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「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というのは、アニメのルールを守るという宣言

「コードギアス」で何度も繰り返される台詞。

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

この台詞の意味は、アニメだと道徳的清算が必要だということです。
悪いことをして「得」をしたら、等分の損をして、得した分を吐き出す必要がある、ということです。

あくまで「アニメだから」ということが重要です。
現実なら、こんな発想する必要はないです。

現実だと、他人を一方的に撃てるかどうか、です。他人を撃った分だけ撃たれないといけないのなら、まったく違う世の中になっていたでしょう。「傷つける・傷つけられる」はかなり一方的で固定的関係であるのが現実です。「お互い様」ではないし、相殺もされません。

アニメのことは「アニメだから」という言葉で説明できる。
「コードギアス」はアニメなので道徳的清算が必要。
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というのはアニメだから。

だったら我々人間はアニメを見る時だけ考えが違うのか?
そうではないです。
むしろ人間の極めて根源的な願望を描いているのがアニメです。道徳的清算がなされることを我々は非常に強く望むのです。(現実は、それをかなり中途半端にしか達成してませんが)。つまり現実で我々は願望を達成してないからこそ、フィクションがあるのです。時としてフィクションの方が、我々にとってリアリティーがあるのはそういうことです。

ともかく「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」は、アニメのルールを逸脱しないということです。現実だと一方的に他人を撃って、後は時効として流したりしますが、アニメでそれは許されない。道徳的清算という人間の根源的願望は果たす。「コードギアス」はやや正統派から外れた作品のようにも見えますが、実際はかなり古典的な構造の作品であり、オーソドックスな道徳的清算もやると宣言しているわけです。
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