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「とらドラ!」は異性が描かれているので違和感がある

アニメ第六話まで視た段階。

「とらドラ!」への違和感の正体。この作品で描かれているのは「異性」なのだな。

シャナとかルイズは生意気でも可愛いから許せるという構造なのである。異性としての違和感がない。というか、「異性」ではないのだ。

だったらハルヒはどうなるのかというと、恋愛がないからいいのである。ハルヒは恋愛自体をしないキャラだから。ハルヒも異性ではない。

「とらドラ!」は作者が女だからなのか、どうも「異性」の感覚なのである。妙な生々しさがある。「異性」とは、自分と異なった性質を持った怪物的な存在なのだ。

大河と似ている立ち位置のキャラというと、「エヴァンゲリオン」のアスカということになるだろうか。
シンジは必ずしもアスカに惚れているわけではない。でも異性の性的な魅力に圧倒されている部分があるわけだ。そういうのがアスカの存在感。
ルイズみたいに「生意気だけど可愛い」というポジションではない。

男子と女子はある意味敵対的な存在である。わかりあえない壁がある。でも異性には性的魅力を感じるわけである。通常は「惚れる」ということによって、異物への違和感が緩和されるのだが、シンジはアスカに惚れてないし、竜児は大河に惚れていない。だから男子と女子の間の壁が出てくる。

男子と女子の間には異性としての根源的な敵対性が存在しうる。アスカや大河は男にとって「異性」なのである。魅力を感じつつも相容れない存在であるという……。

ハルヒの世界が居心地いいと思うのは、異性の壁が無いからなのだな。

では「異性」を描くと失敗なのかというと、そうではない。言うまでもなくアスカは人気があるし、「とらドラ!」も人気作品である。

実際のところ、「とらドラ!」はそういう作品なのだと気づいたら、それほど違和感がなくなった。アニメ的な女の子を期待して視るから違和感があるだけで、それとは少し違うのだな。アニメの女の子ではなく現実の女子に近いと思ってみれば、わりと楽しめる。

オタクが女子に違和感持つのは、女子の「好き」という感情を制御出来ないからなのだ。
自分が「とらドラ!」を嫌っていたのは、ヒロインである大河の「好き」という感情が、主人公との関係性から浮いているからだった。異性特有のベクトルの違いがこの作品の根底にある。オタクが現実の女子に抱く不安を刺激されていたのだ。

「とらドラ!」はリアルな異性(女子生徒という異物)を描けているという風にも言える。
女子はオタクの都合のいいように、他人を「好き」になるのではない。だからこそ異性なのだ。
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