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自分が気に入らない作品のみをオナニーと呼ぶのは……

フィクションというものがなぜ存在しているのか?

それは現実において生きている我々が、ある種の暫定的な姿だからです。いや、その暫定的な姿こそが現実なのですが……。つまり、ある種の「未達成な状態」が現実なんです。何かを達成してクリアした状態が現実ではないのです。

このあたりは個人差がそれなりにあるでしょう。今の自分に大満足(リア充)な人もいるでしょう。あるいは50点くらいの人生でも、まあいいかという平凡な人もいるでしょう。
ただ、我々がこの世界に置かれている状態からして、多くの人は「不本意」だったりするし、「暫定的な状態」だと思ったりするわけです。

これは人間の極めて基本的な在り方です。これを否定するのなら、宗教も否定するべきです。今の自分で完結していて、それが最終結論だというのなら。。。

残念なことに、この現実社会は、「根源的な欲望」を叶えていくプロセスではありません。叶えられる人もいるのだろうけど、ごく例外です。だからこそ、宗教やフィクションが存在する。それが受容されるのは、我々が「現実の自分」より「達成されてない自分」の方に真実味を感じているからなのです。

こういう観点から捉えて、作品を批判するのはたやすい。
漫画やアニメは「未達成」の正当化ですからね。
未達成=無限の可能性の宝庫、という発想ですね。
何かが達成される話でも、そうなんですよ。
(隠れた可能性が花開いたみたいな)。

フィクションの本質的問題。。。
全部の作品がそうです。
でも嫌いな作品だけ取り上げて、こういう分析をする奴がいるからなあ。
気にくわない作品だけを「オナニー作品」と分類して否定しようとしたり。
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