には直面しない。

漫画の主人公的な性格というのは、推奨されたりするのだけど、実は好ましくないのかもしれない。
脇役として運動会を無難に流して終えるという発想は主人公にはない。
主人公は活躍しなくてはならないという縛り。

運動会という舞台は、「活躍」という物語に縛られている。運動会で「活躍しなければならない」と思うのは、個人の狂った観念ではなく、運動会という場が要求するもの。でもみんなが活躍出来るはずもないわけだ。活躍する人間の裏には対極の人間が存在する。

普通に漫画とか見ていて、主人公が活躍するのは、ごく自然に受け取るのだけど、運動会のような現実の舞台を考えると何か妙だなと思ったりする。

このあたりは個人の受け取り方が大きくて、活躍出来なくても何とも思わないタイプの人も結構いる。主人公願望(ヒーロー願望)が濃いか薄いかは個人差がある。
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