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「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」は魔法で奇跡が起きない物語

「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」の退屈さは興味深いと思うのです。
失敗作ではなく、かなり意図的な退屈さなのです。
普通のアニメと違う文法で話が進んでいくので、逆に普段見ているアニメのパターンが陰画のようにくっきり見えてきます。

この作品の特徴は、魔法が社会的であることです。
反セカイ系と言ってもいいです。

通常の場合、登場人物が魔法を使えたら、現実のルールを超えられます。
そういうのが魔法なのです。
一般人がみんな従属しているルールを踏み越えられるのです。

この「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」は、そういう多くのアニメ作品とは全く逆なのです。魔法は社会的な技能であり、そして多少忌まれているもので、魔法遣いの方が一般人に頭を下げないといけないのです。

そして特徴的なのは、その世界観がそのまま続くことであり、その受容プロセスがテーマなのです。他人から拒まれたらギアス能力を使って世界をぶちこわすという作品とは対極です。

2003年に放映された「魔法遣いに大切なこと」では魔法のエキセントリックな使い方というのも結構ありました。でも今作ではほとんどないです。序盤で落下する電車を止める場面とかあるけど、それは研修を始める前の話。研修を始めたら、社会のルールに組み込まれて、あくまで制限された技能として使うのです。
(研修前は派手に魔法使う場面出して、研修が始まったら魔法を制限されるというのはたぶん意図的かと)。

要するにこの作品の登場人物は(魔法が使えても)普通の少年少女として扱われるのです。
魔法という技能を使う過程で躓いて、そこから普通に立ち直っていく。
(ギアス能力で打開するみたいなのは全くありません。そういう作品とは対極なのです)。
普通の人生でありがちな失敗とか挫折を描いて、それを受容するというプロットの繰り返しです。
異能者バトルで「問題解決」するようなアニメに慣れていると、この作品はちょっと退屈に思えたり。

つまりアニメ作品で魔法が出てくると「問題解決」の仕方が、異能力で逆転してカタルシスを得るようなものだったりするわけです。「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」ではそういう解決方法が否定されています。
たとえば肥大した自我が不適合を起こすなら、それを現実社会に合わせたサイズにすることが、この作品の「解決」なのです。
(ルルーシュならギアス能力で世界の方を変えるんですけどね)。

漫画でもアニメでも下方修正による適応というのは、かなり少ないです。
基本的に100点か0点かで考える主人公が基本です。100点が無理な状況でも100点を求め、自爆的に特攻していくのが普通です。(フィクションだからそれで切り抜けてしまうんですけどね)。
「魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~」はそれとは対極で、100点が無理なら70点で世界と折り合っていこうという現実的な作品です。
オールorナッシングのアニメに慣れていると、なんじゃこりゃと思うかも。

「コードギアス」に限らず、社会を超越した異能力で動いていくアニメが普通だから、「夏のソラ」は退屈に思える人も多いでしょう。社会的なルールを異能力で超越するという展開を予想して見ていると、かなり期待はずれということになるはずです。

この作品は(全12話のうち)第九話あたりから盛り上がって、そして今ひとつ問題が解決されないまま終わります。
(というか現実を変更することが出来ないので、その現実と折り合うだけです)。
これはこの作品全体の特徴です。
魔法で現実の仕組みは超えられない。
その枠組みの中での心の表現が魔法なのです。
だから最終回近辺のカタルシス度合いも薄くて、不満な視聴者も多いはず。
でも、魔法で世界は超越できないという点で一貫性はある作品です。
(まあ現実をぶち破るカタルシスが無いと消化不良と言われるんですけど)。
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