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フィクションの中のモラルに本気になるからこそ、フィクションは成り立つ

最近日本のエロゲーが海外で叩かれている。
まあ細かい政治的背景があるのかもしれないが、シンプルな事例として扱ってみる。

フィクションは、それを見ている人が本気になるから成り立つのである。

たとえば、映画の中で人が殺されるとする。
その場合に、「こんなの演技だよね」とか言っていたら、その作品は成り立たない。
まあB級映画なら、そういう見方も出来なくはないが、ある程度まともな作品の場合、人が殺されたら、それは重大事件として受け止めなくてはならない。
「所詮作り話だろ」という反応をしていては、作品が成り立たない。
そして、まともな作品なら、殺害した人間のモラルが問われなくてはならないのである。
我々は、作品内のモラルにとても敏感である。
「デスノート」や「コードギアス」がハッピーエンドだったら許されない。

まあ問題のゲームに関しては、「B級」としての捉え方をするべきであり、本気で受け取るべきではないという意見もあり得るだろう。
(実際の作品をプレーしたわけではないので、中身はわからないが)。
ただ、フィクションに対して本気になるからこそ、フィクションは成り立つのである。
フィクションに対してマジになるのは、普通である。
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