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失うこと、得ること、の繰り返し

物語は、失うことと得ることの繰り返しだとも言える。
一番素朴な例で言うなら、正義の味方が登場するためには、悪者が何かを奪い取っている状況が必要だ。それを奪い返すことで物語になる。

失われたものを取り返す、それが物語だ。
あるいは、そういう構造がきちんと作られている作品が名作と呼ばれるのかもしれない。

失われたものを取り戻してハッピーエンドになるとは限らない。「新世紀エヴァンゲリオン」を越えるアニメがないのは、あの作品が原罪的だからだ。究極過ぎる<物語>なのだ。ストーリーをよく見れば、意外と碇シンジが活躍してるんだけど、印象としては敗北感が強い。活躍しても安定を取り戻せないのである。喪失と獲得を繰り返し、そして過度なまでに安定が覆される。
得たと思えば、それより大きく失うような。。。
もちろん主人公に試練が次々訪れるのは、作品の王道なのだが、その中でもエヴァンゲリオンは、かなり反復強迫的である。シンジは受難者という意味での聖者なのである。初期的な喪失感がいつまでも埋まらないというのは、人間の原罪に立ち返らせる。フロイトの反復強迫の説明で、赤ん坊が、自分で「いないいないばあ」をやるエピソードが出てくるが、まさにそれなのである。得られない状態から得る状態への移行が欲望の達成なのだが、ある意味、得られない状態そのものが人間の本質である。そういうマゾ的な反復強迫が原罪であり、エヴァンゲリオンなのだ。そしてそういう欲望の源に立ち会わされる我々は、いつまでもエヴァを越えられない。

普通の名作であれば、エヴァほど極端にはやらず、喪失と獲得の等価交換の話になるのだろう。
あるいはトラウマ持ちの(初期段階で何かを失っている)アニメ主人公というのは、大作に共通する傾向である。

まあ現実の人生だと、得られるか得られないかは最初からわりと決まっている。それは私もあなたも、神話的な人物ではないからだ。漠然としあわせだったり、漠然と不幸だったりする。妥協して無難に調整しているからだ。根っこで持っている<物語>を生きているわけではない。だからこそフィクションを求めるのである。
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