Headline


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昔の漫画に修行の場面が多かったのは、スパルタ教育的な発想が背景にあるから

最近の漫画だと修行の部分が割愛される。これを「ゆとり教育世代的な……」みたいに評することも出来る。確かにそうなのでしょう。

昔の漫画の修行の場面って、要はスパルタ教育だと思う。読者の側もスパルタを期待しているわけだ。読者は主人公をビシバシ鍛えるようなつもりで、主人公が修行する場面を読んでいるのだ。そういう形式の感情移入なのだ。

今の感覚だと、たぶん主人公をビシバシ鍛えるみたいな描写はウケないのかも?
中学生とか高校生とか、あるいは小学生でもいいけど、そのあたりの読者は「スパルタ教育」とは縁遠いはずだ。

必ずしも努力不足というわけではないと思う。努力=スパルタ教育ではないから。スパルタ教育とは別次元で努力しているかもしれない。でもそういう努力は精神主義とは別次元でやるものだから、描きづらいのかも。
このエントリーをはてなブックマークに追加
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。
アクセスランキング