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「共感」は博愛主義ではなく、選り好みするものである

物語って、共感しながら読むものである。
で、共感というのは、実は選り好みが激しいのだ。
優れた作品であっても、万人の共感は得られない。

共感という言葉を、人は博愛主義の情愛のようなものとして使うが、決してそんなことはない。世の中のどんなものでも共感できて愛せるとか、そんなことはない。むしろ共感は選り好みが激しい。

作品に対する評価というのでも、このあたりの誤解があるのだな。フィクションって共感性に頼っているから、選り好みされる。完成度の高い優れた作品でも、共感ポイントが合わなければ合わない。それだけのことだ。

だから、共感出来ないという理由で、むやみに酷評したり、あるいは逆に、自分が共感出来たということを絶対化して他人に押しつけるのはよくないのだ。共感とは選り好みが激しいのだから。

もちろん「共感されやすいパターン」は明らかにあって、そういう最大公約数の作品が量産されるというのもあるんだけどね。それでさえも、やっぱり共感できないということはあるのだ。
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