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主人公が不器用なのは、プロットに説得力を持たせるため

作品のプロットは、作者が作るものである。
しかし作者がプロットを作れば、それで終わりというわけではない。
読者に届けなければならない。
プロットが変であるなら、それは読者に届いてないということなのだ。

プロットが読者に届くためには、物語の登場人物たちが、その通りに動かなくてはならない。
主人公が不器用だったり馬鹿正直だったりするのは、その方がプロットが安定するからだ。
主人公がごく普通の小市民的な意味で利口だったり器用な性格だったりした場合、(読者から見て)プロットと噛み合わない可能性がある。
利口であれば、楽なルートを見つけてしまうはずだからだ。
面白いプロットとは、難易度の高いルートを歩くことだが、これは、主人公が馬鹿だといいわけである。
説得力がある。

主人公が「禁欲的」であるというのは、楽な選択を拒むということだ。
妥協を拒むということ。
中間的で曖昧な解決という着地点を探さないということだ。
目標はひとつであり、そこに突き進んでいくことで、物語は面白くなるし、緊迫感も出てくる。
そういうプロットに説得力を与える人物というと、やはり「馬鹿」がいいのだ。

小器用な人物では、プロットに説得力がない。
そういう物語を読まされる読者は、説得力のないプロレスを観戦させられる被害者だ。
「馬鹿」だからこそ、プロットと真剣勝負が出来るし、説得力が増すのだ。
プロットは、作者が読者を説得するものだから、八百長だと見抜かれたプロレスみたいなものであってはならない。

もちろん重点は説得力である。
だから、プロットの説得力を確保出来るのであれば、「馬鹿」を使う必要はない。
たとえば状況設定が極めて緊迫性のあるものなら、小利口な人物ばかり出てくる話でも、説得力があるかもしれない。
なんであれ、説得力があれば、物語は面白い。
説得力に欠ける物語はつまらない、ということなのだ。
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