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普段は強い者の味方なのに、フィクションで正義の味方の話を好むのは(遠くの弱者は安心して助けられる)

我々は、普段は強い者の味方なのに、フィクションで正義の味方の話を好むのはなぜか?
いろいろ理由があります。
そのうちのひとつとして。

人間は近くの他人は助けないが、遠くの他人は安心して助けられる。
たとえば慈善活動するとしても、見知らぬ人とか、遠くの発展途上国が対象だったりする。
イジメとかでも、自分の周辺の問題だと「他人がいじめられると自分が助かる」というのがあります。

相手が本当に無力で、自分と無関係なら安心して助けるわけです。
身体障害者とか発展途上国の人とか。
助けても大丈夫な人。
逆に言うと、身近な弱者を迂闊に助けると、反撃してきたり、自分のポジションを奪われるかもしれません。

我々が漫画の正義の味方の話を好むのは、漫画に出てくる弱者は助けても大丈夫な存在だからです。助けても自分の地位が脅かされない。無垢な弱者ですからね。彼らは、あくまで無力なポジションであり、我々と競合する関係にないから。(それに対して、近くの弱者は無垢ではない)。

我々の日常で強者と弱者という場合、そこには多少の欺瞞があります。強者が恐ろしいほど無敵で、弱者が恐ろしいほど無力というイメージになりますが、冷めた目で見れば、そんなに差はないでしょう。というか、プロレスラーでも刃物で刺されれば死んでしまうという表現でもいいか。つまり強い弱いは確実にあるけど、人間の肉体は不死身どころか、ガラス並みなので。あくまで掟の問題です。

弱者が本気で強者を殴ったとして、弱い奴に殴られても平気だなんてことではない。だからこそ、力関係を明確にしようとするのです。

力関係というのは考えれば考えるほど不思議ではあるんですけどね。強者=不死身というのは、かなり信仰されているので。
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