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「ガンダム00」と平和な日本

「ガンダム00」の第一期の前半部を見ているところ。
これが三度目の視聴なのだが、ようやくこの作品が面白いと思えてきた。

初見でなぜこの作品がつまらなかったかというと、「解決するべき問題」がないからだ。
世界がわりと平和なのに、ガンダムが出てくる必然性がわからなかった。
感情移入するポイントが難しかった。

日本がやたらと平和に描かれているのは、意図的であるはずだ。
平和な日本と、紛争が多発している小国という対比。
そして大国同士は、別に世界大戦などはやっていない。
(要するに今の世界状況と似せているわけだ)。

つまり「外国」が舞台なのである。
外国が舞台の作品なんかたくさんあるんだけど、普通の意味で外国が舞台なのとは違うのだ。
平和な日本と対比させた上で、外国が出てくるわけである。
真の意味での外国なのである。
どうでもいい遠い国という意味での外国。
だから、感情移入しづらいのだ。

では、なぜ私がこの作品を楽しめるようになったのか?
まず世界全体への漠然とした不安がテーマなのだと捉えることにした。
そうやって見ると、この作品は理解出来るのである。
「解決するべき問題」があるわけではない。
実際世界はわりと平和なのだから。
しかし表層的に平和でも、「世界の歪み」はあるのである。
そういう漠然とした歪みを思いつつこの作品を見ると、結構理解できる。
ソレスタルビーイングは、抽象的で象徴的な意味での世界全体と戦っているのである。

この作品の主人公は、平凡とはほど遠いわけだ。
疎外され、自閉した内面世界から世界を見て、対峙する。
平和な日本の風景が対比的に描かれるからこそ、自閉的で疎外的な世界観が出てくる。
その自閉的な拠点がソレスタルビーイングなのである。
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