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「エヴァンゲリオン」はレッテル貼りと戦う作品

かなり久々に昔の「エヴァンゲリオン」を通して見た。

話の骨格は今でも充分面白くて、一気に見ることも可能。
昔の印象と少し違っていたのは、シンジが意外と活躍している。というか、活躍して何かを手にしたように思えては、それがすり抜けて後戻りするのがこの作品だ。昔の作品で言えば「巨人の星」に構造が似ているかもしれない。

この作品では、シンジがエヴァに乗らないことで罵られる。
シンジはエヴァに物理的強制を持って乗せられることはない。
たとえば軍人がシンジを羽交い締めにしてエヴァに乗せるなんてことはないわけだ。
あくまでシンジの主体的な決定によって乗るわけである。
周囲が人格攻撃を行いながら、シンジに促すわけだ。
「怖いの?」「逃げるの?」「臆病者」という具合にマイナスのレッテルを貼る。
シンジはマイナスのレッテルと戦うわけだ。
使徒と戦うというよりは、自分に貼られたレッテルと戦うのである。
周りの大人は責任を負わない。
説得役が保護者のミサトであることが多いのも、なんか教育ママのようで、ある種の共依存を思わせる。

もちろん14歳の少年を戦闘兵器に乗せることを、リアルに考える必要はない。
そういう観点から批判をするとすれば、野暮だろう。
「エヴァに乗りたくない」というのは、ある種の隠喩であり、それと戦ったわけだ。たぶん視ていた人達も。自分に貼られたレッテルと戦う作品として、多くの人が共鳴したのだ。
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