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正義の味方が雑魚集団を粉砕するのは

正義の味方が雑魚集団を粉砕していくのには理由があります。正義の味方とは、ボス猿的な「強者」への反感だと思うのです。ボスと取り巻きに対する反感です。

漫画でもボス的なキャラの周りには、取り巻きがたくさん付いていたりするわけです。現実でもフィクションでも強い側に加勢するのが基本です。

「強い側に加勢」というと、少し変な気もします。強者は無敵で不死身なはずなのに加勢が必要なのか?

実際には「強者」は別に無敵とか不死身ではないのです。強者とは「強い側に加勢する」という集団原理のための記号なのです。強者はアイコンです。集団的加勢が強者を作る。集団機能なのに、「一個人の強さ」とされるのは欺瞞と言えば欺瞞だが、人間の歴史の本質ではあります。

人間の場合、二足歩行生物ですから、極めて急所が多い生き物です。特に背中は急所だらけになります。防御力は極めて弱い生き物と言っていいでしょう。殺そうと思えば、強者も弱者も糞もないです。でも強者への信仰が揺らぐことはありません。やはり動物としての基本なのですかね。

「正義の味方」も、ある種のマッチョ信仰ではあるわけです。根底には弱者の怒りがあるはずですが、それはマッチョ回路を通じて達成する必要があるのです。つまりマッチョの解体ではなく、マッチョ思想の土俵の上で決着を付けるのです。

正義の味方が雑魚集団を粉砕していくのは、取り巻き集団に対する怒りなのだと思うのです。強者の記号に集まる雑魚集団をまとめてバッタバッタ倒したいという願望。

まあ仮に取り巻き全部倒したら、ラスボスは裸の王様だと思うんですけど。もちろん現実だと取り巻きをバッタバッタ倒せるわけがないので、幻想は守られますが……。
というか漫画でも幻想は守られますね。取り巻き倒した後に戦うボスは非常に強い。
(ただし情けない敵として描かれる場合もある。たとえば水戸黄門的な勧善懲悪だと)。

何にせよ、「強者」を倒すために、集団まとめてギタギタにしないといけないというのは、権力性の罠です。一人で五人十人まとめて倒すとか、そんなこと出来ませんからね。
そういう出来ないことを要求されて、実際にやるのが正義の味方なわけで、ある意味正義の味方は権力性のイデオロギーなのかも。
(権力側のルールを是認して、相手の土俵の上で戦うという意味で)。
なんで集団で連んでる奴らをまとめて倒さないといけないのか?
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