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トルストイが「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は……」と言うのは

トルストイの有名な言葉で、幸福な家庭はみんな似ているが、不幸な家庭はそれぞれ違う、みたいなのがある。

訳文を比較しているページがあるのだが、
http://tomoki.tea-nifty.com/tomokilog/2006/04/anna_karenina_b.html
訳によって受け取り方が違うということはないようだ。

さて、トルストイのこういう考えは小説家として正しいのだと思う。なぜなら、幸福な家庭に「物語」を感じ取るのは難しいから。

たとえば、裕福な家庭に生まれて能力も恵まれて努力家の人がいるとしよう。この人は、終始リードを保ったまま生きて成功していくだろう。そこに「物語」は見いだしづらい。

要するに、小説家視点だと、劣勢の挽回とか、背水の陣からの逆転とか、あるいは不幸をどん底に描くとか、そういうのが「物語」なのだ。優勢を保っているのは「物語」ではない。
あるいは小説家ではなく、読者視点でもそうである。他人として他人を見る場合にも、リードした状態の持続には物語を見いだしづらい。

たとえばサッカー漫画とかで主人公のチームが5-0で勝つのを描き続けることはない。優勢に進めていくのは物語ではない。「劣勢」が必要だから。

つまり、、、幸福な人生には中身がないというのではなく、劣勢の挽回という要素がないと、「物語」ではないということなのだ。幸せな人が愛する人と結ばれた、ということがあれば、それはその人にとっては至福の物語だけど、他人から見た場合の「物語」はない。本人にとっては鮮烈な体験でも、他人から見ると、恵まれた人が幸せになったとしか認識出来ないのである。
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Anna Karenina by Leo Tolstoy トルストイ『アンナ・カレーニナ』

    ■中國語譯(繁體字)Translation into tradition
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