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不幸な出来事は回避できない理不尽な宿命という発想が「Angel Beats!」



この作品の感想を書くのは最終回を見るまでやめておこうかと思ったのだが、一応、第10話段階での整理をしておこう。
残り数話の展開は不明だが、ある程度、この作品の原理原則は見えてきたからだ。

基本的にこの作品において、学園に来る前の不幸な出来事は単なる理不尽さとして描かれている。
それは修正の効かない過去だ。
<被害者意識>があるのである。
神から理不尽な仕打ちを受けて、それによって人生を台無しにされた、という発想だ。

現実的に言えば、宿命という発想は、まあまあ正しい。
生まれついた状況で、だいたい人生は決まっているからだ。
成功して幸せを手にするとすれば、それは、そういう星の下に生まれていたからだ。
不幸になるとすれば、それは、そういう星の下に生まれていたからだ。

とはいえ、普段からわれわれが接している物語の流れは、そうではない。

理不尽な状況

解決

に至るとして、これを、「単に主人公に解決する力があっただけだ」、なんて斜に構えて相対化することはない。
才能とか、力を駆使して解決するのは<主体性>だ。
もちろん<主体性>を問い詰めたらきりがない。
<主体性>は、ある種の解釈であり、たとえば、何らかの才能で解決するとしたら、その才能を主体的に了解しているだけ、とも言える。
俯瞰して見るなら、たまたま偶発的に解決する力を持っていただけと言うべきかもしれない。

何にせよ、物語は、相対化のためにあるわけではないから、「悟空がサイヤ人でなかったらどうするんだ?」とか「桜木花道がチビだったらどうするんだ」なんてことは考えない。
あくまで彼らは主体的に存在し、主体的に解決していくわけだ。

翻って「Angel Beats!」。
ここまでの不幸話のほとんどは、抗えないものだ。
それに対するアプローチは普通の物語的な解決ではなく、「成仏」なのである。

理不尽な状況

生まれ変わった世界で満足する

成仏

ある種の宗教的な発想と言ってもいいだろう。
陳腐で素朴な意味での宗教ということだけれど。

主体的に「理不尽さ」に向き合い解決するのではなく、学園という天国で満足を与えて貰うという発想なのだ。
このあたりは、「不幸な女の子に優しくする」という構造で感動を作るKey作品全体にも言えることだ。
ある意味、「ドラゴンボール」みたいに解決したら困るわけで、古典的な不幸話ということなのだ。
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