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問題が解決しない作品の方が批評意欲を掻き立てられる

物語って、解決するのが基本です。
特に漫画だと勝利による解決ですね。
勝ったぜイエーという作品。

こういうのは評論しづらい。
あるいは、人間存在と絡めたような評論がしづらいと言えばいいかな?

我々の自我構造は基本的に抑圧的です。
抑圧されて生きて、そして死んでいく。
「勝利で解決」の作品は、抑圧から解放されてイエーなので、我々の自我構造にそぐわない。

新世紀エヴァンゲリオンが、あの当時、多大な批評意欲を掻き立て、今日でもなお批評する人がいるのは、そういうことだと思うのです。抑圧からの解放がないから。解決による脱出がないので、抑圧的な我々の自我そのものなのです。

「勝利で解決」されると、それ以前の抑圧がどうでもいい過去になってしまう。勝利のカタルシスで、過去は流される。ピッコロ大魔王倒したら、それで終わり。ドラゴンボールで敵が次々味方になるのは、勝利することで過去がチャラになるからです。抑圧がリセットされるから、平気で仲間になったりするわけです。

やや語弊があるけど、人間の人生は基本的に問題が解決しません。問題が解決されないままダラダラ生きているのが普通です。だから、解決されないエヴァ的な作品に人は強烈に惹かれることもあるのです。解決しないからこそ、エヴァに出てくる様々な事象は抑圧の象徴に見えるのです。仮にエヴァで碇シンジが強くなって問題解決したら、使徒はピッコロ大魔王的な敵になり、抑圧はリセットされてしまう。

バッドエンドにすればエヴァになれるという単純な話ではないですけどね。
作品内での問題の未解決性が、我々人間の本質を深く突いているかどうかが重要です。
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