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「まおゆう」の魔王はそもそも悪人ではないので、RPGの超克みたいな話ではない

「まおゆう」の一番基本的な部分を確認しておこう。
魔王は悪人ではない。
善良で美人の学者である。
その魔王と一緒に、中世の社会を変えていこうというだけの話なのである。

単なる学者が世界を変えるというのでは面白くないので、魔王が学者という設定は「つかみ」としてはとてもよいと思う。
使っている知識や学問が未来のものなので、ある種の超能力だが、まあこれもフィクションとして楽しめる。
現実で誰かが発明するであろうものを魔王が一人でやるという構図だから、それほどリアルの歴史から逸脱はしてないはず。

ともかく、魔王は悪人でも何でもないのだから、RPG的な絶対悪の魔王を乗り越える云々、と解釈するべきではない。
RPG的な設定は、お遊びで使っているだけで、別にそれが本質ではない。
「つかみ」としてドラクエのパロディー風味にしているだけだ。

さて、魔王である美人学者が、スペシャルな知識や学問で啓蒙していくわけだ。
そして世の中が変わっていく。
魔王が主役のままでもいいのだけど、この作品は途中から、「メイド姉」に主役を譲る。
「メイド姉」は元々は農奴の少女であり、魔王に拾われてメイドとして働いていた少女である。
メイド姉が自我に目覚めていくのと同時に、魔王は主役から退いていく。
この転換点は素晴らしいし、ある意味、わかりづらい。
初読の時は、魔王がみんなを善導するパターンが続いていくと思い込んで読んでいたので、やや違和感があった。
それこそ、「ドラえもん」から突然ドラえもんがいなくなってしまうような。。。
だが、よく読み直すと、主役の受け渡しはまさに啓蒙の成果なのであり、「教え子」であるメイド姉が自立して自分の足で歩いていくという王道の教養小説であり、成長物語なのである。

この作品はドラクエのパロディーよりは、ドラえもんのパロディーの方が似合っているかもしれない。
未来から来たドラえもんが最初は導いてくれるのだけど、途中からいなくなって、そこからは自分で成長していくという。
実際のドラえもんより健全な話になりそうだ。

何にせよ、パロディー風味なのは、読んで貰う切っ掛けだと思うのだ。
パロディー無しでリライトしようと思えば、簡単なはず。
真っ当過ぎる小説になってしまうかもしれないけどね。
そういう真っ当な小説を2ちゃんねるで発表しても痛いだけなので、既存作品のパロディにしてるのだと思う。
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