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議論の「組み手争い」



内田樹が「日本辺境論」の中で面白いことを言っていたので、引用してみよう。(216ページより)。

私たちの国の政治家や評論家たちは政策論争において、対立者に対して「情理を尽くして、自分の政策や政治理念を理解してもらう」ということにはあまり努力を向けません。それよりはまず相手を小馬鹿にしたような態度を取ろうとする。テレビの政策論議番組を見ていると、どちらが「上位者」であるかの「組み手争い」がしばしば実質的な政策論議よりも先行する。うっかりすると、どちらが当該論件について、より事情通であるか、そのポジション取り争いだけで議論が終わってしまうことさえあります。


これはたぶん誰でも思い当たるところはあるだろう。意見の中身でやりとりするのではなく、その手前で妙な争い事をしていることが多い。これを「組み手争い」の一言で喝破してしまうのは内田樹の巧さである。
私たちはいつも「組み手争い」をしているはずで、誰でも経験的にはわかっているのだけど、それを明確に言葉にするのは難しい。「もっと中身のある意見を……もやもや」みたいなところで終わってしまう。

思想とは、必ずしもまったく新しいことを表明する必要はなく、普段から私たちがやっていることを一言で氷解させるような、そんなものでもいいのだ。意見の本質と無関係な牽制合戦を「組み手争い」の一言で喝破されると、視界がクリアになるわけである。

たとえばネットでも、特に2ちゃんねるは、「組み手争い」自体がある種の娯楽になっている部分がある。そこで笑いを取る感じだ。もちろん組み手争いに終始しているだけの糞スレが多いのは言うまでもない。彼らが「チョン」とか「ネトウヨ」とか騒いでいるのは組み手争いなのだ。レッテルを貼った段階で、有利に組んだということであり、その有利さで日本的な勝負は決まる。

日常の私たちのコミュニケーションについても「組み手争い」として考えると謎が解ける。話をするとしても意見の中身など無く、組み手争いをしているだけなのだ。さすがにリアルで「チョン!」とか「ネトウヨ!」とか叫ぶ人はいないだろうが、基本は「組み手争い」なのである。ここで後手に回ったら終わり、(あるいは先に巧く組んだら勝ち)というのは、経験的にわかることだろう。
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