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サービス精神とサービスシーン

言葉を使うのは難しい。その言葉に貼りついているイメージで思考を展開する必要があるからだ。その展開の仕方は定型化されていて、だから誰もが同じことを言うのだ。

さて、サービス精神について話そうと思ったのだが、フィクションの話の文脈で”サービス”というと、パンツがたくさん飛んだりする場面を思い浮かべたりするだろう。
「サービス」という言葉に囚われると、フィクションの本質を見失う。「サービスシーン」と「サービス精神」はまったく違う。

たとえば主人公を劣勢にするのは、サービス精神である。形勢逆転のための舞台を作っているのだから。逆に言うなら、主人公が終始優勢なんて展開はサービス精神ではない。

宮部みゆきが読者を楽しませようとする場合、パンチラパンチラ書いたりするだろうか? もしくは(仮に)今度の「けいおん!」の二期で製作者が視聴者にさらなるサービスをしようと、パンチラたくさん出したらどうするのか。キャラが不自然におっぱい出す場面があったらどうか。二期はサービス精神旺盛で素晴らしいですね、というのだろうか。言う人もいるかもしれないが、それはまさにパンツが乱舞する「サービスシーン」なのである。

本当の意味でのサービス精神とは、出来るだけ面白い展開にするとか、出来るだけ面白いオチを付けるとか、そこを全力で頑張ることである。視聴者を楽しませるために、(安直な方法に頼らずに)面白い発想を捻り出そうと脳味噌を振り絞って考えている製作者が、本当の意味でのサービス精神のある人なのだ。

こう書いてみても、サービス=お色気、みたいなイメージが抜けないので、「エロに頼らないサービス精神」とか、そういう言い方をすればいいのかもしれない。何にせよ、作品の品位を損なわず視聴者を楽しませてくれるサービス精神が必要だ。そういう志がないから、非実在青少年云々でオタオタするのだ。「アキバblog」が喜んで取り上げる類の作品は消えて貰って構わない。本当の意味でのサービス精神を持って頑張っている製作者こそ、視聴者は応援するべきだろう。パンツが出てきた時だけ、「サービスがあった!」と歓喜するのではあまりにもレベルが低いし、本当に頑張っている製作者が可哀相である。
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