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自力救済が物語の基本

私は専門家ではないので雑な意見になりますが、法律では「自力救済」は原則的に認められていません。何かが起こった時に「自力」で解決してはいけない。警察力を自分で行使してはいけない。

でも実際に世の中で発生したトラブルすべてに警察が出てくるとか、トラブルのすべてで裁判やるなんてことはないわけで。。。
「自力救済」は認められているのが実情ではないかと。

念を押して断っておきますが、私は専門家ではないので雑に話してますよ。法理論的に間違っているとか言われても困ります。(あくまで世の中の実態を普通に話しているのです)。

ともかく雑に言って、自力救済はある程度認められている。そして、物語になるのはそういう部分だったりします。他人は助けてくれない。自分で自分を助けるしかない。

他人は助けてくれないというよりは、警察が助けてくれないと言えばいいか。正義の味方が「法律で裁けない悪を……」とかいうスタンスなのも、自力救済的な発想ですね。正義の味方もある種の自力救済でしょう。

端的に言うと、学校とかは思いっきりそういう舞台なわけです。学校で他の生徒から殴られても警察には言えない。(学校に男が侵入してきて生徒を殴ったというのなら警察沙汰ですよ)。
単純に言えば人間関係に警察は介入しないので、「自力救済」が求められる。そしてそういう場は、物語の格好の舞台なのです。

ともかく物語の本質は自力救済なのです。
別に学校でなくてもいいですよ。
学校だと舞台になりやすいだけで、自力救済の論理で動いている場なら何でもいいのです。

自力救済の論理は現実だと理不尽ですが、それがゆえに、フィクションでは自力で救済するカタルシスを描くのかなと。

余談として言えば、中学校の頃の話に人間がこだわるのは、自力救済の空間だからだと思います。
自力救済空間においては、人は単なる一般人ではなく、その場の力の網の目の中で具体的に位置づけされますからね。
(大人になると、トラブルは警察にとなりますからね。似たような一般人のうちの一人となるのです)。
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